岡山 県 中学校 吹奏楽 連盟。 西湘吹奏楽連盟

第59回 岡山県吹奏楽コンクール 結果

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置賜の吹奏楽史は、明治時代に米澤新聞社が結成した米澤音楽隊までさかのぼる。 その一員だった(さとる)はのちに陸軍戸山軍楽隊長に就任すると共に、作曲家として山田耕筰とも肩を並べた。 戦前の街にはときおり商用の楽隊がパレードし、戦時中は青年団や小学校に戦意高揚のための楽隊が組織されたが、終戦と共に幕を下ろした。 戦後復興が進む1950年(昭和25年)、米沢工業高校に新たにブラスバンドが創設された(片桐 力)。 56年に米沢二中(増子 力)、翌年米沢三中(高山 恭)がこれに続き、両バンドが上杉まつりのパレードや皇族の歓迎演奏などで市民を活気づけた。 58年に米沢市役所職員による音楽隊が結成され、同年11月の山形県吹連結成記念第1回定期演奏会に米沢二中・三中と共に出演している。 この気運の高まりを受け、各校にブラスバンドが次々に誕生した。 61年、米沢興譲館高(三用千秋)、長井中(堀江謙太郎)、小国中(斎藤庄四郎)、宮内中(山川正吾)。 62年、米沢四中(高山 恭)。 63年、宮内高(鈴木秀夫)、置賜農業高(村岡 崇)、米沢商業高(阿部 亨)、米沢中央高(長南幸男)、米沢一中(増子 力)、飯豊中(長谷部玲子)。 64年、米沢女子高(九里茂三)、新山(しんざん)中(布川 裕)、65年、米沢五中(梅村豊子)、長井高(近野和夫)、長井工業高(荘司也夫)、高畠高(武田恵子)などである。 資金の捻出やメンバー選び、慣れない楽器指導など、各学校・担当教員の苦労は想像に難くない。 63年に吹奏楽コンクール第1回山形県大会が開催され、小国中(梅津庄四郎)と米沢市役所音楽隊(三用千秋)が参加した。 このうち米沢市役所は東北大会を経て吹奏楽コンクール全国大会の職場の部に初出場した(岐阜市民センター、『エグモント序曲』、8位)。 翌年の県大会には米沢二中・三中・四中、長井中、興譲館高も加わった。 70年に置賜地区吹奏楽連盟が結成された。 初代会長は平井久吾、初代理事長は増子 力で、米沢三中に事務局を置いた。 主な事業は次の通り。 定期演奏会(兼吹奏楽コンクール地区大会): 70年に開始。 当初は各学校の体育館で開催していたが、90年頃から長井市民文化会館に会場を移し、2日間の日程で行っている。 〈吹奏楽連盟定期演奏会〉の名称でコンクール予選を行っている例は全国的にも珍しいといわれる。 アンサンブルコンテスト地区大会: 73年に開始。 当初は各学校の音楽室や体育館等で開催していたが、現在は会場を高畠町文化ホールまほらに固定し、2日間で開催している。 講習会: 71年に開始し、指導者向け、中高生向けなどを工夫してきた。 近年は米沢吹奏楽愛好会による中高生対象の楽器講習会を開催している。 64年、興譲館高の吹奏楽研究部(現・吹奏楽研究クラブ)が米沢市公会堂で第1回演奏会を開いた。 生の演奏に接する機会が少なかった当時、市民から大いに歓迎された。 同校は71年以後、コンクール東北大会の常連校としての地位を築いていた。 三用の上品な音楽が開花し、71年『リンカンシャーの花束』、72年の『小組曲』(バルトーク)、75年『キャンディード序曲』といった流行に拘泥しない選曲、精神性を真摯に追求した音楽芸術が審査員をうならせた。 76年に引き継いだ佐々木捷人の指揮で、同校は78年に第2回全国高校総合文化祭に初の県代表として出場した(兵庫・明石市民会館)。 先進的な選曲は受け継がれ、80年の『中国の不思議な役人』、82年の『カルミナ・ブラーナ』などに展開され、東北大会に83年まで通算9回出場した。 71年、興譲館高OBの川島良博や大嶋憲治、米沢商業高OBの金子 晃らが集い、米沢市吹奏楽愛好会を結成した(現・米沢吹奏楽愛好会、初代会長:川島良博)。 愛好会はこの年から3年連続で東北大会に進出した(戎谷 宏、三用千秋)。 77年から再び連続して東北大会に出場し(斎藤道郎、三用千秋、丸山善彦、金子 勉)、安定した力をつけていった。 