人生 プラマイ ゼロ が ちょうど いい ブログ。 (3ページ目)岡江久美子さん「人生プラマイゼロでちょうどいい」 阿川佐和子さんに打ち明けた「笑いと愚痴と人生」

闘病公表した笠井信輔アナ 入院後のブログ開設に前向きな理由

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63歳だった。 特別に全文公開する。 知らない、そんなの。 岡江 石坂浩二さんが司会で、スターにインタビューしてたの。 あれに憧れて、自分がスターになった気分で、「今日のゲストは岡江久美子さんです」「ど〜も」とかブツブツ一人でやってたの。 阿川 司会じゃなくてゲストのほう? 岡江 ゲスト、ゲスト。 阿川 気分はもう女優だったのね。 岡江 あとお人形が好きで、当時、ナルちゃん人形って、徳仁親王にちなんだ人形があったんですよ。 そのお人形を抱っこして混んでるバスに乗ってるお母さん役というのが好きだった。 前に座ってる人が席を代わってくれて、「あ、すいませ〜ん」って(赤ちゃんをかばうように)こう座ったら、(軽く会釈して)「どうも」っていうのをよくやってた。 阿川 どこが面白いの、それ(笑)。 岡江 そういう場に自分を置いちゃうのがおかしいでしょう。 阿川 いつ頃やってたんですか。 岡江 小っちゃい頃だろうと思ってたら、この間、引っ越しをしたときに、中学・高校時代に友達とずーっとやってた交換日記が出て来てね。 「今、受験勉強中です。 背中にはジュンちゃん背負ってます」って書いてあるの(笑)。 阿川 お人形背負って受験勉強してたわけ? 岡江 うん。 面白いから娘に見せたら、全然勉強してないのがバレバレで、「ママも私と変わらないね」って言われて、もう母親の威厳、全然ないんです。 阿川 一人っ子って変わった遊びをするんですね。 岡江 もう一個のヒットは、ご飯食べるテーブルがついたベビー・サークルのテーブルをカポっと後ろに倒して、そのテーブルの丸く空いたところに入って、ベビー・サークルを曳きながら、「い〜しや〜きいも〜」って、一人でグルグル家の中を歩いてたの(笑)。 阿川 (しばし絶句して)……ユニークな子だという自覚はありましたか。 岡江 ううん、普通(笑)。 岡江 『真夏の夜の夢』を『真冬の夜の夢』に変えたのをやりましたね。 女神の銅像も胸にドッジボール入れてつくっちゃって、こんなにデカイの(笑)。 私は主役の妖精の男の子で、「雪!」って言うとほんとうに上から雪が降ってくるの。 みんな一生懸命やってくれるのに感動してましたね。 主役っていいなあって。 阿川 主役がいいのね。 岡江 でも、演出もやりました。 私が考えた『八月三十一日』っていう劇。 サブタイトルが『豚が飛んでる』(笑)。 これ、一時、学校で流行りました。 何か都合が悪いことになると、「あっ、豚が飛んでる」って言うの。 阿川 才能あるじゃ〜ん(笑)。 岡江 あと、やっぱり小学校のとき、宗教をつくっちゃった。 ポンポン様というの。 手首にレース巻いて、「ポンポン様、ポンポン様」って言って遊ぶだけだけど、信者も10人ぐらいいた。 阿川 ナンなの、この人は !?(笑) 岡江 だから、自分が宗教に入るよりも、宗教つくるタイプ。 阿川 つまり自分中心なのね。 岡江 実は。 阿川 「ポンポン様」って発想は、どこから出て来たんですか? 岡江 わかんない。 だから、当時を憶えてる人たちと語り合いたいですね。 確かにヘンですもんね(笑)。 阿川 まあねえ。 中学も演劇部? 岡江 はい。 高校も最初は演劇部に入ったんですけど先輩と気が合わなくて、すぐやめて帰宅部になっちゃって。 部に所属するよりも、家に帰ってテレビでドラマみるほうが好きになってきた。 『二丁目三番地』とか『おれは男だ!』とか。 阿川 ああ、あったあった。 最初は三ツ矢サイダーのドレミファコップ。 それから、リプトンの時計とか、『サインはV』の范文雀さんのサインとか。 当たると、雑誌に「東京都・岡江久美子」って 名前が載るでしょ。 それ見るのが好きになっちゃって。 今でも、新聞や雑誌のラテ欄に自分の名前が載ると嬉しいんです。 阿川 成績順位何位とか出るのは? 岡江 いや、全然ないです。 駅の伝言版に「定期失くした方・岡江久美子さん」って出たぐらいで。 阿川 それも喜んでたの? 岡江 うん、自分の名前が出るって、なんか嬉しいよね。 阿川 そうとうヘンな奴(笑)。 岡江 その懸賞マニアが高じて、高校2年のとき、「ミス水滸伝」というコンテストに応募したの。 ミスにはなれなかったけど、最後の5人に残ったら、前にいた事務所に「ちょっと芝居の勉強をしてみませんか」って誘われて。 タダでいろんなこと習わせてくれるというから、いいかなと思って。 阿川 ご両親は何て? 岡江 一人っ子だから、必ず私の意見は通っちゃうの。 だって、私、間違ったことやってないから、絶対(笑)。 それで、高校3年のときに、事務所の人がTBSの「ポーラテレビ小説」の主役のオーディションに応募してくれて、決まっちゃったんですよ。 阿川 女優になろうという気はあったんですか。 岡江 うん。 オーディションに落ちても、文学座とか俳優座とか劇団に入ろうと思ってた。 普通のお勤めは無理かなと。 頭よくないし、暗算するのにも指使ってるから向いてないなあと思って。 岡江 最初が主役だったから運がよかったんじゃないかなあ。 それで、次の仕事が来たんだと思う。 私の場合は1割の才能に9割の運。 運でしか生きてない。 阿川 そうお? 岡江 『お美律』は1回20分で130本やったんですけど、当時はVTRがなくて。 でも、どうしても見たいから、この間、特別にダビングしてもらって、最初だけちょこっと見たんです。 いや、若かった。 