思い出 の マーニー ネタバレ。 映画『思い出のマーニー』のあらすじ&ネタバレ考察!マーニーの正体は?声優キャストは誰?

『思い出のマーニー』外国人と日本人の感想は?全然違って面白い! | MARI'S BLOG

思い出 の マーニー ネタバレ

思い出のマーニーを見に行って来ました。 スタジオジブリの米林宏昌(よねばやしひろまさ)監督作品です。 面白かったです。 いや、面白いとはまた違う感じかも知れません。 いわゆるジブリファンタジーとは違うような感じだし、分かりやすいキャラクターが出てくる訳でもないので、すごく小さな子供たちにはちょっと難しさが残るかもとは感じました。 杏奈やマーニーと同じ、小学生の高学年ぐらいだったら多分、大丈夫だと思います。 僕は大好きです。 思い出のマーニー。 ネタバレしていますので、注意してくださいね! これから見ようと思っておられる方は、こんなブログなんかここまでにして、今すぐ劇場に行って下さい。 ほんとに。 少し泣きました。 アンナの存在を認められるかそうでないかで、かなり評価が分かれそうな気がしました。 僕は、杏奈(あんな:短い髪の子)が持ってる暗い雰囲気が大好きですので、むしろ、後半の元気になる感じに違和感がありましたが、それは好みだし、思い出のマーニーという物語上そういうものなんだろうと自身を納得させました。 ただ、何となく、元気になったけど、性格は暗いまま、というほうがよかったなと思いました。 杏奈は、信子(のぶこ:杏奈の療養先にいる同世代の女の子)にいきなり酷い事を言って、結局最後までたいしたフォローもないんですが、これが正直、自分にも思い当たる節があって、勝手にめちゃくちゃ心が痛みました。 杏奈は信子に本当に悪い事をしたと思います。 アンナの状態をうまく言えないのですが、出来るだけ自分に当てはめ言葉にしようと試みると、多分もう、めちゃくちゃなんだと思います。 クソみたいに自分勝手でめんどくさい人間なのは自分でも痛いほど分かってるんですけど、もう、ほっといてほしい。 今すぐ極度に一人になりたいというか、一生考え続けたいというか、誰にもコントロールして欲しくないというか、空気を揺らさないでほしいというか、なんというか。 アンナも同じ気持ちだったかどうか、本当の所は分かりません。 同じ頃の僕は、アンナとは違って両親もそばにいてくれたし、周りのみんなもすごく優しかったんだけど、心も頭もなんだかめちゃくちゃで。 だから、アンナもそんな感じなのかな、とかなり勝手に痛みを感じてしまいました。 つまり僕は、アンナの気持ちが分かるんじゃなくて、アンナのような子は今も現実にいるんじゃないかな、と感じたのです。 それは、過去の、あの時の、僕のことなのかもしれません。 そしてそれは、杏奈の存在と同時に、アンナの存在も認められるというか。 信子には怒鳴りに行ってくれるような家族がいつもそばにいるけど、アンナは自分にはそんな家族はいない、というようなことを、ひたすら数限りなく考え続け感じ続けてしまっているのだと思います。 それでも杏奈はいつか、信子にしたことの大きさに、失ったものの大きさに苦しむかも知れません。 杏奈はマーニー(金髪の女の子)を許しても、信子には許されないでしょう。 杏奈であろうが、アンナであろうが、あなたはあなたでしかない、のだから。 劇中、信子はアンナに「あなたはあなたでしかない」というようなことを言います。 それは、酷く僕を揺らす言葉でした。 そう、僕は、一人しかいないのです。 今も昔も、そして、これからもずっと一人です。 信子も救えるように物語を導くべきなのかもしれません。 愛が足りないと言われれば、そうなのかもしれません。 逆に、子供なんて人間なんてそんなもんだ、と言える勇気があればいいんですけど、僕にはそこまでの勇気がありません。 すべてが、僕の勝手な思い込みなのかもしれませんが、やはり、ここのアクションだけは他と違ってどうしても引っかかったので、僕の勝手な想いを書きます。 