木村拓也 捕手。 緊急捕手起用で思い出される 故・木村拓也氏の献身的なプレー

木村拓也 全力プレー精神がヤバい!緊急捕手、動画はこちら

木村拓也 捕手

木村拓也 全力プレー精神 巨人の木村拓也コーチの全力プレー精神についてスポーツ報知が報じました。 巨人の1軍内野守備走塁コーチだった木村拓也さんがくも膜下出血で亡くなってから7日で丸10年となった。 現役最終年の09年に緊急捕手として10年ぶりにマスクをかぶったキムタクさんの自己犠牲、全力プレーの精神は着実にチームに受け継がれている。 あの日の衝撃は鮮明に覚えている。 2010年4月2日の広島戦(マツダ)。 試合前練習のグラウンド取材を終え、記者席に戻った直後だった。 木村コーチがシートノックを打っている途中に崩れ落ちた。 意識不明で救急搬送。 5日後、37歳の若さで亡くなった。 引用元:スポーツ報知|2020年4月8日 スポンサーリンク 全力プレー精神の理由 木村拓也選手は現役時代から全力プレー精神で有名だったようです。 その理由は「イチローの野球に対する姿勢を見て自分の甘さに気づいた」と過去のインタビューで語っていました。 このことも影響して全力プレー精神の持ち主になったとも考えられます。 また木村選手の現役時代は控え選手が多かった事もあって数少ない出番のために全力でプレーして監督にアピールする必要もあったのかもしれません。 スポンサーリンク 木全力プレー精神の木村拓也の動画 木村拓也さんがキャッチャーとして登場する動画です。 スポンサーリンク 木村拓也 死去した死因 木村拓也選手が37歳という若さで死去された死因はくも膜下出血だったようです。 どのような病気なのか調べてみると 脳の表面でくも膜の下の層を走っている動脈にできたこぶ(動脈瘤)が破れて、くも膜の下に出血が広がる病気 引用元:メディカルノート と記載されてありました。 原因は「高血圧」や「喫煙」や「大量の飲酒」と言われています。 プロ野球選手のような健康体の方で37歳と若くても患ってしまう恐ろしい病気です。 健康診断で異常値が無いかチェックして健康を維持していく必要があるのかもしれません。 私は阪神ファンでしたが、キムタクさんの訃報には泣きました。 倒れてから毎日のようにSNSやニュースを検索して、意識が戻ったという一報を待っていましたが、目に入ったのは亡くなったという悲しいニュースでした。 人懐っこい笑顔とトークはなかなかのもので広島にファンは多かったですね。 10年ですか。 早いものです。 お子さまも立派に成長されていると思います。 ご家族のご多幸をお祈りいたします。 あれから10年ですか。。。 この間、仰天ニュースで木村拓也と一緒に甲子園に行って、息子に母親の病気を隠してた人を見たけど、チームメイトと奥さんを亡くして、なんか悲しくなってきて、泣きながら観てました。 あのキムタクと同級生な上、名前も同じで肩身が狭いと本人はいってたが、そんな事はない。 先制の場面で「バント!バント!ラミレスに回せー!」と自分が声を上げた直後にコンパクトに強振してホームラン。 同行者と一緒に周りのファンに頭を下げて冷やかされたのもいい思い出。 お立ち台で「巨人は主力がいなければ弱いと思われたくないので絶対に勝ちたかった」とコメントしたのが格好良かった。 日本代表に選ばれた時に一流の投手を相手にブルペンキャッチャーを買って出て玉を受けていた事。 どのポジションでも一流の技術である事を原監督始め、皆んなが知る選手でした。 「何があっても自分が出来る仕事がそこにあるならば、それに備える準備をしておくのはプロとして当然であり、私が行けます!と言える自分を作る。 」母校の講演で拓也さんがおっしゃった言葉です。 宮崎出身の誇り高き木村拓也さんです。 広島での活躍が顕著だったので、日ハムに在籍していたことや、キャッチャーが本職だったことを知っている方も少ないかもしれません。 木村さん亡くなって10年ですか。 時が経つのは早いですね。 凄く巨人でキャッチャーとして活躍されてた。 マツダスタジアムで倒れて…ショックでした。 今でも大好きです。 スポンサーリンク 木村拓也 全力プレー精神のまとめ 巨人の木村拓也コーチの全力プレー精神が現在の巨人選手に受け継がれてることで亡くなった木村コーチも天国で喜んでいることだと思います。 全力プレー精神の理由はイチローさんを手本にしているようです。 37歳で亡くなった死因はくも膜下出血でした。 死去されて10年経過してもプロ野球ファンの心の中に今でも残っている選手であります。

