殿 利息 で ござる 実話。 『殿、利息でござる!』ネタバレ・あらすじ・感想。ロケ地や原作(実話)を紹介。

《殿、利息でござる》 実話映画 あらすじ・キャスト相関図・主題歌

殿 利息 で ござる 実話

そもそもこの『無私の日本人』を書いたきっかけは、同じく幾田先生原作の『武士の家計簿』を観た、宮城県吉岡在住の方が「うちの地元に凄い実話がある」とファンレターで教えてくれたのが切っ掛けだったとの事。 今も残る『國恩記』や、その方が調べた史実の本を基に、磯田さんが今作を書き上げたのだが、残念ながら東北大震災もあり、その教えてくれた方とは会えず仕舞いで、病気で亡くなられてしまったそうだ。 しかし、この時期にこの実話が後世に蘇ったのは、昔の人が頑張れ!とメッセージを伝えてくれたのではないかと、何か因縁めいたものを感じる。 それ位、この実話は凄い話だった。 十三郎、甚内の兄弟や、お茶屋の篤平治、肝煎り、大肝煎り、地元の代官様…と、元々東北には昔から人柄が良い人が多いのか、よくぞこの時期にこれだけの善人が揃ったものだ。 それに敵役だと思っていた萱場も、最後に味な事をやってくれた。 タイトルは、若い人が劇場にたくさん行ってくれる様に、コメディタッチな感じに付けたのだろうが、原作の『無私の日本人』のままの方が、もっと歴史好きな人にアピールできたのではないだろうか。 ちょっともったいない。 現代の日本人でも衝撃を受けたのだから、外国の人が観たら、もっとびっくりするだろうな。 返信を投稿• ちょっともったいない。