だから、これからの杏奈もとても心配ではありますが、それでも僕は、杏奈のすべてを肯定すると思います。 マーニーは、アンナのそばに、ちゃんとそこに存在していて、アンナはちゃんと、肌のぬくもりだったり、息づかいだったり、生や性を感じている。 つまり、マーニーはアンナの想像上の人物などではなく、実際に出会っている、ということかと僕は感じています。 ようするに、現実と空想が入り乱れている物語ではないと僕は思います。 いや、想像なのか空想なのか現実なのか真実なのかどうかなんて、そんなのどうでもいいんです。 僕にも思い当たる節があるんです。 原作を読んでいないため、実際どういった扱いなのか分からないのですが、思い出のマーニーは、時空(祖母)や物質(人形)を超えたところでちゃんと触れ合えたというファンタジー、という建前の超現実的なドキュメンタリー、なんじゃないかと僕は感じました。 だからなのか、結構マーニーも酷いんですよね。 酷いというか、現実的というか、アンナの想いとの差がありすぎるというか、怖い感じさえするというか。 マーニーは、アンナがどこからきて、誰なのか知っていたのかも非常に気になります。 僕は上記の理由から、知っているような気がしています。 そして、それを、つまり結果的に、アンナを、サイロでだけではなく、その後の人生をもひとりぼっちにしてしまったマーニーに、最後、アンナは「許してあげる、あなたがすきよ、マーニー」とちゃんと会って伝える。 許しの物語。 むしろ、許すために、外側に行ったと言えるのかもしれません。 杏奈は、マーニーを、両親を、信子(内側)を、そして、自分を許すために。 マーニーは、両親を、恋人を、娘を、そして、自分を許すために。 思い出のマーニーは、杏奈を救おうとする物語であると同時に、マーニーを救おうとする物語でもあるのだと僕は思います。 マーニーの杏奈に対する「あなたのことをたくさん知りたい、でも、少しずつ知りたいの」というような言葉がとても印象的だったから。 あと、アンナとマーニー以外の登場人物にいまいち奥行きが無いと感じたり、全体的に動きが少ないと感じたり、何か軸になるアイテムが欲しいと感じたり、ストーリーに流れやメリハリが欲しいと感じたり、前半部分を短縮してアンナとマーニーのみに絞って90分ぐらいでもよかったのではないかなどと感じたりしましたが、それでも、僕は「思い出のマーニー」が好きだなと思いました。 それに多分、僕も、許したかったんだと思います。 そして、何よりずっと、許してほしかったんだと思います。 でも、それはもう、無理な事だから。 なんか、めちゃくちゃですいません。 僕は、今もあんまり変わっていないのかもしれません。 エゴでも何でも、映画と一緒に自身の心の揺れを自身で強く感じてしまいました。 こんなにも、泣いてしまうとは思いませんでした。 絵的なこと、背景とか、風景とか、あと、主題歌も、音楽も、声も、すごく心に染みました。 すごく好きな感じでした。 すごく良かったです。 米林監督を始め、関係者の皆様、素敵な作品をありがとうございます。 小舟が屋敷につくところとか、サイロのシーンとか、最後の許すシーンは、僕を掴んでずっと離してくれませんでした。 僕は、杏奈が誰かに愛されているということを知ったことよりも、誰かを愛してもいいんだと知ったことのほうが、すごくすごく、うれしかった。 また、見に行きます。 アンナとマーニーに会いに行きます。 いや、彩香に会いに行きます! 彩香(さやか)は眼鏡っこ。 自分は演技をしてる側の人間です。 偶然このブログを見つけました。 自分なりに観て感じた事を書きます。 杏奈は信子に酷い事を確かに言いましたが映画の最後に杏奈が素直に謝った事で信子は許したと俺は映画を観て思いました。 今度はゴミ拾いをしてもっとお互いを知りましょう。 て意味に聴こえました。 信子の言い方は確かにぶっきらぼうな言い方でしたが、あれは信子なりの杏奈への伝え方であり、そして信子のうわべだけで無い心からの杏奈へのメッセージだと思います。 