愛好会のアンサンブルは早くから全国をリードした。 木管3重奏(写真:長谷部裕彦、高橋 晃、長谷川茂則)が77年度の第1回アンサンブルコンテスト全国大会に出場するや金賞を受賞し、6年連続出場する中で79、81、82年度にも金賞に輝いたことは特筆に値する。 また85年度の全国大会では金管8重奏(写真:黒田 靖、黒田 聡、金子 勉、大沼浩一、伊藤裕之、後藤 敦、宮沢 誠、高橋宏治)が金賞を受賞した。 同グループは87年度にも全国大会に出場し、その後米沢ブラスウィンズを結成して活躍している。 各団体も70~80年代に初期の発展をとげた。 米沢商業高は68年に初の演奏会を開き、71年以降は毎年演奏会を開いている。 音楽室も音楽科教員も置かない同校は、OB組織である同友会が活動を支えていたが、76年に赴任した中嶋光紀の指導で力をつけ、79年にAクラスで東北大会に初出場を果たした。 米沢女子高は68年から演奏会を始めた。 71年に島森 浩を顧問に迎え、マーチング・ドリルを含むユニークな定期演奏会を続けた。 長井高は コンクール県大会のCクラスで68年から3年連続で最優秀賞に輝いた。 71年からは定期演奏会を開始した。 73年以降は卒業生の淀 彰の編曲で毎年コンクールに臨み、75年にはBクラスで東北大会に出場した(板垣敏之)。 米沢東高は音楽部の中に吹奏楽班が位置づけられ、74年に始まった定期演奏会では声楽、弦楽、吹奏楽の各班の発表と3班合同という構成をとっている。 創部当時は生徒だけの活動だったが、坂野洋子の指導で力をつけ、80~81年にBクラスで東北大会に出場した。 中学校では米沢一中が71年にBクラスで東北大会出場を果たした(酒井原芙美)。 70年代はAクラスの長井中(会田 隆)、Bクラスの米沢三中(増子 力)、白鷹西中(土屋和彦)、Cクラスの新山中(上野謙二郎)等が県の上位に名を連ねていた。 76年に新山中が置賜の中学校として初の定期演奏会を開き、84年に米沢四中(名和生公)、87年には米沢一中(上野謙二郎)も定期演奏会を始めた。 新山中の演奏会は学校統合で川西中を経て川西一中に引き継がれている。 実力を高めていた米沢吹奏楽愛好会は、84年にコンクール全国大会に初出場を果たした(愛知・名古屋市民会館、指揮:遠藤敏男、『古いアメリカ舞曲による組曲』、銅賞)。 86年(兵庫・アルカイックホール、指揮:金子 勉、『ロメオとジュリエット』、銅賞)、87年(愛知・豊田市民会館、指揮:箕輪 響、『ハーリ・ヤーノシュ』、銀賞)、88年(埼玉・ソニックシティ、指揮:遠藤敏男、『メキシコの祭』、銀賞)にも連続出場し、置賜から全国大会への道を開拓した。 87年5月には作曲家アルフレッド・リードを客演指揮者に招き、特別演奏会を催した。 その後91年(広島厚生年金会館、指揮:中嶋光紀、『シェエラザード』、銅賞)、94年(静岡・アクトシティ浜松、指揮:淀 彰、『ロメオとジュリエット』、銀賞)にも全国大会に進出し、全国区のバンドとしての地位を築いた。 中学Bクラスは80年代後半から県代表の座を置賜で争った。 87~90年の4年連続で長井南中(土屋和彦)、93年と95年に米沢一中(上野謙二郎、菅野賢二)、96年の飯豊中(土屋ユミ子)は置賜の中学・高校を通じて初の東北大会金賞をもたらした。 97年に米沢一中(菅野賢二)も金賞を受賞し、規定の変更でBクラス最後となった99年は米沢二中(村上泰裕)が初出場した。 これ以外の部門でも、86~88年に小学校の部で米沢南部小(松本恵子、井上直之)、89年に中学Aクラスの米沢四中(名和生公)、96年に高校Bクラスの米沢東高(山田豊信)が東北大会に出場している。 米沢商業高は持ち味のサウンドに中嶋光紀の緻密な理論が加わった芳醇な〈米商サウンド〉が根強いファンをもっていた。 93年の東北大会出場が評価され、翌94年に全国高校総合文化祭に派遣された(愛媛県民会館)。 勢いに乗る同校は96年に念願のコンクール全国大会に初出場した。 〈米商サウンド〉は普門館に響き渡り、県内の高校初の銀賞を受賞(写真:東京・普門館、『オマージュ』)、大会翌日には阪神大震災支援の演奏会Band Aid for Hansin '96にも出演した(東京・パルテノン多摩)。 