・きれいに並べた石器が、十数万年そのまま整然と埋もれていることはあり得ない。
・藤村氏が埋納遺構の文化論をTVで語ったとき、その場の思いつきと思って割り切っていたが、実はもともとは鎌田氏の意見だった。
学会で認められるためには、学会の権威によるお墨付きが必要となるが、その過程で業績の横取りということも起こり得る。
また、国のに指定されていたは史跡指定を解除された。
以上により、今回対象とした103遺跡のうち、石器検証から確実にその遺跡本来の石器と考えられるのは、名生館官衙遺跡、薬莱山No. ・80年の座散乱木から、馬場壇、中峯Cあたりまでは、捏造の存否は、難しい。
上記以外の遺跡についても、日本考古学協会による石器検証が行われた大和町中峯C遺跡・古川市馬場壇A遺跡・築館町高森遺跡、東北大学埋蔵文化財調査研究センターによる石器検証が行われた仙台市青葉山B遺跡、多賀城市教育委員会による石器検証が行われた多賀城市志引遺跡・同柏木遺跡は、いずれも発掘資料として不自然で、全体として学術資料としては使えず、旧石器として積極的に評価することはできないとされている。 実は、藤村氏に頼まれて細石刃を作ってやったことがあるが、彼は自分には本物に近いものを作れないと自覚していたはずだ、と言う。 - 前期旧石器発掘の発端となった座散乱木遺跡などの発掘主導者。
1715遺跡は、1990年に宮城県教育委員会が薬莱山周辺を分布調査した際に発見し、その後確認調査を行ったが、石器はいずれも耕作土層 出土である。
いずれにしても、国際的に通用すると思われる若手執筆者を国籍を問わず登用して〈21世紀、国際化時代の日本考古学発展の一助たらん〉とした本書が世間の目から遠ざけられるのはいかにも残念なことである。
子供時代に土器を拾い、古代に憧れを持つ。
仙台市山田上ノ台遺跡では,細かく薄く堆積した水成堆積の数層にわたって石器が出土した。
そして、プロの考古学者に渡しても、せいぜい論文のデータになるだけだかから、苦労して見つけた石器をプロの手柄に差し出すよりも、愛蔵しておきたい。
5尾本氏は英国の捏造事件に擬して、和製ピルトダウン事件と名付けてみせ、騙される構造を解説する。
現地調査の結果、いずれにおいても旧石器時代の遺跡であることは確認できなかった。
一緒に研究してきた仲間や先輩たちに対し、おわびの言葉が見つからない」と謝罪した。
17)、および他機関による検証調査結果から確実に旧石器時代の遺跡と認められた2遺跡(山田上ノ台遺跡・富沢遺跡)の計19遺跡と判断される。
立花隆さんの本から、要点をまとめてみる。 その理由は手が二度と悪さをしないように自らナタで切り落としたそうですが、 精神疾患のために自身には記憶がない様です。
1 旧石器時代の遺跡と認定される19遺跡については、従来どおり旧石器時代の遺跡として取り扱う。
この前・中期旧石器問題調査研究特別委員会準備会は2000年12月から2001年5月にかけて6回開催された。
東北大学の芹沢長介氏も1964年大分県早水台遺跡を発掘し、前期旧石器問題に参入した。
またこれまで(、特別委員〈当時〉)が面会して捏造事件を引き起こした理由その他について告白を得た他は、病状悪化を理由に面会謝絶の状態が続いていた。
相沢さんの岩宿遺跡でも同様のことが起こっている。
遺跡発掘の場で次々に石器を発見し「ゴッドハンド」と讃えられていた藤村新一氏(68)が、あらかじめ土中に石器を埋め込む決定的瞬間を捉えた写真付きで報じられたのだった。
19 )尾本恵一の発言。
史の争点であった前期・中期旧石器時代の遺跡を「発見」し、(平成4年)には民間の東北旧石器文化研究所設立に参加、同年9月、在野の考古学研究者を対象にした賞(第1回)を受賞(事件後返上)した。