杏奈も信子も不器用で素直じゃないんだなって観ててほっこりしました。 本当に嫌いになった人ならあんな言葉は書けないと思いますしあの後どうなったかは観る人の想像に任せますて感じがやはりジブリの良い所ですね。 昨日の金曜ロードショーで初めてこの映画を観たのですが、良い映画ですね。 心の奥が温かくなり また観たくなる映画です。 誰もが持ってる心の闇の部分にこの映画はそっと明かりを照らしてくれて癒してくれる そんな感じに思えました。 自分も今まで生きてそういう部分も沢山ありますし経験もしましたので本当心が癒されました。 沢山の人に思い出のマーニーは観てもらいたいですね。 こんにちは。 思い出のマーニーを金曜ロードショーで観て、この作品について調べていたところこの感想を見つけました。 非常に共感するものがあります。 私は現高校生で、多忙な毎日を送っています。 そのなかで、杏奈が言った、内側と外側を感じます。 私は人と一緒に行動することが苦手で、杏奈に重ねてしまうものがあります。 きっと、今このような人は、私以外に沢山あります。 しかし私は、両親に愛されています。 このような性格だけど友達にも恵まれている環境にいます。 こんな私だけど、そばにいてくれる人がいます。 なんでこんな性格なのに愛してくれてるのかといつも思います。 (見せかけの愛でも私が愛と感じればそれでいいのです。 ) 友達から、私の一つの名前を呼ばれるたび、私の存在を呼ばれるたび、本当に泣きたくなります。 それは愛を感じれるから。 この作品には、ジブリの中でも、特に、愛を感じれる作品だと私は感じました。 マーニーや、杏奈は率直に愛していると伝えています。 おばさん夫婦は、杏奈を優しく見守っています。 養母は、彼女に伝わらなくとも彼女を愛しています。 それぞれがそれぞれの形で、愛を伝えています。 本当に、言葉にできない、愛に溢れた作品です。 私も、この物語が好きです。 長文失礼致しました。 金曜ロードショーを観てからの2日、僕の中の杏奈な自分 中身はおっさんです が中々消えなくて、ここに辿り着きました マーニーは杏奈が創り出した妄想だと僕は思っています 自分を外側に置いた杏奈が、自分がなりたい存在で肯定してくれる存在を求めていたのかなあと そのうち祖母の話しに引っ張られ、都合の良い存在でなくなったマーニーを許した時、杏奈自身の事も許せたのだろうと 本当は違うと思っていても、人の優しさの裏側を疑ってしまい、素直になれなかった杏奈 マーニーは辿り着けない理想の自分 結局、僕は杏奈でもマーニーでもない存在の大人になったけれど、小説や映画を観ると現れてきて、恥ずかしいやら愛おしいやら きっと、色んな人の中に、それぞれの杏奈とマーニーが居るんだろうなあ そんなこんなで、思い出のマーニー好きです 駄文乱文失礼 はじめまして。 私も金曜ロードショーで初めて見ました。 通りすがりに思わずお邪魔しちゃいます。 私も泣きっぱなしでした 風の谷より泣きました。 笑 いやでも正直ジブリだと忘れていました。 終始やわらかい綺麗な絵でしたねーそこにまずグッと。 杏奈に共感というか、そうゆうのとは少し違いますが 実はわたし杏奈くらいの歳の頃の記憶がないんです。 あまり。 大人になって自分でやっと理解したんですが たぶん子供ながら自分の記憶を消したんだなって。 だから分かります。 もう一人の自分がいつもどこかで見ているのが。 自分を許すかぁ。 ありがちな話だけどこんなふうに一本の映画として見るのは なかなかないもんで いい作品でした。 お邪魔しました。 正直 このジブリ いや ドラマをみてとっても最高でした! テスト休みで 借りてみていたよですが かるいきもちで見るものでわ ないと思いました! 自分も マーニーみたいな子と 一緒に遊んだりしたいです! 正直 非現実的ですが マーニーのこと 好きになりました! 杏奈のあの くらい感じといい なんともいえません! 自分の一番好きな場面わ 2人で ボートに乗り マーニーが あなたわ私の大事な 秘密よ と手をとりあうところが 好きです! 