98年には全日本高等学校吹奏楽大会(青森市文化会館、指揮:森 綱一郎)にも出演した。 小編成部門には02年に東北大会と東日本学校吹奏楽大会への道が開かれた。 この年、米沢二中(村上泰裕)と高畠一中(金子研司)がそろって東北大会に出場し、米沢二中が東北代表として東日本大会に初出場した(写真:宮城・イズミティ21、『メリー・ウィドウ』、銀賞)。 また、同じ曲目で日本管楽合奏コンテスト全国大会にも初出場し、最優秀賞を獲得した(東京・文京シビック)。 同校は04年まで通算5回東北大会に出場した(村上泰裕、佐藤直子)。 近年東北大会には、04~06年に米沢東部小(神野孝幸)、06年に米沢商業高(丸山善彦)、06~07年に米沢七中(加藤公一)が進出している。 飯豊中は06年に東北大会に小編成で返り咲き、東北代表として東日本大会に初出場(宮城・イズミティ21、指揮:紺野由樹、『ロメオとジュリエット』、銅賞)、翌年も東北大会に進出した(安達郁恵)。 アンサンブルコンテストを振り返ると、東北大会に出場した団体としては、米沢東部小、南部小、米沢一中、三中、四中、五中、七中、長井南中、新山中、飯豊中、米沢興譲館高、米沢東高、米沢商業高、米沢工業高、愛好会、米沢ブラスウィンズ、長井理研、アンサンブル・エザルタートがあげられる。 愛好会以外では米沢工業高が80年度に金管八重奏で、米沢四中が01年度と05年度に打楽器八重奏で金賞を受賞している これまで置賜が輩出したプロ・アマの演奏家は数え切れない。 吹奏楽指導者では井田重芳(東海大学第四高)、淀 彰(国立音楽大学)、渡部謙一(北海道教育大学)らが名を連ねる。 また、村上泰裕は96年に著書『アルフレッド・リードの世界』を刊行している(佼成出版社)。 03年秋、で「国民文化祭やまがた2003吹奏楽の祭典」が開催され、全国の優秀団体が演奏を繰り広げた。 これを機会に「吹奏楽の日コンサート」が始まり、加盟団体の発表と交流の場になっている。 一方、アンサンブルの発表会として米沢商業高が92年度に始めた「アンサンブル・フェスティバル」は年々規模を拡大し、高文連に主催を移して継続している (現在は継続していない)。 04年、映画が公開された。 前年に置賜各地でロケが行われ、高畠高、九里学園高、置賜農業高、米沢商業高、南陽高、長井高、荒砥高の各吹奏楽部員や顧問らが賛助出演した。 その後、川西町では映画のラストシーンを再現したを続けている。 長井高が03年に行った「2万人アンケート」による演奏会、米沢東高が07年に始めた〈バロック音楽演奏会〉は、新しい試みとして注目されている。 演奏会を大事にする誠実な音楽風土であると共に、全国水準のバンドや人材を輩出してきた置賜の吹奏楽の半世紀は、高く評価されている。 雄大な山並みに囲まれ人情の厚い風土にあり、先駆的指導者に恵まれその指導を受け入れる温かさ、顧問同士の仲が良く常に協力的であったこと、さらに米沢吹奏楽愛好会が手本を示し後進を導いたことなどが、置賜の吹奏楽を育んだ。 音楽で結ばれた絆こそが最大の要因だったと思われる。 置賜は新たな半世紀に入りつつある。 関東・関西地区に比べ情報や刺激の不足は避けられず、社会・教育面での今日的課題にも直面している。 置賜のこんにちの吹奏楽を築いた諸先輩も年輪を重ねつつある。 次世代を担う指導者の育成、練習メニューなど情報の共有と全体水準の向上、全国に通用する雄弁な音楽作り、少子化と男子部員不足への対応、市民からの理解の向上や関係諸分野との連携など、時代を見つめ、その先を見越した新たな進展にさらなる希望を託したい。 ニュース・近況 5月6日 自宅にこもっています。 全音スコア、2月にグリーグ『ペール・ギュント 組曲第1番・第2番』、4月にボロディン『中央アジアの草原にて』を発売しました。 楽譜作成担当です。 2020年1月7日 明けましておめでとうございます。 ネリベルイヤーが予想を超える感動で終了、リード生誕100周年まで365日を切り、お尻に火がついています。 未解明の原曲情報や曲の誤植情報について、皆様のお力を借りなければならない段階に入ってきました。 何でも良いのでお気づきのことをお知らせください。 