天然 痘 症状。 感染症の歴史

感染症の歴史

天然 痘 症状

詳細は「」、「」、「」、および「」を参照 天然痘は、有史以来、高い死亡率、治癒してもを残すことから、世界中で不治、悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である。 痘瘡ともいい、による高熱、、があり、全身に発疹する。 すでに1万年前にはヒトの病気であったらしい。 天然痘で死亡したと確認されている最古の患者はののであり、の頭部に天然痘の痘庖があることを確認している。 彼はに死亡したとみられる。 の遠征中のローマ軍のなかで発生し、こののち内で流行したといわれる伝染病は、こんにちでは天然痘であると考えられており、これによりローマは深刻な兵力不足に陥って、国力衰亡の原因のひとつとなった。 天然痘は以来、アジア各地で流行している。 中国では、ジェンナー(後述)による(牛痘)が試みられる前から、発疹の瘡蓋(かさぶた)を用いた人痘がさかんにおこなわれていた。 にした際、このウイルスを持ち込み、とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となった。 は、がに600人弱の部下で数百万の民を擁するを軍事的に征服したのみならず、文化的、精神的にも征服しえたのは、コルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず、従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている。 のによるの征服も、それに先だって中央アフリカから帝代のの領域にもたらされた天然痘による死者が膨大なものであり、人口の60パーセントから94パーセントを失ったことによるとされる。 にはインカ皇帝のや宮廷の臣下たちの大部分が天然痘がもとで死んでいるが、後継者とされたもまた天然痘で命を落としてしまった。 そのため王位をめぐる争いがとの異母兄弟のあいだで起こった。 ピサロは、そこに付け込んだのである。 両帝国とも、や、をもたない軍事的敗北の結果といわれるが、それ以前に天然痘が猖獗をきわめたことにともなう帝国側の戦闘力喪失が最大の要因であった。 17世紀前半には東部ので天然痘が流行している。 また、18世紀のでは、によりとしてインディアン殲滅を目的に使用された例がある。 また、では、英国軍をカナダに追いつめてカナダがアメリカ合衆国領となる事態までとなったが、このとき独立軍に天然痘が流行したといわれる。 なお、も11歳のとき天然痘にかかり、その痕跡がいくつもあったといわれている。 種痘法を確立したジェンナー(1749-1823) 、で発達したの人痘接種法がヨーロッパに伝わったが、これは天然痘それ自体の発病の危険をともなうものであった。 、自らも人痘接種を受けたことのあるイギリスの医師が牛痘にかかった者は人痘にもかからないという農婦の話を聞き、種痘を開発して8歳の少年に牛痘を接種した。 これが世界におけるのさきがけであり、一種の人体実験でもあった。 ジェンナーは自身の幼い子どもにも予防接種をおこない、また、種痘の乾燥保存に成功した。 これ以降は種痘の普及に伴い急速に天然痘の流行は少なくなったが、ソ連の独裁者は顔にはっきりと痘痕が残っており、天然痘によるものとされている。 なお、アメリカ合衆国で最初に接種を受けた人物のなかに第3代大統領のがいる。 天然痘は、に WHO 総会で「世界天然痘根絶計画」が可決され、根絶計画が始まった。 には西アフリカ全域から根絶され、翌に中央アフリカと南米から根絶された。 、の3歳女児の患者がアジアで最後の記録となり、アフリカのとが流行地域として残ったが、、ソマリアのを最後に天然痘患者は報告されておらず、3年を経過したにWHOは根絶宣言を行った。 天然痘ウイルスは現在、アメリカとロシアの4の施設で厳重に管理されている。 天然痘は、ヒトに感染する物の中では、人類が根絶した唯一の感染症である。 ジェンナーの種痘 人びとは牛痘を人間に植え付けることに抵抗感をもち、普及には時間を要した。 