自分も マーニーが住んでいた お屋敷にいってみたいです! 最後にわまさか 杏奈の おばぁちゃんだったとは びっくりしました!マーニー 本当に人柄といい 声といい 大好きです! ぜひ みてください! はじめまして 私は、15年10月9日金曜ロードショー、地上波として初公開の夜に見て、虜になりました。 私も、杏奈と同様、そして杏奈以上にプリシラ・アーンさん同様、高校の頃、どん底に暗かったです。 その後、手当たり次第にいろいろな方の感想やレビューを読んで見ましたが、「これぞ、鑑賞文の鑑」と言えるレビューにようやく出会えました。 ご自分の体験に引きつけて、誰のマネでもない文章をお書きで、敬服致します。 さて、ついては2点お伺いしたいことがあって、書き込ませて頂きます。 Q1 「㊿年前」という数字は、劇中のどのセリフからわかるのでしょうか。 私はアニメを5、6回再生してみましたが、この数字に思い当たる箇所がありません。 それで、地上波版ではカットされたシーンがあるのかも、と思い、劇場でご覧になったまなべやさんにお聞きしております。 Q2 貴レビューの初め辺り「アンナ」というのは、どういうイメージに対しての命名でしょうか? まだ見ぬ原作のAnnaはそんなキャラクターかもしれない、という御推測かな、と まず思いましたが文章内容から推してそうではなさそうですね。 では、杏奈の無意識・潜在意識・意識下・超自我・等々と呼ばれるもののことか、と思いましたが、「アンナの存在を認められるかそうでないかで、かなり評価が?・・・」「(アンナは)一人になりたいというか、一生考え続けたいというか、誰にもコントロールして欲しくないというか、空気を揺らさないでほしいというか」といった記述からは、杏奈本人も意識していない、別の自分とか、精神分析学によってのみ表面化させられる何ものかをお考えでないことも明白ですね。 と三つめの推測をしましたが、それなら「杏奈の内面(もしくは、心中)」で済むことだし、第一、「 信子には怒鳴りに行ってくれるような家族がいつもそばにいるけど、アンナは自分にはそんな家族はいない、・・・」の部分は、血縁者がいないことが作品内現実とされている以上、「アンナ」でなく「杏奈」と書かれる筈だ…と考えると、内面でもなさそうです。 「アンナ」という名で表される何かを設けて論じる点こそ、貴レビューの最もユニークな部分であり、かつ、核心でもあろうかと愚考します。 お手数ですが、よろしければ、お手すきの折にでも、「杏奈」/「アンナ」の使い分けを教えて下さいませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。 皆さん、ブログを読んで頂き沢山のコメントまで頂き、本当にありがとうございます。 すべてに返信できなくて申し訳ありません。 一つ一つ全部読ませて頂いています。 皆さんの様々な感想がとても興味深く胸を熱くしております。 村崎真惟さん、質問ありがとうございます。 もちろん自分の考えが正解ではありませんが、様々な感想がある中、皆さんの感想の返信に通づるものもありますし、今自分が考えている事をお答え出来れば、と思います。 自分もすべてに答えを出せている訳でない為、理詰めでなく感覚的な部分が多々あること、了承下さい。 Q1 の「50年前」の件ですが、自分にもその認識はありません。 もしかすると原作の記述に、マーニーの日記に何かそういった年代との繋がりが記されているのか、マーニー自身の年代的にそういう事と認められるのか、など何か記述があるのかも知れません。 例えば映画の中の小物の年代的にそういう風に認められるのかも知れませんが、映画の中にはっきりと50年以上前だという記述みたいな証拠は無かったと思います。 見落としていたらすみません。 Q2 の「杏奈」と「アンナ」の違いですが、様々な感想があると思いますので、あくまでも自分の認識という事で書かせて頂きます。 