老い の ときめき 小説 一覧。 妻を抱くのを苦痛に感じています。老いたからなのか、見飽き...

[B!] 新・老いのときめき2012

老い の ときめき 小説 一覧

人生百年時代などと、うかれはじめたのはいつごろだったろう。 これはおめでたいことなのか。 最初聞いたときはお上が年金の支払い時期を遅らす ための作戦ではないのかと疑った。 庶民の背中を鞭打って70歳までとにもかくに も働いてくれ。 そうしないとあなたの人生どうなるかわからんよというおどし。 それに不安商法を得意とする、金融関係、医療関係(医者や薬品会社や健康食品 会社)、保険企業などがむらがった。 不安をあおりいつのまにやら人生百年は 常識になった。 でもちょっと待ってくれ。 もし百年生物的に生きるとして、最後の 20年間即ち80歳ー100歳のあいだ、ひとは健康に暮らしていけるのか。 ふたりのうち ひとりはガンになるといわれているのに。 70歳台は身近に掃いて捨てるほどいるからどんな塩梅なのかはだいたいわかる。 でも80歳以降のかたがたはどうなんだろう。 三浦雄一郎とか加山雄三とか瀬戸内 寂聴とか元気で活躍されている人もいるが、そういう「怪物」はさておき、普通の 人の話が聞きたい。 80歳を過ぎると普通の人の体の具合と心象風景はどうなって いくのか知りたい。 ということで現在85歳の黒井千次氏の「生活と意見」が非常に 参考になる。 当書は黒井氏が読売新聞に月1回連載したエッセーを集めたもので そこからいろんなことを学べる。 私が(個人的に)気になったいくつかを並べる。 〇 よく転ぶ 老人になるとつまずいてよく転ぶ。 ここではそういう意味ではなくて、 「なぜ転んだのか」全くおもいあたることがないのに転ぶ。 例えば、手ぶらで緩い 坂道を下っている時突然転ぶ。 自発的転倒。 これが恐い。 突然のことで手で守る ことができないから顔をアスファルトにぶつける。 最近80歳台のドライバーが 自分では正しく運転していたのに「なぜか」車が暴走して人を轢くといういたま しい事故が続いた。 これなんかこの変形かもしれない。 自分の運転や判断は まちがいないのになぜか機械が言うことを聞いてくれない・・。 〇 しゃがむと立てない 曲げた腰が伸ばせない。 取っ手がないと立てない。 尻もちをついたらそのまま たちあがれない。 へたをすると浴槽に閉じ込められることになる。 これは恐い。 〇 散歩はふわふわとろとろ、浮揚しているよう 運動のための散歩のように、歩くこと自体が目的であるような、いわゆる 足の運びのための歩行とでもいった動きの中で、浮揚感が発生する。 〇 病が治りにくい 病気にかかると、病は治りにくく、恢復はしてもそれ以前の状態への完全復帰 ではなく、7割か8割の線にとどまる。 からだの劣化は連続的に劣化するのでは なく、ある時ドサッと落ち込む。 大きい病気やけがをした時はそのドサッの スケールはドカンに変る。 まあ、悪いことばかりではない。 〇 やわらかな空気 朝、目覚めてもう起きなければと考え、ベッドに坐って足を床に垂らした時、 ふとなにやらとりわけ柔らかな空気、優しい時間の環のようなものに取り巻かれて いる感じがする。 幼い頃の断片が蘇る。 登場人物は母親だったり親戚だったり するがみんなすでに亡くなっている。 でも鮮明に皮膚感覚で覚えている。 とても自然で優しい感情。 著者も述べているように、私たちは80歳台、90歳台をこうして生きていったら いいというような指針はなにもない。 あれこれ悩んでみても結局辿り着くのは、 「他人は他人であり、自分は自分であって、夫々が自らにふさわしい老い方をする より他にないのではないか」というなんともシマリのない結論なのである。 でもそれで納得。 そうだよね。 それしかないよね。 「なか見!検索」が出来ないので参考のため目次を記します。 第1章:新旧の不自由を抱えて 第2章:もう運転しないのか 第3章:降りることへの恐れ 第4章:老いることは知ること 「老いのゆくえ」という書名に引かれ予約購入。 哲学的な内容の書物かと思っていたが、1932年5月28日生まれの著者が「可能なかぎり率直に、老いていく自分を描き、その感覚や感情を記していった」本でした。 書店では決して買わない類の本。 しかし、「老いるとは自分が具体的にどうなっていくか教えてくれる」本。 「NHK きょうの健康」を定期購読しているが確かに書いてない。 両親の老いる姿を見て多少知っているつもりでもそれ以外の人について教えてくれる本は意外に少ない。 そういう意味で買って損のない本。 著者の年齢が87歳であるので80台後半になると本書に記されたようになるのかというとそれは甘い。 日本人の男性の平均寿命は81歳、健康寿命は72歳。 著者の年齢では鬼籍に入っている人の方が多いと思われるが、本書が書ける位であるから健康寿命にも達していない。 普通の人より少なくとも15歳以上若いのである。 従って、70歳前後(早ければ40、50台)になると本書のように老いる事を想定して読みたいものである。 