日本でも、過去には定期的な大流行を起すことで知られていた。 年間にやを通じて侵入したと考えられる天然痘が西日本を中心に蔓延()し、(天平9年)、では政権を担当していたが相次いで死去した。 がを建立した背景にもや政治的混乱とならんで悪疫の流行があった。 摂関政治が隆盛期をむかえたにも大流行しての兄、、はともに天然痘のために死去したといわれる (ただし、前述のように麻疹とする説もある)。 また、百万遍に所在する(左京区田中門前町)は、京都に天然痘が大流行していた(元年)、の勅によりを行い疫病を治めたことから「百万遍」の寺号が下賜されたものである。 その後も歴史上の著名人物で天然痘に苦しんだ例は少なくない。 「独眼竜」の異名で知られる奥州の、が幼少期に右目を失明したのも天然痘によるものであった。 儒学者、「」のエピソードで知られるも天然痘による片目失明者であった。 に布教のため来日したのは、ヨーロッパに比して日本ではが多いことを指摘しているが、後天的な失明者の大部分は天然痘によるものと考えられる。 なお、江戸時代にあっては、疱瘡除けの神として、さかんにの肖像が描かれ、「疱瘡絵」(赤絵)と呼ばれた。 これは、八丈島に疱瘡(天然痘)が流行しなかったのは、この島に流された為朝が疱瘡神を押さえ込む力があったためと信じられていたためであった。 また、、、、は顔にあばたを残し、は両手の一部の指が大きくならず、結果的に小指より短くなるという障害を負った。 の急死は幕末の政局に大きな影響を及ぼしたが、これも天然痘によるものであったと記録されている。 天皇自身が当時かなり普及し始めていた種痘を嫌悪したために天然痘に対して無防備であったといわれているが、なお根強く暗殺説を唱える人もいる。 のは幼少時に発症しており、のちに種痘の普及による天然痘対策に尽力した。 これはやがて直轄のに発展し、のちの医学部の前身となった。 の患者を最後に、日本では天然痘は根絶されている。 各港は、ペストが交易船を媒介として広まることがわかると、感染地からの船舶の寄港を禁止した。 ヴェネツィアでは、東方から寄港する船舶を沖合の島に40日間停泊させて、その隔離期間のなかで感染の有無を確かめさせた。 のことを英語で quarantinというが、これはの quarantena(40日)に由来する。 飯島渉は、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行したペストが雲南起源であったことが、マクニールに中世ヨーロッパのペストが雲南起源でモンゴル帝国によって媒介されたという着想をあたえたのではないかとしている。 ワクスマンとシャッツのあいだでストレプトマイシン発見をめぐって一時となったが、のちに和解した。 WHO は、"pandemic H1N1 2009"という言葉で、この流行を表現している。 National Immunization Days の略。 現在は、March of Dime(10円募金)となって、ポリオ以外のさまざまな募金活動を実施している。 黄熱ウイルスはに分離されており、は、黄熱の研究中に(現在の)の首府で死亡している。 David W. Tschanz, MSPH, PhD August 2003. "Arab Roots of European Medicine", Heart Views 4 2. Syed, Ph. 2002. "Islamic Medicine: 1000 years ahead of its times", Journal of the Islamic Medical Association 2, p. 2-9. Beretta M 2003. Medicina nei secoli 15 2 : 129-54. 15-25,• 戸田隆夫, 「」『東京女子医科大学雑誌』 88巻 1号 2018年 p. 13-14, 東京女子医科大学学会, :• 原著は"Plagues and Peoples"(1976)• 訳、『西洋史料集成』より。 