ツヤツヤで可愛かったですね。 声も高くて。 阿川 でも、岡江さんって当時からあんまり変わらない人ですよね。 岡江 (まるで耳も貸さずに)すごい老けてた、18、9に見えない。 当時、眉も細かったの。 阿川 全然、私の話聞いてないでしょ! ほめてあげてんのに! 岡江 ごめん。 いつも聞かない。 阿川 こっちはついて行くのに必死よ(笑)。 私、ゲストで『はなまる』に2回出していただきましたけど、くだらない話してんのにすっごい真剣な顔してるから、聞いてないんじゃないかなあと思ってたんだ。 聞いてなかったでしょ? 岡江 私のこと言ってんの? 阿川 ほかに誰がいるの。 岡江 なんだ、ヤックンのことかと思った(笑)。 何の話してたんだっけ、忘れちゃった。 『連想ゲーム』に出たのはいつ頃ですか。 岡江 20歳。 大河ドラマに出ることになって、1回、ゲストで出たらおかしかったらしくて、大河ドラマの後にレギュラーで4年くらい。 で、そこで夫と知りあって結婚した。 私とか中井貴恵ちゃんとか田中理佐さんが座ってた一番左の席は、必ず嫁に行ける。 (檀)ふみちゃんの席は、なんかずーっと行けないの(笑)。 阿川 そうだったのか。 岡江 ふみちゃん、お相撲が好きだから、随分連れて行ってもらいました。 一度、当時の鷲羽山さんと飲んでたら、酔っぱらっちゃって、抱きついて浴衣ビビーッて破いちゃったの。 でも、ちゃんことかご馳走になって、楽しかった。 阿川 この人、人に迷惑かけても、全部「楽しかった」で終わらせてるような気がする(笑)。 岡江 鷲羽山さん、嬉しいんじゃない?(この雑誌みて)「おっ、自分の名前が出た」って。 ふみちゃんも「あ、私の名前も出てるわ」って。 阿川 嬉しくないよ、別に。 岡江さんじゃあるまいし(笑)。 『連想ゲーム』ではあまたの男性陣の中でも、やっぱり獏さんがよかったんですか。 岡江 いや、普通。 『連想ゲーム』やってるときに、ドラマで2回ぐらい夫婦役をやったんですよ。 ラブシーンもあって、それが最近、他の番組で放送されちゃって。 うちの娘も見ちゃって。 ああいうフィルム、もう焼いて欲しいですよね。 阿川 『お美津』は見たいのに、どうして旦那と共演したのは焼いて欲しいわけ? それ、ひどくない? ラブシーンやったときは嬉しかったでしょ。 岡江 ああいうのは人前でやるもんじゃない。 阿川 まあね。 でも、夫婦役をやって、気持ちが近づいたんですか。 岡江 そうですね。 もっと冷静な目があればねえ。 ほんとにそう思うの。 だから、子どもにも「男の人はちゃんとゆっくり見なさい」って言ってるの。 阿川 獏さんと結婚したこと、後悔してるの? 岡江 しますよ、それは。 しない? あ、結婚してないもんね(笑)。 阿川 アンタ、叩くよッ!(笑) どんなときに後悔するんですか。 岡江 ご飯つくんなきゃいけないときとか、私が掃除したのに先にお風呂に入られちゃったときとか。 ま、結婚してよかったなと思うときもあるから、半々。 ま、仕事も結婚もトントン拍子だったってことね。 今は大変な忙しさでしょう。 岡江 去年の夏は、『はなまる』やりながら、連続ドラマ2本とバラエティ番組を2本やって、ちゃんとお弁当もつくって洗濯もしてたんですよ。 あれは、死にそうだった。 自分ですごいと思っちゃった。 阿川 それはご立派です。 岡江 芝居が好きでこの世界に入ったから、大変だけどもドラマに出るのは楽しいです。 最近、ブランクの穴埋めをするようにダーッと出続けたんで、プラマイゼロで人生ちょうどいいんじゃないですかね。 阿川 お嬢様はそろそろボーイフレンドができるお年頸ですか。 岡江 親しい男の子は知ってるけど、深くは知らない。 別に知りたくないし。 私もいちいち親に言わなかったもん。 阿川 そんなにいっぱいいたの? 岡江 うん、いっぱいッ! 1億人ぐらい(笑)。 阿川 (怒ったように)ありがとうございましたッ(笑)。 全部、自分にいい方向にしか解釈しない人だってことがよく分かった。 大失恋したことないんですか。 岡江 その前に逃げちゃうズルイ女なんです。 だから、自然消滅が多かったですね。 阿川 結婚生活には飽きてきませんか。 岡江 飽きてますよ。 でも、もう1回結婚しても、生活っていうものは同じだし、別れる理由もないから続けてるって感じ。 阿川 そのわりには楽しそうだね。 岡江 でも、一人暮らしをしたことがないから1回してみたいんですよ。 私があんまりそう言うから、夫も「1ヵ月ぐらいしてみたら」って言ってる。 阿川 獏さんって、心の広い人なのねえ。 そのほうがホッとするのかもしれないけど(笑)。 岡江 私の話、支離滅裂だけど大丈夫? まとめるとき、お利口そうに答えてるようにお願いします。 本当に、せっかちなのね。 この2時間、私はぐんぐん突っ走る岡江さんの話に割り込んで、「ちょっと待って」を何回叫んだことかいな。 一緒に銀座を歩くお友達の気持ちがよくわかります。 それだけ「何も考えず」、「絶対自分が正しいの」を涼しい顔で押し通しながら、ちっともイヤミがなく、むしろかわいらしく見えるのは、岡江さんのご人徳としか思えません。 でも実は、女優という立場にあればつい忘れてしまいがちな普通の主婦の感覚を決して忘れないために、スーパーをこまめに覗いたり比較したり、新製品を試したりゴミ出しを亭主に託したりと、人知れず努力なさっているのですね。 忙しくなるのも無理はありません。 そしてそんなせわしない二股生活に悲壮感が微塵も漂わず、愚痴も不満もすべてユーモアに変えてしまう才能が、岡江さんの人気の秘訣と思われます。 結婚しないとわからない苦労ってあるのですね、フンだ。 (阿川佐和子) (「週刊文春」編集部/週刊文春 2002年7月11日号).