自分の中では、アンナは悲しみを請け負う人、杏奈は普通のフラットな杏奈という認識でした。 ちなみに、杏奈は喜びを請け負う人、ではありません。 「もう一人の自分」や「杏奈の内面」という言い方も僕は正しいと思うのですが、支配されているほうが杏奈で、支配している方がアンナです。 未来が杏奈で過去がアンナ。 親が杏奈で子がアンナ、だと僕は思ってるんですけど、ここがすごく難しくて、今の僕の考えでは、やっぱり親杏奈子アンナなんです。 何故か逆じゃ無いと感じるんです。 単なる記述の問題なのかな。 親が子(自分自身の子供の頃)に会いに行く、過去の自分に会いに行く、そういう感覚なのかも知れません。 この考えは、思い出のマーニーの物語ともリンクしていると言えるかも知れません。 杏奈とアンナ、二人は同一人物です。 そこに時間の流れがあるだけです。 いつも一人なのです。 毎日毎日悲しみを請け負っているアンナがいることを、杏奈自身が認める(許す)物語なんじゃないか、と。 マーニーがアンナに許しを乞い、行動できないアンナに変わって杏奈がそれを許します。 存在を認めて、尚且つ、いい子いい子してあげることは、同時に、普通の人物である自分(杏奈)がすべての悲しみを支えなければいけなくなる為、杏奈の今後がとても心配です。 僕が最終的に杏奈が笑顔になって少し違和感があったのは、それが、アンナではなく杏奈のもののように見えたからです。 正直、まだ早すぎると思います。 これからもアンナがそばにいることを隠す必要は無いと思います。 もしかすると内側にいる人は、アンナを全く意識していないのかも知れません。 存在を認めた後なのか、それ以前なのかは難しいところです。 人ぞれぞれなのかもしれません。 外側の人は、アンナの存在を完全に認識しており、申し訳ないと思いつついつも押し付けており、この世界は悲しみに溢れているため、自分を守りたいがためにアンナを守る時、杏奈が変わって内側の人間に強く出てしまうこともあるのだろうと思います。 それが、人間の強さの源泉、なのかも知れません。 時に、負の感情から強さが溢れる出る事もあると思います。 自分を守りたいが為の行動を非難する事は僕には出来ません。 それを、僕は肯定したいのです。 杏奈のすべてを肯定したいと思っています。 それでも、まだまだ先は長い。 まだ何もかもが始まったばかりです。 だから杏奈だろうが、アンナだろうが、あんたはあんたのようにしか見えない、と信子に言われても、そんなこと初めから分かってる、ということなんだろうけど、そういうお前こそ、自らのノブコに気がついて無いだけじゃないのか、無視するなよ、という憤りもアンナにはあったのかも知れません。 ひどい八つ当たりなのかもしれませんが笑 でもこれは、信子はすでに、自らのノブコの存在を認め許し、尚且つ守り育みながら行動しているかも知れない、とも言えると思います。 信子の強さを認めるかどうか、など様々な意見があると思います。 僕は、杏奈は信子のようにはなれないと思っています。 なぜならそれは、もう杏奈じゃないからです。 そもそも、なる必要もありません。 それこそ、杏奈はアンナを含めて、すべてが杏奈そのものなのです。 この辺りの解釈が人ぞれぞれなのも、この映画の面白いところだと感じます。 だからこそ、外側と内側のどちらが居心地が良くて優れているかなども、やっぱり人それぞれで、それが個々の感想の違いなんかにも現れているのではないか、とも感じています。 決して、外側駄目で内側万歳ではない、と僕は思っています。 その逆も然りです。 もちろんそうなんですが、自意識と言うか、認識は残酷です。 現実は残酷です。 僕も多分、僕があまり好きでは無いのかも知れません。 暗くても明るくても大好きだよ、と、そんな言葉を、僕が僕に言えたら良かったのかも知れませんね。

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思い出のマーニーの十一(といち)とマーニーの正体の考察は?ラスト結末のネタバレ(あらすじ)と感想は?