原出典は、曹樹基;"鼠疫流行与華北社会的変遷" 1997• 原出典は『国民新聞』明治38年3月12日付• (国立療養所菊池恵楓園)• 原出典は、Crosby,A. F;"The Columbian Exchange" 1972• 原出典は、Emmanuel Le Roy Ladurie"Le territoire de l'historie" 1973• Bland, R. ; Clarke, T. ; Harden, L. 1976-02-01. American Journal of Obstetrics and Gynecology 124 3 : 263—267. 原出典は、梁其姿"施善与教化—明清的慈善組織" 1997• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第5回"ポリオ"」(2010)。 原出典は、Godman AS et al:What was the cause of Franklin Delano Roosevelt's paralytic illness? Journal of Medical Biography. 11:232-240 2003• 2012年8月31日. 2012年9月1日閲覧。 [ リンク切れ]• - 中央日報 2014年8月6日• 加藤茂孝「人類と感染症の戦い-第6回"ウエストナイルウイルス"」(2010)。 原出典は、JS Marr et al:Alexander the Great and West Nile Virus Encephalitis. Emerging infectious Diseases. 9 12 , 2003• 訳、より。 原出典は、安羅岡一男「中国における日本住血吸虫症」 1995• 2011年7月30日閲覧• 『標準微生物学』中込治・神谷茂(編集)、医学書院、2015年2月15日、第12版、p. 498. ProMED-mail,2012-09-20 15:51:26• 15 May 2013 ,Global Alert and Response(GAR)• Word Health Organization. 2020年1月16日閲覧。 World Health Organization. 2020年1月16日閲覧。 WHO. 2020年1月27日閲覧。 このウイルスについて、日本のは単に「 新型コロナウイルス」と2020年1月時点で呼称している。 www. mhlw. 日本厚生労働省. 2020年1月27日閲覧。 2020年1月5日. 2020年1月7日時点のよりアーカイブ。 2020年1月6日閲覧。 26-56•

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【医師監修】天疱瘡とは ~ 症状・原因・治療方法 ~

天然 痘 症状

痘瘡 とうそう 、疱瘡 ほうそう ともよばれ、伝染力がきわめて強く、昔は大流行を繰り返して多数の死亡者を出した急性発疹 ほっしん 性伝染病で、WHO(世界保健機関)の根絶宣言で知られる。 すなわち、WHOは1967年に天然痘根絶本部を設け、各国の協力を得て50万人を動員し、総額1億ドルを投じて大規模な天然痘根絶計画を発足させた。 天然痘は人類だけが罹患 りかん する病気であり、種痘によって予防できる病気であることに着目して、天然痘の発生地域に種痘を徹底的に実施したのである。 すでに種痘の普及によって根絶されている国もあったが、69年にはまだ42か国に10万人を超える患者発生がみられた。 その後は毎年発生国と患者数が減少し、南アメリカ、東南アジア、南アジアなどの各地域でも次々と天然痘が終息していき、残る東アフリカ地域で77年10月のソマリア人の患者を最後として、ついに全世界から天然痘患者の発生がなくなった。 以後2年間、東アフリカで厳重な集中的追跡調査を行ったうえで79年10月26日、WHOの現地調査機関である国際天然痘根絶委員会は天然痘の根絶を報告し、同日WHO事務局長から宣言された。 この天然痘根絶宣言は80年1月の第65回WHO執行理事会で承認され、5月8日の第33回世界保健総会において正式に天然痘根絶が確認された。 