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[B!] 大晦日と体重

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番組では「びまん性大細胞型B細胞リンパ腫」という病名や、病状などを説明した笠井アナ。 治療期間は4~6ヵ月かかるそうでMCの小倉智昭が「あなた休みながら仕事したがるから、それが心配なんだよね。 安静だからね?」と話を振ると、笠井アナは図星を突かれたような表情を見せた。 笠井アナは「でもまぁ……書いたりはできるんじゃないかなと」と言い、「やっぱり発信していかなければって思いがどこかにある。 ブログも入院したら始めようと思ってる」とブログ開設を予告。 番組のテロップでは「『笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい』で闘病生活をつづる」とブログのタイトルも紹介された。 ブログ開設の理由について笠井アナは、長期間テレビなどから姿を消すことに不安があると明かし、「どこか繋がっていたいという思いがある。 それが自分の(闘病の)助けになるんじゃないかなと。 甘えなんですけど」とコメント。 さらに「同じ病気の人たちのためにとかあまりそういうところまでいけてなくて、自分が頑張ってる姿を見て、もしかしたらそれで共感してくださる方もいるかもしれませんけど、誰かが自分の戦いを見ていてくれることで自分の力づけにしようとしてます」と正直な思いを語った。 また、『とくダネ!』では笠井アナの闘病に完全密着する模様をシリーズで放送することがテロップで告知された。 《松尾》.

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人生につまづいたら知ってほしい、人生プラス、マイナス、ゼロの法則

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16日のイベントで司会を務めていた笠井。 いつも通りの軽妙なトークで沸かせていた 悪性リンパ腫が公になった元フジテレビのフリーアナウンサー、笠井信輔(56)が、今月上旬の告知後もほぼ連日、仕事を続けていることが18日、分かった。 所属事務所を通じて病名を正式発表したこの日も、民放の情報番組の収録に参加。 19日には9月末に退社した古巣のフジテレビ系「とくダネ!」(月~金曜前8・0)に生出演し、近日中に控える入院を前に病状報告を行う。 悪性リンパ腫を公表したこの日、笠井のインスタグラムにファンや同じ病の患者らから激励のコメントが相次いだ。 「また元気な笑顔を見せてください!待ってますよ」「同じ病気です。 絶対に負けないでください。 」「私は治らないタイプの悪性リンパ腫のステージ4です。 今は良い病院で良い先生に会えて抗がん剤やってます。 1歳の娘のために、私は生きないといけない」などの声が寄せられた。 笠井は新たに始めるブログ「人生プラマイゼロがちょうどいい」で闘病生活を明かす予定という。

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