思い出 の マーニー ネタバレ

ネタバレ! クリックして本文を読む お話は主人公の『自分大嫌い』発言から始まり 説明不足なまま田舎に預けられる事に。 しかし性格破綻者な主人公は心優しい人とも馴染めず 自爆気味に追い詰められていく そんな中 見えたり消えたりする謎の少女 『マーニー』と友達になる はたして、その正体は夢なのか、空想なのか と言った物語 その正体は不明なまま終わるが マーニーとは主人公の祖母だった、というもの。 実際幽霊であったのか、主人公の記憶から呼び起こされた妄想であったのかは謎なままエンディングを迎える。 実際には 『触れられるし』 『他の人も見てるし』で 『実態として存在している』様に見えてくる その為 ・別の世界と繋がっているのか、とか ・主人公の空想が実体化したのか、とか SFな展開を予想すると 『何故か見えてただけの死んだお婆ちゃん』でガッカリしてしまう。 監督が別の人であれば楽しめたと思う作品 ネタバレ! クリックして本文を読む 本当の両親が死んで養子、喘息持ち、言いたいことが言えない …そんな設定の女の子はふとっちょぶたと会ったばかりの人に言えないだろう。 それなのにひとりで、嗚呼、なんて不幸なわたくし…みたいな顔をしている主人公が見ていてただひたすら痛い。 あのわりと序盤のふとっちょぶたシーンさえなければ、育ての親との関係に悩み、内気で病気がちな自分を嫌うひとりの少女として見守ってあげたいという気持ちのひとつでも芽生えたはずだ。 しかし、面と向かってふとっちょぶただなんて…それ言えるんなら、最初からもっと強く生きていけよ…とツッコミたくなってしまう。 マーニーとの異国情緒溢れるパーティーのシーンと湿っち屋敷のデザインはとてもよかった。 マーニーママがキセルを吸っていたのも、オードリーヘップバーンのようで印象的。 ネタバレ! クリックして本文を読む 米林監督作品は以前「アリエッティ」と「メアリ」を観ており、正直全く面白く感じなかったので、非常にハードルを下げて鑑賞しました。 米林監督舐めててごめんなさい。 めちゃくちゃいい映画でした! この映画は評価が割れて当然の作品だと思います。 アニメーション映画にダイナミックなストーリーや派手なアクションを求める人や、頭を空っぽにして観ることができる作品を好む人には全く刺さらない映画になるでしょう。 また、主人公の抱える心の問題に共感を得ることが出来ない人もなにが面白いのかわからない作品であると思います。 逆に、作品の構造を読解することを好む人や、アニメに美しい美術、機微な心理描写を求める人、主人公のアンナに感情移入してしまう人には突き刺さる作品であると断言出来ます。 いずれにせよ、ジブリ作品だからといって全く子供向けの作品ではありません。 本来なら40億円近い興行収入を叩き出せるような大衆向きの映画ではないです。 ジブリであること、興行収入的にヒットしたことがこの映画を正当に評価されなくしている原因であるように思います。 映画の内容に言いたいことがないわけではないです。 無口な爺さんや太っちょデブはもっと丁寧に扱うべきキャラクターだと思うし、大事なことをセリフで説明し過ぎている。 マーニーを原作小説のイメージ通りに金髪外国人と設定したことで 作品の舞台は現代日本に変更している 、良い部分もあるとは思うが、腑に落ちない部分も出てきているのも事実。 しかし、個人的にはこの映画、突き刺さりました。 涙腺崩壊です。 現実と幻想の境目が非常に曖昧になっていくという作品構造は、割とありがちとはいえ、大好きな設定です。 アンナは分身であるマーニーとの対話により、心を癒していく。 お互いにあなたのことが好きと告白し合うのは、つまり自己を嫌悪していたアンナにとっての自己肯定だ。 他者とのコミュニケーション不全が心の病の原因なのだとすれば、病を直すには他者との交流を置いて他ないのである。 他者と関わりを持てないアンナは自らマーニーという他者を設定することにより、自己の真相の内部に潜り、傷を癒すのである。 癒しの完了したアンナにとってマーニーは不要になり、2人の別れが訪れる。 その別れのシーンは涙無くしては見れないです。 あと良い点。 今更当たり前のようだが、美術が綺麗。 背景が素晴らしい。 人物の描写も見事。 声優陣も悪くない。 有村架純はイマイチだったけど。 エンディングが非常に美しい。 テーマソングが素敵。 百合要素は…視聴者サービス? とにかく個人的には非常に泣けたし楽しめた。 米林マロ監督のこれからに期待! これだけのものを作れる人が、なぜメアリを作ってしまったのだ…• 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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【思い出のマーニー】内容ネタバレと解説!サイロで和彦が現れた理由の考察も!