10月10日、『バンドジャーナル』11月号にネリベルの作品について書きました。 9月10日、『バンドジャーナル』10月号にネリベルの生涯について書きました。 次号に続く。 7月15日、全音スコア、レスピーギ「リュートのための古風な舞曲とアリア第1〜3組曲」発売予定です。 全曲のオリジナル楽譜(歌、リュート他)を発掘し、現代譜で紹介することができました。 4月21日、出演予定です。 全音スコアやネリベル関係等で、年末まで多忙のようです。 3月15日、全音スコア「組曲 眠れる森の美女」、4月15日「組曲 白鳥の湖(10曲抜粋)が発売されました。 楽譜制作担当。 2019年 明けましておめでとうございます。 ネリベル生誕100年、ネリベルイヤーが始まりました。 その間、対応が遅くなる可能性があります。 ご理解をお願いいたします。 10月15日、全音スコア、メンデルスゾーン《交響曲第3番「スコットランド」》が発売になります。 9月24日、ヴァーツラフ・ネリベルの99歳の誕生日です。 来月15日、全音スコア、メンデルスゾーン《交響曲第3番(スコットランド)》が発売予定です。 楽譜制作担当。 多忙で告知が追いついていません。 をご覧ください。 2018年1月17日、明けましておめでとうございます。 全音スコア、ボロディン(楽譜制作担当)が発売になりました。 10月15日、全音スコア、チャイコフスキーが発売されました(楽譜制作担当)。 9月30日、転居しました。 実家に戻った形です。 新住所が必要な方は個別にご連絡ください。 8月15日、全音スコア、チャイコフスキーが発売されます(楽譜製作担当) 6月17日、ネリベルの吹奏楽曲『セレモニー』が鶴岡東高等学校(山形県)によって日本初演されました。 昨年、ネリベル夫人からお預かりした楽譜を当方で整理したものです。 国内レンタルを開始するつもりでしたが、まもなくドイツで出版の予定です。 6月16日、NHK Eテレので「バルトークの管弦楽のための協奏曲」が放映されました(資料提供)。 5月15日、全音から三大教則本の1つの新版が発売されました(譜例担当)。 3月22日、ネリベルの21回めの命日です。 先週、全音から(本体+ピアノ譜。 CDつき)が発売されました(楽譜製作担当)。 2017年2月17日。 多忙で新年のご挨拶もできませんでした。 (ニュースのバックナンバーは).

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全日本吹奏楽コンクール、全日本小学生バンドフェスティバル、全日本マーチングコンテスト(いずれも全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中止が発表された10日。 活動休止が続く県内の吹奏楽部員は無念さをにじませつつ、それでも前へ進みたい、と語った。 8月に予定されていた県吹奏楽コン、9月の県小学生バンドフェス、県マーチングコンテストも全て中止となった。 3大会の中国大会も中止が決まった。 県吹奏楽連盟の佐藤道郎理事長は「開催に向け準備してきたが、健康や命を守る方がやはり重い」と説明。 最後の年を迎える生徒らには「音楽が人々に与える力の大きさは実感していると思う。 打ち込んできた日々は必ず後に生きる」とエールを送った。 「実感がわかない。 演奏を見てもらえる機会が無くなったことが悲しい」。 岡山学芸館高の吹奏楽部の菱沼直部長(3年)は語った。 全国大会に6年連続出場し、昨年までの3年はいずれも最高賞の金賞。 「先輩を超えようと、楽しみ、頑張ってきた」 休校になった3月から2カ月半、全部員での練習はできず、新入部員も受け入れていない。 休校は今月末まで続く。 部のブログには「3年間という短い時間。 少しでも無駄にしたくない。 日増しにそんな気持ちが強くなります」と複雑な心境も書き込まれた。 次の目標は9月、岡山シンフォニーホール(岡山市北区)である定期演奏会。 3年生には最後の舞台となる。 菱沼君は「またみんなで演奏できれば、全部帳消し。 元の生活に戻るのを楽しみに頑張りたい」。 顧問の中川重則教諭(51)は「音楽が出来なくなるわけではない。 