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木村拓也 10年ぶりの捕手に: ZAWA talk

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「僕がいた頃のジャイアンツは、レギュラー陣以外の人たち一人一人が本当にチームのために何をするかを考えていました。 原監督の考えがどうなんだろうと、読みながら野球をしていた気がします。 僕はまだ若かったので、先輩たちを見るよりも自分のことで精一杯。 すごいところにいたんだなと今、思います。 だから、やっぱり優勝ができたのかなと感じます」 07~09年、第2次原政権は3連覇し、09年は日本一になった。 木村さんが示したような献身的な姿勢は確実に受け継がれていた。 防具を付けて、練習をした。 「僕なんか(緊急捕手を)やったうちに入らないです。 チームが必要とするのであればという感じです。 僕が捕手をやることで、キャッチャーの方が1人(ベンチから)外れるという思いもあったので、申し訳ないというか、葛藤はありました。 ですが、チームでやれと言うのであれば僕はNO(ノー)と言いたくなかった」 それは木村さんが残していったものなのかもしれない。 「自分の思いというよりも、チームに対してという思いの方が強かったですね。 僕もそういう人たちを見てきているからだと思うんです。 キムタクさんを見ていた人なら、自分もと思いますよ」 優しい笑顔も忘れないが、今でもそのハートもずっと心の中で生きている。

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木村拓也 10年ぶりの捕手に: ZAWA talk

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私が巨人担当1年目の09年は主にファームを取材していた。 この年が現役最終年となる木村さんは7月、打撃不振で06年の移籍後初の2軍落ち。 この時の姿が忘れられない。 G球場で1年目の大田泰示らと一緒になって泥まみれの猛特訓。 「若い選手が頑張っているのに手を抜くわけにいかない」と日が暮れるまでノック、打撃で汗を流した。 すぐに1軍に再昇格を果たし、9月4日のヤクルト戦(東京D)で伝説が生まれた。 11回に加藤健が頭部死球で交代して残りの捕手ゼロに。 同点の12回に二塁から捕手に入った。 10年ぶりの緊急マスクは自己犠牲の象徴的なシーンだった。 内、外野守る究極のユーティリティープレーヤーだったが「スタメンに対するこだわりがなくなったら野球をやめるしかないよ」と話していたのも印象的だ。 最後までレギュラーを目指して猛練習していた。 その上で途中出場ならチームのために役割を全うする。 原監督が求める「個人より巨人」を体現した。 近年の巨人では寺内、増田大が捕手の準備をするなど、思いは受け継がれている。 キムタクがキャッチャーになり、発表されると1番の盛り上がり。 投球練習からキムタクがボールをキャッチするたびに歓声。 ピッチャーを交代してもそつなくこなし、12回を0に抑えた。 原監督はじめ、ベンチは大盛り上がり。 ピッチャー以外のどのポジションもできる、しかもプロでとなると、並大抵の努力では無理だろう。 素晴らしい選手の一人。 若くして亡くなられたのが本当に残念でならない。 出てくる投手もみんな全力で投げてましたね。 信頼も高かったんだと思います。 ユーティリティプレーヤーとして、あらゆるポジションを守った彼が唯一立つことができなかったポジション、ピッチャー。 今でも木村拓也氏の思い出試合のシーンなどが流れると胸がいっぱいになり涙してしまう、。 野球ファンの心に強く残る名選手。 守備の便利屋のつもりで獲ったら、 2番セカンドという今の巨人ですら悩んでいる中核ポジションにすっぽりハマってレギュラークラスの活躍をしたことも。 想像だけど、戦術を練る首脳陣からしたら最も頼れる選手の1人だったのではないか。 ここまで優秀なユーティリティプレーヤーは今もいないと思う。 今日を生きていることが決して当たり前ではないと、再認識させられた。

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