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何度か「思い出のマーニー」を観ているのですが、ちょっと気になったのはサイロでの出来事です。 マーニーの正体も気になりますが、どうして和彦(かずひこ)が突然出てきたのでしょう? 謎が多いとされる「思い出のマーニー」です。 サイロの解説と和彦が出てきたシーンを考察してみました。 これより先はネタバレになります。 まだ映画をご覧になっていない方は注意してくださいませ! 最後まで読んでいただけると嬉しいです。 思い出のマーニーの内容ネタバレ! ジブリの『思い出のマーニー』 宮崎駿の監督作品でないため、若干、知名度が低いようですが、米国アカデミー賞にもノミネートされており、海外での評判も高いようです。 監督は『借りぐらしのアリエッティ』の米林宏昌。 — Rakia2018 rakia2018 ネタバレをする上で欠かせないのが杏奈とマーニーの関係です。 杏奈とマーニーは孫と祖母であることが映画の終盤で描かれています。 夏祭りに村の子供である信子から、目の色が青いことを言われているシーンで、「あれ?もしかして・・・」と思った方もいるのではないでしょうか。 マーニーの父が外国人で母は日本人らしい容姿をしています。 ということはマーニーはハーフであり、孫にあたる杏奈がクォーターとなりますので、目が青いというのもうなずけるものです。 ただ、杏奈自身にしてみれば言われたくないことだったようでした。 映画を見た人からの評判で意味がよく分からないいう声がある すでに亡くなっている祖母が若い姿で杏奈と出会ったり話したりすることは現実からかけ離れています。 白昼夢・幽霊・タイムスリップ説ではないかという声がネットに上がっていますが、 こういった原因は何故マーニーが杏奈と出会ったのかという説明が映画で語られていないからです。 (調査したところ原作でもはっきりとした説明はされていないようです) 説明されていないので、映画を見ても内容が難しく思えるのではないでしょうか。 人によっては消化不良のように感じるのかもしれません。 この映画は、最初から最後までしっかり観てないと、散らばっている伏線を見落としてしまうような気がします。 (私は2回観て「なるほど!こう言いたかったのか!」と思ったりしました) 前置きが長くなりましたが、解説へと進みたいと思います。 「思い出のマーニー」マーニーの正体は? サイロのシーンを語る上で、マーニーの正体にも触れたほうが分かりやすいと思ったので、和彦よりも先に解説させていただきます。 マーニーの正体は空想の人物です。 これは杏奈自身が語っています。 「マーニーは私が作り上げたの。 空想の中の女の子」 湿っ地屋敷に引っ越してきた彩夏(さやか)と出会い、マーニーについて問われ時に出てきたセリフでした。 では、マーニーの正体について考察したいと思います。 物語全体を通して考えてみても、杏奈は祖母であるマーニーの顔はおばあちゃんの時の姿しか知らないと思うのです。 (おばあちゃんと一緒にアルバムを見たということも考えられますが、映画にはそのような伏線はなかったので外します) では、どうしてマーニーの姿形は金髪であったのか。 人形がモデルであると推測します。 では、空想の人物が偶然にも祖母の名であるマーニーという名前が付くでしょうか? それは物語の終盤で、杏奈を引き取って育てている頼子から受け取る写真に答えがあると考えました。 施設から養子へともらい受ける時に、杏奈が握りしめていた写真だという説明があります。 杏奈が初めて見た時の湿っ地屋敷を「知っている気がする」と呟いていました。 湿っ地屋敷を見たことにより、杏奈の潜在意識が働いてマーニーという空想の人物を作り上げるきっかけになったと思います。 空想の人物と言ってもマーニーの表情は豊かで好奇心旺盛。 杏奈は何を元にマーニーという人物を作り上げたのか仮設を立ててみました。 祖母であるマーニーが自分の過去を語った記憶を元に形成• 杏奈が作り上げた理想像 2つの要素がマーニーという人物を作ったのだと思われます。 