この結果、81年5月の第34回世界保健総会で国際保健規則の検疫伝染病(検疫感染症)から天然痘関係条項を削除する改正が採択され、82年1月1日から施行された。 日本では奈良時代から大小の流行を繰り返してきたが、1946年(昭和21)の流行を最後に下火となり、55年の1例の報告以後根絶した。 その後は、73年と74年にそれぞれバングラデシュおよびインドからの帰国者各1人の輸入例による発生があっただけである。 [柳下徳雄] 分類天然痘は病原ウイルスの毒力の強弱、感染した人の素質、種痘による免疫の程度などによって症状や経過に著しい差異を生ずる。 このため、病型に対するさまざまな分類がある。 たとえば、本型variola major(古典的天然痘ともいう)と亜型variola minor(アラストリムともいう)の2型に分類したものもあるが、一般には真痘、仮痘、出血性(紫斑 しはん 性)痘瘡の三つに分類される。 [柳下徳雄] 症状それぞれの病型について述べる。 1 真痘 熟痘ともいい、種痘を受けたことのない者、または種痘後数年以上経過して免疫のなくなった者にみられる重い病型である。 潜伏期は10~13日。 急に寒気がして高熱を発し、強い頭痛や腰痛がある。 発病2日目ごろに紅色の発疹(前駆疹)が普通は以前に種痘を受けた上腕の外側に出るが、ときには全身に現れる。 この前駆疹は3~4日で消えるが、4日目ごろから多数の小さくて赤い丘疹が顔面から始まって全身に現れる。 天然痘はこの発疹(痘疹)の変化に特徴があり、赤い小丘疹は2日くらいで水疱 すいほう となり、中央がくぼむ。 発病8日目ごろには水疱の内容が黄色に混濁して膿疱 のうほう となり、同様なものが鼻腔 びくう 、口腔、咽頭 いんとう などの粘膜面にもできる。 この全身の発疹は一様に進行し、痛がゆく、意識もはっきりしなくなって肺炎や敗血症を併発し、衰弱して死亡することもある。 この時期を過ぎて発病12日目ごろになれば、膿疱が乾いて痂皮 かひ (かさぶた)となり、熱も下がって平熱に戻る。 痂皮がとれると瘢痕 はんこん となって皮膚に小さなくぼみをつくり、いわゆる「あばた」を残す。 これが典型的な天然痘である。 2 仮痘 和痘ともいい、天然痘にある程度の免疫のある者が感染した場合にみられる軽い病型である。 病初期の数日間は真痘の場合と同様であるが、その後の経過が軽く、特有の痘疹は現れないか、現れても数が少なく、完全に発育しないで終わるので、水痘との鑑別がむずかしくなる。 また、二度目の発熱もなく、瘢痕も残さないのが普通である。 3 出血性痘瘡 出血痘ともいい、一部の人にみられる重い病型で、アレルギーによるとされている。 病初期の症状が激しく、前駆疹がほとんど全身にみられ、紫斑病様となるほか、鼻出血や子宮出血、血便などもみられる。 5~6日まで生存すれば痘疹も出現するが、これにも出血がみられ、早晩死亡するに至る。 [柳下徳雄] 治療発病後の特効薬はなく、合併症を予防しながら対症療法を行う。 種痘による予防が優先する。 [柳下徳雄] 感染患者の皮膚や粘膜の痘疹が破れ、内容が飛散して直接または物品を介して呼吸器、消化器、皮膚の小さい傷口から侵入する。 [柳下徳雄] 予後種痘によって左右され、種痘を受けたことのない患者の致命率が50%以上なのに対し、種痘をした患者の致命率は1%以下となっている。 なお、流行病原体の種類によっては1%以下の軽症や30%台の重症型もある。 [柳下徳雄] 痘瘡ウイルス痘瘡ウイルスはポックスウイルスともよび、ヒトの天然痘をはじめ、ウシの牛痘、ネズミの鼠痘 そとう 、ヒツジやヤギの羊痘、ブタの豚痘、ニワトリの鶏痘などをおこす病原ウイルスの総称である。 DNA二重鎖を中心にもった大型のウイルスで、病原性を示す動物が異なるという宿主の特異性のほかには各ウイルス間に差異がみられない。 乾燥に対する抵抗力がきわめて強く、乾いた痂皮中のウイルスは年余にわたって感染力(発病力)をもっている。 また、0. 5~1%の石炭酸水中でも死滅せず、グリセリンに対しても強い抵抗を示すが、熱や紫外線に対しては抵抗力が弱い。 [柳下徳雄] 歴史天然痘は人から人へ感染する以外にはその病原ウイルスが維持されないため、人間の病気として定着したのは、農耕による定住生活が始まり人口が集中し始めた、いまからおよそ1万年前のことと推定されている。 もっとも古い天然痘の証拠としては、紀元前1160年ごろに死んだエジプトのラムセス5世のミイラの顔などに残る痘痕 とうこん (あばた)があげられる。 文献的には、それより以前のインドの記録に天然痘と推定される病気の記述があり、天然痘はインドから世界中へ広がっていったものと考えられている。 ヨーロッパへの天然痘の侵入はかなり遅くなってからといわれているが、ペロポネソス戦争第2年目の前430年にアテナイ(アテネ)を襲った疫病は天然痘であろうという説もある。 中国へはインドから西域 せいいき 経由で前2世紀末、または遅くとも4世紀初めごろに侵入したといわれており、それが朝鮮半島経由で日本にも伝わったと推定されている。 また、アメリカ大陸にはスペイン人との接触以前には天然痘はなかったといわれ、そのために天然痘に対する免疫がなく、接触後の大流行を招き、人口急減の一因となったと考えられている。 日本で明らかに天然痘と考えられる病気のもっとも古い記述は、735年(天平7)のものであるが、6世紀後半(552、585)の発疹 ほっしん を伴う疫病を天然痘であるとする説もある。 天然痘は一度罹患 りかん すると再発しないことは知られていたが、その病因については、胎毒とする説、歳運によるとする説、天地の 気 れいき によるとする説、食習慣が原因とする説などがあり、江戸時代後期になってようやく天然痘を純然たる伝染病であるとする見解が医家の間にみられるようになった。 しかし、「痘神」あるいは「疱瘡 ほうそう 神」に対する信仰が盛んになったのも江戸時代中期以降である。 古代の最初の天然痘流行のときにも、病の平癒を願って神に祈り、あるいは神を祀 まつ ることが行われてはいたが、天然痘の神として特別の神を祀るようになったのは江戸時代中期ごろといわれ、その神体についても諸説あったという。 天然痘の発病から治癒に至る経過はある程度規則性があるため、その病期分類が盛んに行われたが、治癒法は対症的なものにとどまった。 広く行われていたものに酒湯(米の研ぎ汁と酒を混ぜて沸かしたもので沐浴 もくよく させる)があり、また、痘の色は赤いほうが経過がよいと考えられていたため、患者や看病する人の衣類、のれん、玩具 がんぐ などに至るまですべて赤色のものを使う風習もあった。 天然痘は人が一生のうちで一度はかかるものとして、「お役」などとよばれ、人はこれを終えてやっと一人前になれると考えられており、通過儀礼的な意味をももっていた。 予防法としての人痘接種はすでにかなり古くからさまざまな地域で行われていた。 具体的には痘疹の痂皮 かひ (かさぶた)を水に溶かして皮膚を刺したり、これを粉にして鼻腔 びくう へ吹き込む方法、痘疹の膿性漿液 のうせいしょうえき をつけて皮膚をひっかいたり、皮膚を刺したりする方法である。 前者はアジアの一部や11世紀以後の中国で、後者はアフリカの一部やインドなどで行われていた。 伝染を防ぐ目的で患者を隔離するようになったのは近世になってからである。 天然痘(痘瘡) 定義・概念 (smallpox virus, variola virus)(ポックスウイルス科オルソポックスウイルス属)による全身感染症を天然痘(smallpox,variola)という.WHOは1967年から全世界痘瘡根絶活動を,サーベイランスと天然痘ワクチン接種を基本とした政策で実施した.不顕性感染がないこと,痘瘡ウイルスの宿主がヒトだけであること,そして有効な乾燥天然痘ワクチンとその接種法(二又針を用いた多圧法)が開発されたことにより,1977年にソマリアでの患者を最後に天然痘は根絶された.患者が存在するところに痘瘡ウイルスが存在するので,対策がとりやすいという特徴があった.地球上から根絶された唯一の感染症である.比較的致死率の高い大痘瘡(variola major)と致死率が1%以下の小痘瘡(variola minor)とがある.