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尊い実話「殿、利息でござる!」

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Contents• 「殿、利息でござる!」の原作や元になった実話とは? この映画の原作は、 磯田道史が書いた「無私の日本人」です。 磯田道史さんは加賀藩のそろばん 侍・猪山直之を題材にした映画「武士の家計簿」の原作者としても知られています。 磯田さんは「武士の家計簿」の映画が好評を博したのち、「殿、利息でござる!」のゆかりの地に住む吉田勝吉という人からの手紙をきっかけに、古文書「國恩記」に出会い、穀田屋十三郎達と吉岡宿のエピソードに涙したそうです。 実話の出来事は、現在の宮城県黒川郡大和町吉岡が舞台で、18世紀後半、仙台藩が七代藩主・伊達重村の時代なのだとか。 吉岡宿は、仙台藩から「伝馬役」という宿場の運搬係のような仕事を命ぜられていました。 でも、宿場は半独立領主である但木氏の領地だったので、役目に見合った助成金を受けることができず、 非常に不条理な状態になっていたんですよね。 藩主伊達重村は、幕府に対し官位を求める運動に大金を必要としていました。 老中たちへの付け届けだけでなく、お手伝い普請という幕府命令の土木工事も引き受け、内情は火の車だったと言えますね。 吉岡宿では庶民たち自ら立ち上がり、事態解決のための一大事業が行われるのです。 「殿、利息でござる!」の酒屋と現在の様子は? 映画の主人公・穀田屋十三郎の御子孫は、 現在も「酒の穀田屋」を営業しているのだそうです! 酒の穀田屋さん、利息でござる!、利息でござる — 秘密 romanceblossom 映画の最後に、先代の浅野屋甚内が宿場町を見渡しているシーンから、現在の街並みの映像に切り替わって日常風景が映されていますが、あれはおおよそ現実なんですね。 十三郎本人は、先述のことが成就して4年後には亡くなってしまいました。 亡くなる前に 十三郎が子孫に残した家訓は下記のような内容になります。 貴重な資料が展示され、映画の小道具も。 ガイドさんが熱心に説明してくれた。 さらに、穀田屋さんにも行けた。 お店オリジナル日本酒を購入。 — くらげ hiroboyunapo 「殿、利息でござる!」の浅野屋甚内の現在は? では、映画で穀田屋十三郎の弟が、兄を差し置いて継いだという浅野屋甚内の造り酒屋兼質屋はどうなっているでしょう。 残念ながら、現在 浅野屋はなく、「跡地」としてパネルが立っているだけになります。 この辺りを訪れるには、まず「吉岡宿本陣案内所」からスタートするとよいでしょう。 映画の全国上映をきっかけに2016年5月7日にオープンしました。 「国恩記」ゆかりの場所を巡回する起点となる場所です。 「殿、利息でござる!」で実際に使用された品々を見ることもできるそうですよ。 浅多商店さんのHPは 映画に出てきた 「伊達のお殿様が名付けた銘柄」というシーンは、 実話に基づいていたんですね。 「殿、利息でござる!」のロケ地は? それでは、「殿、利息でござる!」のロケ地をチェックしてみましょう。 広い敷地にみちのくならではの古民家が多数移築された、味わい深い公園です。 具体的にどの民家が使われたかはわかりませんが、花がきれいなシーズンを狙っての訪問が素敵です。 ・松ヶ岡開墾場新徴屋敷(山形県鶴岡市羽黒町) 開墾場の一角に建つ新徴屋敷。 庄内城下に移住した新徴組隊士の屋敷だったのを松ヶ岡開墾に合わせて開墾士の館として移設したそうです。 石葺きの屋根が特徴的な簡素な建物です。 (E) — 躑躅ヶ崎歴史案内隊 KoufuSamurais 19世紀の建物が復元されています。 おそらく屋内の撮影に多く使われたのではないでしょうか。 クライマックスで十三郎をはじめとする吉岡宿の面々が正装で出入司・萱場杢と対面する場所でした。 宮城の地元以外では、この松代付近が多くロケ地に使われました。 歴史探訪にぴったりの街です。 「殿、利息でござる!」のあらすじ さて、穀田屋十三郎や弟浅野屋甚内ほか有志が目指した吉岡宿を豊かにする解決策とは…。 何と「伊達のお殿様に千両を貸し付けて利子をとる」というものでした! 大胆かつ、一歩間違えば一揆のように首が飛ぶ事業です。 そもそも貧乏だから悩んでいるのに、どうやって元金の千両(今でいう約3億円の価値)を集めるのか。 地元の篤志家たち9人によるなみなみならぬ努力が展開されます。 決して返ってこないお金のため、十三郎は金目の道具はすべて売り、甚内は店を傾けてまで蓄財を注ぎ込みます。 何とか無理やり貯めた銭・寛永通宝や文銭を、今度は小判の切り餅に換金するのにまた一苦労。 足かけ8年で、ようやく「金貸し」を藩に申し出ることが可能になり、宿場町の将来に希望を持つことができるようになったのでした。 そこにある精神は「みんなで幸せになる」ということ。 しかも「決して自慢しない」こと。 彼らの「世のため人のため」の偉業は、長年地元のお寺・龍泉院の和尚栄州端芝が記した「國恩記」にのみ伝えられていたのです。 まとめ いかがでしたか。 「自分の店がつぶれてでも町を守る」なんて、当時にしても斬新すぎる発想だったでしょう。 利益追求にならないように千両の利子は全て町のために使い、しかも自分たちが元金の提供者であることは秘匿事項。 まさに古くからの美徳「無私の心」です。 また、実際に下々からの仰天な申し出を吟味し、藩として承認したお殿様・伊達重村もたいした人物だったと言えますね。 ちなみに、映画の中では、お殿様がわざわざ浅野屋を訪れ、ねぎらいの言葉をかけるシーンもあります。 ここにも「世のため人のため」の心がうかがえますね。

