火事を出すなどという醜態を演じてからは、私のからだの血が何だか少し赤黒くなったような気がして、その前には、私の胸に意地悪の 蝮 ( まむし )が住み、こんどは血の色まで少し変ったのだから、いよいよ野性の田舎娘になって行くような気分で、お母さまとお縁側で編物などをしていても、へんに窮屈で息苦しく、かえって畑へ出て、土を掘り起したりしているほうが気楽なくらいであった。 私の胸に、いま出し抜けにふうっと、六年前の私の離婚の時の事が色あざやかに思い浮んで来て、たまらなくなり、思わず、あ、と言ってしまったのだが、お母さまの場合は、どうなのだろう。
3舞台「RE:VOLVER」を何卒、何卒宜しくお願い致します。
ゆうべの事は、ゆうべの事。
石の上に、物憂げにうずくまっていた蛇は、よろめくようにまた動きはじめ、そうして力弱そうに石段を横切り、かきつばたのほうに 這入 ( はい )って行った。
「さあ、みんな、拝むのよ」 私がしゃがんで合掌すると、子供たちもおとなしく私のうしろにしゃがんで合掌したようであった。
恋、と書いたら、あと、書けなくなった。 ゆうべだって、あんた、あれで風が強かったら、この村全部が燃えたのですよ」 この西山さんのお嫁さんは、下の農家の中井さんなどは村長さんや二宮巡査の前に飛んで出て、ボヤとまでも行きません、と言ってかばって下さったのに、垣根の外で、風呂場が丸焼けだよ、かまどの火の不始末だよ、と大きい声で言っていらしたひとである。 まず一ばんに役場へ行った。
19蛇の卵を焼くなどというはしたない事をしたのも、そのような私のいらいらした思いのあらわれの一つだったのに違いないのだ。
雨は私のレインコートをとおして、 上衣 ( うわぎ )にしみて来て、やがて 肌着 ( はだぎ )までぬらしたほどであった。
朝のお食事を軽くすましてから、私は、焼けた薪の山の整理にとりかかっていると、この村でたった一軒の宿屋のおかみさんであるお 咲 ( さき )さんが、 「どうしたのよ? どうしたのよ? いま、私、はじめて聞いて、まあ、ゆうべは、いったい、どうしたのよ?」 と言いながら庭の 枝折戸 ( しおりど )から小走りに走ってやって来られて、そうしてその眼には、涙が光っていた。
けれども、その強い注射が奇効を奏したのか、その日のお昼すぎに、お母さまのお顔が 真赤 ( まっか )になって、そうしてお汗がひどく出て、お寝巻を着かえる時、お母さまは笑って、 「名医かも知れないわ」 とおっしゃった。
全部で6つに区分された展示コーナーでは、太宰治の作品の一節が展示のタイトルに。 「そう、そうよ」 お母さまのお声は、かすれていた。 二宮巡査がお帰りになったら、下の農家の中井さんが、 「二宮さんは、どう言われました?」 と、実に心配そうな、緊張のお声でたずねる。
8それでは失礼致します。 私は二十九のばあちゃんだから、十年前のお父上の 御逝去 ( ごせいきょ )の時は、もう十九にもなっていたのだ。
ここへ引越して来たのは、去年の十二月、それから、一月、二月、三月、四月のきょうまで、私たちはお食事のお支度の他は、たいていお縁側で編物したり、支那間で本を読んだり、お茶をいただいたり、ほとんど世の中と離れてしまったような生活をしていたのである。
私は、このまま、眼をつぶってそのお家へ移って行っても、いいような気がする」 とおっしゃってお顔を挙げて、かすかにお笑いになった。
「空気のせいかしら。
「お上手に出来ました」 お母さまは、まじめにそう言い、スウプをすまして、それからお 海苔 ( のり )で包んだおむすびを手でつまんでおあがりになった。 「あきらめてしまったつもりなんだけど、おいしいスウプをいただいて、直治を思って、たまらなくなった。 私はその時にも、ただ美しい蛇だ、という思いばかりが強く、やがて御堂に行って画集を持ち出し、かえりにさっきの蛇のいたところをそっと見たが、もういなかった。
16今思えば、作品を読んでもいないのに本当に失礼な話であります…。
そして、そんな太宰治に惹かれたのだ、と口々に明言した他の無頼派たちを見て「太宰治の作品はこうやって読めばよかったのか」と自分の中で腑に落ちた気分になった。
お別荘が火事だ」 という声が下のほうから聞えて、たちまち四五人の村の人たちが、 垣根 ( かきね )をこわして、飛び込んでいらした。
風呂場で、手と足と顔を洗い、お母さまに 逢 ( あ )うのが何だかおっかなくって、お風呂場の三畳間で髪を直したりしてぐずぐずして、それからお勝手に行き、夜のまったく明けはなれるまで、お勝手の食器の用も無い整理などしていた。
ふたたび私が、破婚を繰りかえしたときには、私を完全の狂人として、棄てて下さい。
誰のオタクなの?と問われると返答に困るのですが白秋先生と志賀直哉と朔ちゃんが好きです。
私は、夕方お君と二人で、紙くずや 藁 ( わら )を庭先で燃やしていると、お母さまも、お部屋から出ていらして、縁側にお立ちになって黙って私たちの 焚火 ( たきび )を見ていらした。
ほっそりした、上品な蛇だった。
「お母さま!」 とお呼びしても、ただ、うとうとしていらっしゃる。 宮様だか何さまだか知らないけれども、私は前から、あんたたちのままごと遊びみたいな暮し方を、はらはらしながら見ていたんです。
ずいぶんいやな思いもしたが、しかし、私はあのヨイトマケのおかげで、すっかりからだが丈夫になり、いまでも私は、いよいよ生活に困ったら、ヨイトマケをやって生きて行こうと思う事があるくらいなのだ。
朝も昼も、夕方も、夜も、梅の花は、 溜息 ( ためいき )の出るほど美しかった。
「私、日本人ですわ」 と言って、その自分の言葉が、われながら 馬鹿 ( ばか )らしいナンセンスのように思われて、ひとりでくすくす笑った。
阿呆かなとは思うのですが阿呆なので事実です。
「お花を折っていらっしゃる」 と申し上げたら、小さい声を挙げてお笑いになり、 「おしっこよ」 とおっしゃった。
太宰とともに心中した愛人・山崎富栄 実は、太宰は静子から日記の提供を受けたのと同じ頃、東京で美容師をしていたある女性と屋台で知り合いになっていました。
きょうは一つ、強いお注射をしてさし上げますから、お熱もさがる事でしょう」 と、相変らずたより無いようなお返事で、そうして、 所謂 ( いわゆる )その強い注射をしてお帰りになられた。
「きめましたよ」 かず子のお部屋へはいって来て、かず子の机に手をついてそのまま崩れるようにお坐りになり、そう 一言 ( ひとこと )おっしゃった。