近年,痘瘡ウイルスがバイオテロリズム兵器として使用される危険性が指摘され,その対策が求められている. 病原体 痘瘡ウイルスによる. 感染経路 痘瘡ウイルスの宿主はヒトだけである.皮膚水疱性病変や咽頭,結膜などに存在するウイルスが感染源となり,経気道的に感染する. 疫学 一部の研究所に保管されている痘瘡ウイルスが外部に流出し,バイオテロリズムの兵器として使用されたり,痘瘡ウイルスを扱う研究中に誤って感染したりしない限り,天然痘は再出現することはない. 臨床症状 潜伏期間は12~14日間.発病後2~4日間の発熱,全身倦怠感などの前駆症状に引き続き,発疹,水疱,膿疱そして痂皮と経過する皮膚症状が現れる(図4-4-7A).天然痘による皮膚病変は顔,四肢,体幹の順に出現する.軽いものから重症なものまで,病型はさまざまである.特に扁平状皮膚病変(扁平型)や出血性皮膚病変(出血型)が出現するタイプの天然痘の致死率は高い.肺炎を併発する場合もある.また,骨髄炎,関節炎,結膜炎を伴うことがある. 診断・治療予防 天然痘の診断を要する必要は現実的にはない.鑑別すべき疾患には,水痘などの水疱性ウイルス疾患,ウイルス感染症(ヒトサル痘),溶連菌による伝染性膿痂疹,ブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群があげられる.診断には,電子顕微鏡による水疱性病変中ウイルス抗原検出やPCR法によるウイルス遺伝子増幅法が最も迅速で確実である.また,ウイルス特異的抗体の検出による血清学的診断が有用である.日本では,国立感染症研究所(東京)に痘瘡ウイルスを扱うことの可能な高度封込研究施設が設置され,天然痘の診断システムが備えられている.特異的治療法はなく,対症療法が主体である.細菌性二次感染が認められる場合には,適切な抗生物質投与が必要である.痘瘡ワクチン(ワクチニアウイルス)は,天然痘の発症を予防する.[西條政幸] 出典 内科学 第10版 内科学 第10版について の解説 【ジェンナー】より …92年にセント・アンドルーズ大学から医学博士の学位を得た。 古くからグロスターシャーには,牛痘 に似たウシの軽い病気 に感染したことのある乳搾りの婦人は,人間の天然痘 痘瘡 にはかからないという俗信があった。 天然痘の予防に早くから注目していたジェンナーは,牛痘と人痘との関係について観察を続けたが,96年ついに実験に踏み切り,5月14日,乳搾りの婦人ネームズSarah Nelmesの腕にできた牛痘の水疱から内容液を採取し,8歳少年のフィップスJames Phippsの腕に接種した。 出典| 株式会社平凡社 世界大百科事典 第2版について.

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痘そう(天然痘)

天然 痘 症状

どうもおはこんにちばんは、くんひろです。 僕は料理得意なわけではないのですが、最近外出できないので時短料理、例えばパスタとか〜丼みたいな料理だけすごく得意になっていきます。 オススメは「の3分早ゆでスパゲッテイ」です。 鍋に水入れて沸騰するまでに2分、茹でて3分。 この計5分の間にソースを作って完成です。 今スーパーのパスタ品切れ状態になってたりもしますが。 きっとみんな同じことを考えているのでしょう。 さて本日から 世界の歴史から見るシリーズです。 今がとなって大騒ぎしていますが、歴史という大きな枠組みで見ると、の大流行というのは何も珍しい話ではありません。 皆さんは歴史上人類が完全に勝利したがいくつあるか知ってますか? たったの1つ、だけです。 そんなの嘘だよ、と思う方もいるかもしれませんが、それは日本が恵まれており衛生面のしっかりした国だからそう感じるだけです。 日本で平成30年にいわゆるで亡くなっている方は約2万4000人います。 その中には原疾患があって、免疫が弱っている人が感染してしまう日和胃なども含まれています。 過去の病と考えられているも1年で2200人亡くなっています。 だからなんて怖くないという主張がしたいわけではなく、 人類は常にと隣り合わせであるということです。 