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殿利息でござるの利息・殿、利息でござる!・テレ東が話題

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あらすじ [ ] (明和3年)の領内の宿場町・。 仙台藩の宿場町には宿場町間の物資の輸送を行う「」が課せられており、通常は藩より宿場町に助成金が支給されているのだが、吉岡宿は藩の直轄領ではないため助成金が支給されていなかった。 このため、伝馬役にかかる費用は全て吉岡宿の住人が負担して町は困窮し、破産者夜逃げ者が相次ぐ有様であった。 このような町の有様を案じていた造り酒屋の当主・は、町の窮状を訴えるため、代官に訴状を渡そうとするが、京から帰ってきたばかりの茶師・菅原屋篤平治に命が危険であると止められる。 ある日の晩、未亡人ときが営む煮売り屋「しま屋」で篤平治と偶然一緒になった十三郎は、吉岡宿を救う手立てが何かないか相談する。 篤平治が出した策は、吉岡宿の有志で銭を出し合い藩に貸して利息を取り、それを伝馬役に使うという奇策であった。 百姓がお上にお金を貸すなど、案を出した当の篤平治ですら夢物語と言うほど現実味がない策のように思われたが、十三郎は策の実現のため、同志集めと銭集めに動き出す。 十三郎と篤平治は吉岡宿の実力者である遠藤幾右衛門と千坂仲内を説得して同志に引き入れ、秘密裏に銭集めを進めていくが、十三郎たちの行動は次第に吉岡宿の人々の関心を集めるようになり、周囲に諭されて銭を出す者や名誉欲に駆られて銭を出す者も現れ出した。 また、私財を売り払ってまで銭集めに奔走する十三郎に対し、息子の音右衛門が反発するなど問題が山積していた。 そんな中、十三郎の弟で実家の造り酒屋浅野屋を継いでいた甚内が協力を申し出て、目標額の千両に相当する5千貫文を集めた。 出資する商人が尊敬を集める一方で出資しない商人が蔑まれるなど宿場内に出始めた不和を心配した千坂は銭を出した商人たちに徹底的に慎みを求め、子々孫々にいたるまで出資を自慢せず、上座に座る事もなく慎ましい生活を送る事などを誓わせる。 しかし、十三郎たちの申し出は、代官橋本権右衛門、郡奉行・今泉七三郎を経て仙台藩庁に提出されるが、出入司の萱場杢に却下されてしまう。 人々は策を諦めかけるが、守銭奴と悪評が立っていた先代・浅野屋甚内が、伝馬役の免除のために銭を貯めていたことが分かり、吉岡宿のために動いてくれていた先代甚内に感銘を受けた吉岡宿の人々や代官・橋本の活動により、萱場は申し出を受け入れる。 しかし、「藩は銭 貫文 は取り扱わないので、金 両 で納めるように」と言われる。 藩は財政難で銭を乱発していたため交換比率が下がっており、さらに銭が必要となった。 吉岡宿の人々が各々銭を工面するが銭が足りず、最終的に甚内が酒屋である浅野屋を潰すほど出資したり、音右衛門が仙台に奉公に出て10年分の給料を前借りするなどして千両を揃えた。 十三郎たちは萱場から報奨金を受け、浅野屋のために銭を渡そうとするが甚内はその銭さえも宿場の人々に分け与えようとして固辞。 そこへ藩主・が現れ、3つの酒名を与えて浅野屋を潰さぬよう命じた。 登場人物 [ ] 造り酒屋・穀田屋• - :穀田屋の当主。 生まれは浅野屋で、穀田屋には幼少期に養子に出された。 吉岡宿の窮状を見て、その行く末を案じている。 加代 - :穀田屋十三郎の娘。 穀田屋音右衛門 - :穀田屋十三郎の息子。 私財を売り払ってまで吉岡宿を救おうとする父に反発する。 茶師・菅原屋• 菅原屋篤平治 - :茶師。 自称吉岡宿一の知恵者。 なつ - :菅原屋篤平治の妻。 京の都の生まれ。 造り酒屋・両替屋 浅野屋• 浅野屋甚内 - :吉岡宿一の大店である浅野屋の当主。 穀田屋十三郎の弟。 先代同様の守銭奴と思われていたが、十三郎の計画に協力する。 きよ - :穀田屋十三郎と浅野屋甚内の母。 先代・浅野屋甚内 - :浅野屋の先代主人。 穀田屋十三郎と浅野屋甚内の父。 吉岡宿の住人からは守銭奴であると思われている。 その他吉岡宿関連の人物• とき - :煮売り屋「しま屋」の女将。 遠藤幾右衛門 - :吉岡宿の• 千坂仲内 - :吉岡宿他40か村をまとめる大肝煎。 穀田屋十兵衛 - :味噌屋。 穀田屋 十三郎の叔父。 早坂屋新四郎 - :雑穀屋。 穀田屋善八 - :小物問屋。 遠藤寿内 - :両替屋。 栄洲瑞芝 - :龍泉院の住職。 事の顛末を後世に伝えるため、「国恩記」を記す。 利兵衛 - :伝馬人足• 卯兵衛 - :伝馬人足• 伝五郎 - :伝馬人足• 幸右衛門 - :伝馬人足• 平八 - :伝馬人足 仙台藩• - :仙台藩第7代藩主。 