「どんなにあたたかな分析と同情的な観察を行っても、老いを迎えた人々は過去に生きるしかないし、社会はその存在を必要としていないし、自己がまだ社会的貢献できると誤解しているとすればそれこそが老いの証左だし、世界の変化は速いので老人は日々知らないことが増えてくる」と62歳のシモ-ヌ・ボーヴォワ-ルは、主著「老い」の中で断じている。 当たっているだけに、悪魔の手さばきのような気味悪さを感じる大作の「老い」である。 62歳のボ-ヴォア-ル 78歳で死去 にとって、当時のフランスの平均寿命 男性68歳、女性76歳 を見るかぎり、60歳とは、華やぐ未来のない、死ぬまでの時間が刻々と刻まれていくだけの余生の入口でしかなかった、と理解することはできる。 しかし、62歳の人が先をみるのではなく、85歳まで生きてしまった人が、60代、70代、そして80代初期を振り返ってみるときに、老いとはなにかについて、別の確度から再点検する道があるのではないか。 そんなことを考えさせる黒井千次の老いに関する一連の著作が新聞紙上で人気です。 最新刊は、「老いのゆくえ」 中央新書 2019. 「老いのゆくえ」は85歳の著者が老いゆえに遭遇する日常の失敗や事件を丁寧に書き連ねたものであり、老いとは何か、についてこざかしい分析をしているわけではありません。 そこが、この本がみんなに好意的に受け入れられる秘密のようだ。 朝起きて関節を伸ばすのに時間がかかる、一度かがむと手すりがないと起き上がれない、靴下がはけない、よろける、ものを落とす、など歳をとって出会う悲喜劇が数十のエッセイに書かれている。 もう、85歳まで生きちゃったのだから、いまさら、60歳過ぎたら社会に居場所がない、なんて悲観することもなく、率直に老いを受け入れている。 「年をとるのは生きている以上しかたがない・・ただ不服なのはそれがいつ始まったかはっきりしない点である」。 著者は、電車の優先席に座っていて、やや年寄りの人が乗ってくると席を立つべきかどうか、いまでも迷うという。 自分は 85歳かもしれないけれど まだ若いんだ、と思ってしまう。 レスランや街で年配の人をみると、「おじいさん」「おばあさん」とつい思って心の中で呼んでしまうけれど、もちろん自分は「おじいさんではない」、とかたくなに信じている。 80歳を過ぎているなんて、「ウソだろう! 自分の人生のこの先を、つまり余生を、ボーヴォア-ルのように分析することはできる。 それは、残された時間を数える、ということだ。 しかし、実際にはみんなその時間を生きてしまうのだ。 生きてみて、なんだ、こんなことか、と思えれば、あれこれ悩むこともない。 黒井千次さんのこのシリーズ、読売新聞に月1回連載しているものをまとめたもので、 これで3冊目となります。 内容は、黒井さんの日常生活の中で、老いに関して感じたことを綴ったものになっています。 私は、やっと古希に達するかどうかという年ですから、 70代、まして80代の自分がどうなるのかは、想像の範疇にないので、 そういった意味で本書は非常に参考になるのかな・・・ただしそれまで生きていればの話ですが・・。 黒井さんによると、80代になってくると、よくけつまずき転ぶ、腰が曲がりににくくなり、 靴下をはいたり、足の爪を切るのが非常に困難になる、 病気がちになり、しかも治りにくい・・・・・、 当然視力や聴力が低下し、運動も緩慢になる、ははいいとこ全くありませんね!! 私の父親も結構長寿でしたから、大体この辺りは想像がつきますね。 そして、私の父親の場合は、記憶力が衰え、勘違いが多くなり、 しかもそれを人のせいにして怒る、攻撃的になる、ケチになる、等ということもありました。 しかし、人間長生きすればだれでも老いていくわけで、 本書の帯にもあるように、 結局のところ現状を容認し、自らにふさわしい老い方をするより他にないのでしょうね!! 八十代半ばの著者があとがきで書いています。 〈可能なかぎり率直に、老いていく自分を描き、その感覚や感情を記していくことを目指した。 したがって、ここには老いに対する手立てや、深遠な考察などはない。 書くに際して心したのは、正直に自分の老いそのものを描くことだった。 恥ずかしがってはいけない、とひたすら自分にいいきかせた〉と。 そのとおりで、ここに書かれているのは、まさに老いそのものの老化報告とでもいえそうな事例が、これでもか、これでもかといわんばかりに、じつに具体的に、詳細に、正確に書かれています。 同じ世代の私には、新しい発見もなく、なんの変哲もないエッセイに思えたのは、私自身がリアルタイムで毎日、毎日、体験している日常が描かれていたからです。 そこに本書の希少価値があると思いました。 美しく老いるには、とか、いかに老いに向きあうか、といった教条的な類書が眼につきますが、老いというのはそんな美しいものでも幻想を抱かせるような甘いものでもありません。 ただ醜悪で、希望のない絶望の日々の連続です。 先にあるのは〈死〉だけ……、これが老いの現実です。 若い人にこそ読んでほしいエッセイです。 老いるということの無常、哀しみ、絶望がご理解いただけるのではないかと思います。 そして、やがてご自分もそうなるのだという覚悟がうまれるかもしれません。