今は自分たちが成長する時間と考えて欲しい」と話した。 5年連続の全国大会を目指した明誠学院高。 河野虎雅(かわのとらまさ)部長(3年)は中止の発表後、「残念だが仕方ない。 しっかり前を向いて進んでいこう」と他の部員へメッセージを送った。 返信に悲観した内容はなく「部活再開に向け、元気でまた会おう」などとやりとりしたという。 4月上旬、休校が決まり、いったん再開した部活が再びストップした。 多くの部員が泣いて悔しがった。 顧問の稲生健(いのうたけし)教諭(55)は「ピンチはチャンス」と名付けたノートを作り、部員は自宅での練習内容などを記録。 自宅で音を出せない部員のため、課題曲をイメージした絵を描かせるなど工夫を凝らした。 登校日に提出させたところ、「はやく音楽がしたい」「みんなに会いたい」と気持ちを吐露する記述がいくつもあった。 それだけに「部員たちは例年以上に苦労して練習した。 その分、本当につらい」。 12月の定期演奏会が次の目標だ。 「苦しいからこそ、笑顔で未来に向かって歩んで欲しい」と語った。 (華野優気、田辺拓也).

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全日本吹奏楽コンクール、全日本小学生バンドフェスティバル、全日本マーチングコンテスト(いずれも全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)の中止が発表された10日。 活動休止が続く県内の吹奏楽部員は無念さをにじませつつ、それでも前へ進みたい、と語った。 8月に予定されていた県吹奏楽コン、9月の県小学生バンドフェス、県マーチングコンテストも全て中止となった。 3大会の中国大会も中止が決まった。 県吹奏楽連盟の佐藤道郎理事長は「開催に向け準備してきたが、健康や命を守る方がやはり重い」と説明。 最後の年を迎える生徒らには「音楽が人々に与える力の大きさは実感していると思う。 打ち込んできた日々は必ず後に生きる」とエールを送った。 「実感がわかない。 演奏を見てもらえる機会が無くなったことが悲しい」。 岡山学芸館高の吹奏楽部の菱沼直部長(3年)は語った。 全国大会に6年連続出場し、昨年までの3年はいずれも最高賞の金賞。 「先輩を超えようと、楽しみ、頑張ってきた」 休校になった3月から2カ月半、全部員での練習はできず、新入部員も受け入れていない。 休校は今月末まで続く。 部のブログには「3年間という短い時間。 少しでも無駄にしたくない。 日増しにそんな気持ちが強くなります」と複雑な心境も書き込まれた。 次の目標は9月、岡山シンフォニーホール(岡山市北区)である定期演奏会。 3年生には最後の舞台となる。 菱沼君は「またみんなで演奏できれば、全部帳消し。 元の生活に戻るのを楽しみに頑張りたい」。 顧問の中川重則教諭(51)は「音楽が出来なくなるわけではない。 今は自分たちが成長する時間と考えて欲しい」と話した。 5年連続の全国大会を目指した明誠学院高。 河野虎雅(かわのとらまさ)部長(3年)は中止の発表後、「残念だが仕方ない。 しっかり前を向いて進んでいこう」と他の部員へメッセージを送った。 返信に悲観した内容はなく「部活再開に向け、元気でまた会おう」などとやりとりしたという。 4月上旬、休校が決まり、いったん再開した部活が再びストップした。 多くの部員が泣いて悔しがった。 顧問の稲生健(いのうたけし)教諭(55)は「ピンチはチャンス」と名付けたノートを作り、部員は自宅での練習内容などを記録。 自宅で音を出せない部員のため、課題曲をイメージした絵を描かせるなど工夫を凝らした。 登校日に提出させたところ、「はやく音楽がしたい」「みんなに会いたい」と気持ちを吐露する記述がいくつもあった。 それだけに「部員たちは例年以上に苦労して練習した。 その分、本当につらい」。 12月の定期演奏会が次の目標だ。 「苦しいからこそ、笑顔で未来に向かって歩んで欲しい」と語った。 (華野優気、田辺拓也).

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