萱場杢 - :仙台藩の出入司(財政担当者)• 橋本権右衛門 - :代官• 八島伝之助 - :代官• 今泉七三郎 - :郡奉行 スタッフ [ ]• 原作 - 『無私の日本人』所収「穀田屋十三郎」刊)• 監督 -• 脚本 - 、• ナレーション -• 音楽 -• 主題歌 - 「」• 撮影 -• 照明 - 岡田佳樹• 録音 - 松本昇和• 音響効果 - 伊藤瑞樹• 美術 - 新田隆之• 編集 -• 助監督 - 佐和田恵• 特殊メイク -• 所作指導 - 、清家一斗• アクションコーディネーター -• ロケ協力 - 、、せんだい・宮城フィルムコミッション、ながのフィルムコミッション、新潟県フィルムコミッション協議会 ほか• スタジオ -• 企画協力 -• アソシエイトプロデューサー - 稲垣竜一郎• ラインプロデューサー - 湊谷恭史• エグゼクティブプロデューサー - 武田功、安達英雄• プロデューサー - 、三好英明、鎌田恒幹• 製作総指揮 - 大角正、両角晃一• 制作・配給 -• 企画・製作幹事 - 松竹・東日本放送• 制作プロダクション -• 製作 - 『殿、利息でござる!』製作委員会(松竹、、、、、、、、、、、ザフール、、) 制作 [ ] 映画『』を観たの元町議会議員・吉田勝吉が、原作者の磯田道史に「この話を本に書いて広めて欲しい」と手紙で託したのをきっかけに「穀田屋十三郎」を含めた『無私の日本人』を出版。 2014年、が開局40周年記念事業の一環で、映画製作をに依頼。 「無私の日本人」を読んだ京都の読者が東日本放送に勤務している娘に送り、感動した娘が同社勤務の同僚に薦め、同僚が元同僚に薦めた。 その元同僚が中村義洋の妻で「無私の日本人」を中村に見せた。 「無私の日本人」に感動した中村が東日本放送に映像化を掛け合うが、最初に難色を示す。 映画化した決め手は、東日本放送社長が「無私の日本人」に感動して映像化を許可したことだった。 磯田はこの流れを「感動のドミノ」と称した。 この作品はから5年目を意識した地方再生もテーマにしている。 クランクインは7月6日、宮城県とを中心に8月末まで撮影された。 役を演じた、仙台出身の選手の特別出演は、中村が「役者陣を圧倒するのはもはや役者ではない」と言い出したのがきっかけ。 羽生は故郷の仙台に実在した人物の感動秘話に出演を快諾。 撮影当日まで羽生の特別出演は極秘扱い、リハーサルで現れた羽生の姿に役者陣は歓声をあげた。 公開 [ ] 3月16日にで完成披露プレミア試写会を開催 から宮城県内7館で先行公開。 宮城県内先行公開期間(5月7日から5月13日まで)は、動員2万9,199人、興収3,488万3,200円を記録。 5月14日に全国308スクリーンで封切られ、公開初週2日間で観客動員15万9,690人、興行収入1億9,488万1,200円を記録し、映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場2位にランクインした。 5月29日に行われたの社長定例会見の時点では、75万6,000人、興行収入が9億200万円と発表。 宮城県内にあるでは、公開1か月以上経ってもからも見に来るなど、平日でも1回の上映で100人超の入場者数が出ることもあった。 に初めて来る年配者も少なくないという。 6月20日、東日本放送で放映されている『』で観客動員100万突破を発表。 東日本放送公式ツイッターでも公表。 9月7日、文化通信で興行収入が13億突破。 あわせて宮城県のシェアが13%と公表。 9月7日、台湾で放映、地元の名前は「殿下萬萬稅」 脚注 [ ]• 2017年1月30日閲覧。 東日本放送 2016年2月1日. 2016年6月7日閲覧。 シネマトゥデイ 2015年7月4日. 2015年11月10日閲覧。 「」音楽ナタリー2015年10月3日• 映画ナタリー 2015年12月24日. 2015年12月25日閲覧。 映画ナタリー 2016年1月7日. 2016年1月7日閲覧。 com 2015年11月10日. 2015年11月10日閲覧。 お笑いナタリー 2015年11月10日. 2015年11月10日閲覧。 スポニチアネックス 2016年2月4日. 2016年2月4日閲覧。 映画ナタリー 2016年3月8日. 2016年3月8日閲覧。 磯田道史 2012年11月6日. 本の話WEB. 自著を語る. 文藝春秋. 2016年5月20日時点のよりアーカイブ。 2019年3月8日閲覧。 , 「製作記」• 東日本放送 2015年7月. 2016年6月7日閲覧。 シネマカフェ 2016年2月4日. 2016年6月7日閲覧。 映画ナタリー 2016年3月17日. 2016年6月7日閲覧。 文藝春秋 2016年5月7日. 2016年6月7日閲覧。 シネマトゥディ 2016年5月17日. 2016年6月7日閲覧。 テレビ朝日 2016年5月29日. 2016年5月29日閲覧。 河北新報(石巻かほく) 2016年6月12日. 2016年6月12日閲覧。 文化通信 2016年9月7日. 2016年9月7日閲覧。 関連項目 [ ]• 外部リンク [ ]• - (英語).

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