そして、事件発覚から早13年経過した現在、いったいこの「捏造事件」とは何であったのか?我々旧石器を研究する者達は、この事件により「何を失い、何を得られたのか?」、自問自答しながら、その顛末を回顧してみたい。
考古学を愛する同士の善意を信じていたし,疑うことは人の道に反することでもあった。
岡村は、9割5分が藤村の発見だったと述べている。
旧石器研究について私はすでに平成2年に一応の区切りをつけ(岡村1990『日本旧石器時代史』雄山閣出版),先にも述べたように最近の研究テーマは「縄文文化」にシフトしてきた。
委員長に戸沢充則(2002年7月から小林達雄)、副委員長に小林達雄、春成秀爾、第1作業部会(遺物検証)小野昭部会長・大沼克彦・菊池強一・久保弘幸・佐藤宏之・佐藤良二・佐川正敏・竹岡俊樹・鶴丸俊明・春成秀爾・御堂島正・山田晃弘 第2検証部会(遺跡検証)白石浩之部会長・阿部祥人・稲田孝司・大竹憲昭・菊池強一・木村英明・小林達雄・佐川正敏・渋谷孝雄・諏訪間順・辻秀人・戸田哲也・藤原妃敏・山口卓也・山田晃弘・柳田俊雄 第3検証部会(検証技術開発)矢島國雄部会長・小野昭・中村由克・藤田尚・町田洋 第4検証部会(型式検証)松藤和人部会長・伊藤健・小畑弘己・角張淳一・砂田佳弘・竹花和晴・中川和哉・萩原博文・藤波啓容・藤野次史・麻柄一志 第5作業部会(研究方法論研究)安蒜政雄部会長・石橋孝夫・植田真・岡安光彦・織笠昭・坂井隆・佐々木和博・清水宗昭・勅使河原彰・平口哲夫の5作業部会が組織され、3ケ年かけて調査を実施した。
専門性に応じた構造化・組織化による役割分担が図りにくい。
1970年代より藤村新一と行動を共にした考古学者で、文化庁に転出した1987年代以降も前期旧石器発掘について自著や文化庁主催の展覧会などで取り上げ、中央官僚として当該遺跡の教科書掲載を果たすなど前期旧石器を社会に認知させる推進役となった。
しかし、その後の旧石器研究はどのように改革されたのであろうか、私の目にはその変革は見えず、ただ「考古学の衰退」だけが目についた。
(以下は大沼氏の文章)捏造者本人は言うまでもないが、旧石器研究者が相互批判を通した学問追求の態度を捨て、自説を溺愛し、手段を選ばない態度が背景にある。
藤村氏の捏造が事実だったとしても、この可能性がすべて否定されたわけではない。 そのことは結果的に捏造を起きない、起こさせない土壌を醸しだすことにつながる。
5藤村がかなりの知識と周到さがないと無理だったようにも思われる。 考古学ファン・藤村さん、岩宿の旧石器を見て感動 1975年(昭和50)、その歴史的な石器を相沢さんから直接自分の手の上に置いて見せてもらった「熱烈な考古学ファン」、それが藤村新一氏(当時25歳前後)であった。
家族は関係ないじゃろ 本人も精神的にやられてしまい、入院をしてしまうなど取材には応じませんでした。
その後、本人への直接の取材と捏造の確認を経て、の朝刊で報じた。
つまりは自作自演である。
藤村だけの問題なのかと。 立花さんの本の記述の順序等に従っているものではない。 <発掘調査資料> 発掘調査によって出土した11遺跡の石器について、不自然な痕跡をもつ石器の割合をそれぞれ見ていくと以下のような結果が得られた。
11『考古学崩壊-前期旧石器捏造事件の深層』勉誠出版 2014年 脚注 [ ]. 中心は、柳田俊雄氏(東北大学総合学術博物館)。 外部リンク [ ]• 更に日本の「考古学(会)界」の権威主義的体質、学閥、閉鎖性、学問的信頼度の低さ等々にも、言及され批判された事実を、多くの考古学者たちは深く・重く受け止め、より開かれた学問を目指し、地位や名声や野望の為ではなく、真摯に研究を進めて行かなければならない。
しかし、彼らが後世に名を残すチャンスはほとんどない。
考古学はやはり科学なのだ。
2.検証方法 石器の検証にあたっては、平成14年5月に日本考古学協会および宮城県考古学会から提示された石器表面の痕跡や変化等を観察する方法を採用した(註3)。