次の

妻を抱くのを苦痛に感じています。老いたからなのか、見飽き...

老い の ときめき 小説 一覧

おはようございます。 「スプーンおばさん」のシリーズ、ご存知でしょうか。 もしかしたら老いを書いたものかも知れないという気がします。 おばさんは、全く出し抜けにティースプーンぐらい小さくなり、また何の予兆もなく元に戻ります。 小さくなると、今まで普通にやっていたことができなくなったり、人の手を借りなくてはならないことも出て来ます。 でもおばさんは、突然小さくなってもびくともしません。 機転をきかせ、堂々と人や動物の力を借りて、かえって、小さくないとできないこともやりとげて人を助けます。 また、いつも陽気で、ユーモアを失わない性格でもあります。 おばさんの「ご亭主」はちょっと神経質で悲観的な人で、おばさんとは対照的です。 こんにちわ 『きみに読む物語』(原題: The Notebook) はいかがでしょうか 1996年にニコラス・スパークスが発表した小説ですが 2004年に映画化されヒットしました。 認知症の妻を優しく介護する夫の一途な愛をテーマにして いますが、ストーリーの大半は、美しく若かりし頃の二人の 恋愛物語です。 映画の中で使用される本は、実は2人の自分 史ですが、その本を読み聞かせて認知症の妻の記憶を取り戻 そうとするけなげな夫の姿を現実の世界。 本の中の回想シーン を過去の世界とし、時空を超えたこの二つのシーンが交互に出 現する手法が全編を通じて取り入れられている作風です。 回想の世界と現実世界が交互に現れるシーンから、ほんの一瞬 の歓喜のラストシーンへと続くエンディングまでがとても切なく記憶 に残る作品です。

次の

ときめきトゥナイト

老い の ときめき 小説 一覧

おはようございます。 「スプーンおばさん」のシリーズ、ご存知でしょうか。 もしかしたら老いを書いたものかも知れないという気がします。 おばさんは、全く出し抜けにティースプーンぐらい小さくなり、また何の予兆もなく元に戻ります。 小さくなると、今まで普通にやっていたことができなくなったり、人の手を借りなくてはならないことも出て来ます。 でもおばさんは、突然小さくなってもびくともしません。 機転をきかせ、堂々と人や動物の力を借りて、かえって、小さくないとできないこともやりとげて人を助けます。 また、いつも陽気で、ユーモアを失わない性格でもあります。 おばさんの「ご亭主」はちょっと神経質で悲観的な人で、おばさんとは対照的です。 こんにちわ 『きみに読む物語』(原題: The Notebook) はいかがでしょうか 1996年にニコラス・スパークスが発表した小説ですが 2004年に映画化されヒットしました。 認知症の妻を優しく介護する夫の一途な愛をテーマにして いますが、ストーリーの大半は、美しく若かりし頃の二人の 恋愛物語です。 映画の中で使用される本は、実は2人の自分 史ですが、その本を読み聞かせて認知症の妻の記憶を取り戻 そうとするけなげな夫の姿を現実の世界。 本の中の回想シーン を過去の世界とし、時空を超えたこの二つのシーンが交互に出 現する手法が全編を通じて取り入れられている作風です。 回想の世界と現実世界が交互に現れるシーンから、ほんの一瞬 の歓喜のラストシーンへと続くエンディングまでがとても切なく記憶 に残る作品です。

次の