山田大記。 山田大記 2019シーズン後半の復調のきっかけについて語る: Shizuoka Brainの独り言

山田大記 2019シーズン後半の復調のきっかけについて語る: Shizuoka Brainの独り言

山田大記

そういった感覚はゲームメイクする立場の選手には必須の要素ですよね。 山田それは分かりませんが、サッカーを続けてきた中で身に付けなければいけない要素だと感じました。 大学時代には高校から上がってくる選手もいますし、ユース出身の選手もいましたから、上下関係やらサッカーのことでも割と意見が食い違うことが多かったりするんですよ。 自分のミスをチームのせいにしたり、逆にチームのミスを自分の責任のように感じてしまったり、様々な考えや性格を持つチームメイトがいました。 でもそこから努力して、頑張って成長していく人も、プレッシャーにつぶされてしまう人もいました。 それを見て、自分がどういった道に進まなければいけないのかを常に考えていました。 海外移籍はどうなんですか? 山田そこが一番難しいですね。 海外でやりたいという気持ちもありますし、やっぱり今代表に定着している選手との競いにおいても、アピールできるポイントにもなりますから。 プロになるときから海外でやってみたいという気持ちはありましたし、W杯で戦うためには海外の選手と戦った経験が必要だとも思いますから。 ですがそこに関してだけはジュビロ磐田の優勝とは違った目標となってしまいますので難しいところなんですよね。 もちろん海外から声がかからないといけないわけですけど、そういう声がかかったときにジュビロ磐田の優勝のために残るのか、自分個人の海外挑戦、W杯出場っていう目標の為にチームを出るのか、それを決断する際には、チームと応援してくれているサポーターのみんなが納得してくれる形で決めたいと思っています。 結構…で済みますかね(笑)。 山田いつまでサッカーができるのかは分からないものです。 監督からもよく言われてるんです。 こうしてサッカーができることを当たり前だと思わないようにって。 今こうして普通にピッチに立ってプレイができていることが本当に幸せだなと思います。 目標を目指して頑張るのも大事だけど、それだけじゃないと思うんです。 ニーチェの言葉に「目標ばかりに目がいって、その過程を無駄だと思ってしまうのは人生を失うことと同じだ」みたいなのがあるんですよ。 「山登りに例えるなら、頂上を目指しすぎて、その途中にある美しい風景などを見ない人が多すぎる」と。 自分にも目標がありますが、その途中にいる今の自分にも幸せを感じたり、感謝をしなければいけないと思っているんです。 サッカーというスポーツ自体にも感謝したいですし、現状に満足はしていないですけれど、これ以上ない幸せな環境だとも思っているんです。

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山田 大記:ジュビロ磐田:Jリーグ.jp

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キッカケは磐田の10番から。 静岡4クラブが一致団結、プロジェクト「One Shizuoka Project~サッカーの力で静岡をひとつに~」がスタートする。 静岡県をホームタウン とするJリーグの4クラブが力を合わせて新型コロナウイルスの影響を受ける地元に少しでも役立とうと、プロジェクト「One Shizuoka Project~サッカーの力で静岡をひとつに~」を立ち上げた。 5月15日にオンラインによる合同記者会見が行われ、ジュビロ磐田、清水エスパルス、藤枝MYFC、アスルクラロ沼津の選手代表が、この活動への協力を呼び掛けた。 そのなかでキッカケとなる声掛けをした山田が、この活動への思いなどを語った。 発端は、磐田の選手会で話し合うなか、静岡の4クラブで一つになって、今この状況下で地域の方たちのために役立てないだろうかと意見が出て、各クラブに呼び掛けたこと。 そして4 クラブの選手で話し合い、そこで様々な意見が出て、活動領域も幅広く可能になり、さらなる活動の発展につながるなどメリットも考えられ、今回、具体的に「One Shizuoka Project」のプロジェクトとして発足した。 プロ通算10年目に突入、31歳になる山田は2014-15シーズンから3年間にわたりドイツの名門カールスルーエSCでプレーしている。 そのドイツでの日々が、山田のこうした社会活動の「一歩」を踏み出すことに影響したのでは? 記者会見のあとの一問一答でそう質問すると 、磐田のナンバー10は、間接的にではあるが、カールスルーエでの経験が背中を押すことになったと語った。 「 ドイツに渡って衝撃的だったのが、地域にスポーツが根付いているのを実感したことでした。 本当にサポーターが熱く情熱的に支えてくれているのを、すごく肌で感じました。 日本もJリーグが発足してから30年近く経とうとしていて、少しずつサッカー界が皆さんに認知され、応援してもらえる土台は整ってきていると思いますが、僕自身はまだまだサッカー界の発展の余地はあると考えています」 山田は、今こそ何かできないだろうかと考えたと続ける。 「ドイツのように、地域に本当の意味で根付くにはどうしたらいいのかなと考えた時、こうした地域の皆さんが大変な状況のなか、Jクラブが『あって良かった』と思ってもらえること。 それが地域に必要とされるクラブではないかと考えています。 直接的にドイツの経験が結びついているわけではありませんが、ドイツのようにサッカーが文化になる。 その日を迎えるためには、より地域と密接に関わり合わなければいけないのではないかと個人的に感じていて、このプロジェクトに対する思いにつながっていったのかなと考えています」 山田のカールスルーエでの日々。 C One Shizuoka Project 「One Shizuoka Project」 当面のプロジェクトは次の通り。

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山田大記 2014 選手データ

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・読みやすくするためにニュアンスは変わらない程度にあえて一言一句正しく書き起こしていない部分があります。 ・書き起こしはコンテンツがあるからできることなので、動画を見た後に書き起こしは読んでください(書き起こし部分だけでもいいので)。 (書き起こし部分:1:18:43~1:21:05) (サポーター)去年、少し苦い経験の話ではなくて、去年急にチームの雰囲気が変わって、負けないジュビロに変わって、すごい強い雰囲気というか、これはいけるぞという雰囲気にどんどん変わっていったんですよね。 あれは、特に山田選手、小川選手中心にやったと思うんですけど、何がきっかけというか、急に変わっていったのは、どういうきっかけていうかねぇ、ところから変わったのって少し生の声で教えてほしいなと思って質問します。 (誠也)気になりますねぇ。 (昨シーズンは岡山に期限付き移籍) (大記)どう大貴? (大貴)いや…ちょっと山田さん(先にお願いします) 大記の考える変わった要因 (大記)1つは戦術的なところで、ピッチ内のルールをかなり設定する監督なので、名波さんとかに比べて。 こうなったらこうしようっていうのは、かなり明確に指示があって、そこで1つ選手が頭を整理してプレーしていたっていうのはあったんじゃないかなと風に思います。 その戦術的なところと、あとはあの状況で、状況的に追い込まれている中で、完全に弱いチームのサッカー、まず守備から入って、カウンターでどうにかていう。 とにかく粘り強く相手にボール持たれても、ていう割り切るところをかなり割り切れたのがよかったんじゃないかなていう。 フベロのそこの強さだと思いますけど、追い求めすぎず、理想なり自分のやりたいサッカーを今はこうでこうだから、自分たちの今の立ち位置、メンタリティでできることにフォーカスしようっていう風にうまくやれることやれないことにちゃんと線を引いて「やれることはこれだよ」っていうのは選手に提示したのが1つの要因だったんじゃないかなって僕は個人的に分析します。 <書き起こしおわり>.

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