竹宮が「距離を置きたい」としか書かなかった別離の事情について、萩尾は竹宮から作品について指摘され、ショックを受けたことを記している。
8まあ、気持ちがわかるのが、当時の友達まで奪われちゃったんですよね。
ではガー、アラン、メ(消滅)、は重なるように三角関係がある。
関係破綻後に「みんなでお茶を」[1974年『』4月号掲載]を描きましたが、萩尾自伝によれば三人の精霊のうち二人はとをモデルにしていたので「もう描けないな」と気づいたそうです、「ああ、私はやっぱり、今後は二人に会うのは無理だな」と思いました、と。
一緒に住みながらも萩尾望都は竹宮恵子のその苦悩さえ全く知らず、どんどん名作を発表してゆきます。
違いはトキワ荘は別部屋のアパートであるが、大泉は名もない築30年以上の古い建物で、1階は4畳半でこたつを置いた部屋でサロンの談話部屋ともなり、小さなキッチンと風呂、2階は6畳の2人の仕事部屋と3畳の部屋があり、2人の寝室にもしていた。 本書へのただ一つの疑問点は、当時の萩尾作品の評価についてである。 例えば、マージナル。
9確執のもとになる問題の出来事が、過去の心情的ないざこざであるのは間違いありません。 その後、氏の『と』[2020,]を読みましたが、その本のエピローグでこの「十年目の」について触れています。
(吉田豪)だから「一方がただ悪い」とかじゃないっていう。
見せた瞬間に、彼女の脳内素材ライブラリに自動的に登録されてしまうのだから。
そう、見えてる。
竹宮さんはこの同居を始めるときに、ある編集者の方から「漫画家同士の同居は絶対やめた方がいい」と言われていたそうです。
11一方萩尾先生は誰かに対しての嫉妬心があまりなく、自分ではわからないということを書かれていた。 クロッキーにキャラクターを描き、自分のアイデアは大泉サロンで話をした。
だから、萩尾先生の本ってとにかく自己評価が非常に低い本なんですよね。
涙腺崩壊。
漫画家になろうとしていた萩尾先生を竹宮先生が東京に誘い、それで上京がで。
(うる覚え) 読んでて「よくこんな不思議な女性キャラ描けるな〜」(萩尾作品って、不思議キャラは大抵女性キャラなんですよね〜)とずっと思ってましたが、この本を読んで何故かストンと納得。
育たない夢を封印する。
私はまだ、読んでいないのですが、先生が「少年の名は」という本で先生の才能に嫉妬したということが、読まれた方々により書かれていました。
(そ~いえば、トーマの心臓を描く際に、男性担当者が萩尾望都の元にベルばらを持参して「こういう大河ロマンものをかきましょう!」と意気込んで語ったというエピソードも笑。
には、とオポジッション(180度)これは、究極の幸運が苦労や課題になるよという意味があります。
このセリフは、ベルばらの「見えてないのか!アンドレ!」とか「千の誓がいるのか、万の誓が欲しいのか」に匹敵するポーの名言シーンなのに…じっくり浸りたいシーンなのに …全く余韻がない! そう、余韻がないんです! なので私的には今回の舞台化は、ただ時系列を足早に駆け抜けたお話って印象でした。
一方の萩尾は「サロン」の解散について「自分の収入が安定したから解散した」 と語る程度で、長らく沈黙を守っていた。
萩尾先生が、残された人生を、金輪際思い煩うことなく創作活動に捧げることができますように。
実際の期間は2年間(1970~72年)で、しかも肝心の萩尾と竹宮は「サロン」の中心人物ではなかった。 話を戻して…今回の宝塚上演の演出も脚本も小池修一郎氏。
他者が気軽に立ち入れることじゃないっていうのはすごいわかるけれども……っていう。 きっとそれまで竹宮先生たちと一緒に過ごすのは楽しかったんだと思います。
絶版で特に最後の3巻がずっと入手出来ずでしたが、今回、竹宮恵子画業50周年を記念して復刊ドットコムから3冊復刊されます。
まるで楽園のようだった。
実際、大泉サロンは2年足らずで崩壊。