そのの歴史を知っていただきたく今回のシリーズやっていきたいと思います。 その第1弾として、まずは人類が唯一勝利したである について今日はお話ししたいと思います。 の症状 ウイルスによるもの。 感染は口や鼻の分泌物、膿やかさぶたのによる。 2,3日後特徴的な発疹が出現します。 ウイルスの感染力を表す 基本再生産数は5〜7と言われています。 は2,5とされてるので感染力が非常に高いことがわかります。 苦手な人は写真見ないでスクロールしちゃって大丈夫です。 WHOホームページ() と世界史 最も古いを示すものは 紀元前1100年のエジプトのラムセス5世のミイラの顔面にと思われる病変の痕跡が見つかった。 栄華を極めた、この裏にもが国内で流行し、国力衰亡に陥ったと考えられている。 は3世紀、4世紀になるとローマやインド、中国など各地方の交流がなどによって活発になるにつれてアジアでも流行するようになります。 16世紀。 時代はの新大陸発見により、ヨーロッパ各国は競って新大陸の侵略を行っていた。 コルテスがを、がを滅ぼした、と世界史の教科書には書かれるがここにもが関係している。 当時航海技術が発達していたとはいえ一度に訪れるは多くても数百人程度、それに対して万を超える地元民族を制圧できたのは 鉄砲の発明や優れた技術ももちろんあるが鍵を握っていたのはであった。 これは現地人はという未知の病気に対して、全くと言っていいほど対抗するすべを持っていなかったからだ。 それはちょうど現代のに対して現状人類がなす術がないのと全く同じである。 18世紀(北カを舞台にフランス、スペインVSイギリス)ではイギリス軍によりとして用いられた。 そんな中、ワード・ジェンナーが当時酪農を行なっている人の間で牛の皮膚に痘疱が多数できる伝染病が流行しており、それにかかったものはにはかからないことに気づいた。 この牛痘がの弱毒化されたものだと考え、8歳の少年に牛痘を打った。 これが先駆けとなり、世界で初めてのワクチンが開発された。 参照() その後ワクチンが世界中に広まり、1 980年にWHOが根絶宣言を発表した。 と日本史 日本にはもともとウイルスはなかったとされています。 6世紀半ばごろ仏教伝来とともにから日本にやってきます。 この時代日本はです。 冠位十二階、十七条ので有名なとお父さんであるもで亡くなっています。 奈良のの大仏。 これを建てたのは752年と有名です。 しかしこれの背景にもが関与しています。 734年の疫病()が大流行し、当時政権を握っていたの四兄弟が死亡。 はこれを呪いだと思い仏教の力で国を守るを目指しました。 の大仏 江戸時代末期のの一代前のもにより亡くなっている。 これに関してはを用いた暗殺説も唱えられている。 になったことの有名人は、、、、などきりがない。 それほど身近な脅威であったのです。 はなぜ根絶できたのか が根絶できたのには3つの理由があります。 1つ目は には不顕性感染が少ないことが挙げられます。 不顕性感染とは今回ののように症状はほとんどないけど陽性の人です。 感染すると、皮疹などの明確な症状が出るため、 知らず知らずのうちに他の人に広めていたということを防ぐことができます。 2つ目はウイルスが ヒト以外に感染しないことが挙げられます。 インフルエンザを例にとると、仮にヒトの側で感染を防げたとしても、豚や鳥にも感染してしまうため再感染の恐れがあります。 3つ目は ワクチンの効果が非常に高いことが挙げられます。 この3つの条件が揃えば理論上根絶できることとなります。 感想 いかがだったでしょうか。 普通に学校で習ってきた日本史、世界史の出来事の裏側には実はこんなにもが絡んでいたのです。 これは何もに限った話ではありません。 人類の歴史に大きく関わっていたについて今後ピックアップしていきたいと思います。 学校の先生もこういうことをちゃんと教えてくれるともっと歴史の授業も面白いと思うんだけど。 もしかしたら話してたけど僕が効いていなかっただけという可能性もありますが笑 ではでは kunnhiro.

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