理想像というのは、サイロに行く前にお互いの境遇を打ち明けたシーンにあると考えています。 マーニーと過ごす出来事は祖母であるマーニーから聞いた実話を再現していますが、以下のシーンは杏奈が無意識に作り上げたものだと思います。 杏奈は役所から自分の養育費の割合が増えるという書類を見てしまった。 本当の子供だと思うならお金を受け取らない。 と胸の内にあった感情を吐き出しています。 一方で、その話を聞いたマーニーは「養女にしてくれたお父様やお母様こそ本当に親切な人なんじゃないかしら」と言っています。 つまり、マーニーの言うように、杏奈は育ての親には感謝している。 そういうふうに言えるマーニーのようになりたいと思う表れなのではないでしょうか。 マーニーの正体についてまとめると• 祖母の昔話が土台となっている• 姿形は杏奈が持っていた人形がモデル• 自分の理想像 というのが組み合わさって空想上の人物=マーニーができあがったと思われます。 「思い出のマーニー」サイロに和彦がいるのはどうして? サイロのシーンをざっくりとおさらいをします。 先に行ってしまったマーニーを追いかけてサイロへ杏奈が入ります。 はしごを登ってみるとマーニーが恐怖で震えていました。 何故かこの時にマーニーは誰かのコートを羽織っているのですが、杏奈は気にする様子でもなく、サイロを出ようとマーニーの手を引きます。 雷雨が激しくなり、マーニーが動けないほど怖がったため、サイロにとどまることにしました。 身を寄せ合って杏奈が目を閉じると、子守唄から始まる回想シーンがはじまり年老いた杏奈が小さな子を寝かしつけています。 「そうやって一晩中サイロの中にいたの。 私は怖くてたまらなかった。 そこへおじいさんが来たの。 よーく頑張ったと励ましてくれた」 寝かしつける回想シーンが終わったあとに、和彦がマーニーを迎えに来ました。 そして一緒にサイロを出ていくのです。 以上がサイロに登場する和彦のシーンとなります。 では、解説と考察に入ります。 注目したいのがシーンの切り替わりです。 和彦が出てきたのは、祖母であるマーニーが杏奈に昔話を聞かせたあとのシーンです。 杏奈が目を閉じてから子守唄が流れてきたので、眠りに入ったのではないかと考えました。 つまり、杏奈が幼い頃の記憶を具体的に夢となって出てきたと思うのです。 杏奈は夢を見ている立ち位置なので、マーニーと和彦の姿しかなかったというわけです。 この回想シーンで気になるセリフがありました。 「よーく頑張ったと励ましてくれた」 と、幼い杏奈に話しているマーニーの言葉です。 ということは、和彦はサイロにマーニーがいるのを承知していて、日が昇った早朝に迎えに来たということだと感じました。 (マーニーと和彦が出ていこうとしているサイロの出口が眩しさを印象づけたものでした。 このことから早朝と推測) サイロにいたマーニーが羽織っていたコートは和彦のもので、夜の寒さをしのぐためにあらかじめ渡したものだったのでしょう。 マーニーさんという存在は、杏奈さんが現実世界での生活に意識を向けると消えてしまいます。 金曜ロードショーの公式Twitterで「 マーニー さんという存在は、杏奈さんが現実世界での生活に意識を向けると消えてしまいます」と呟いています。 向き合わなければならないと言う。 いっしょうけんめいやってみたけど、やっぱりプルートはこわい。 和彦があたしをサイロにつれて行こうとする。 私はぜったいに行かない。 あの人があのことでわたしをからかうのをやめてくれればいいのに・・・ この内容から考えられるのは和彦が「怖かったら克服するしかない」とでも言ったのかもしれません。 (幼馴染に対してかなりのスパルタな感じがします) 嫌がるマーニーをサイロに連れて行ったと思われますが、回想シーンで杏奈に聞かせた昔話を照らし合わせると、最終的にはマーニーも納得してサイロに入ったと思われます。 ちなみにプルートとは湿っ地屋敷で飼われていた犬のようです。 ジブリ映画では説明はありませんでしたが原作にあるようです。 マーニーがサイロを怖いと思うのはどうして? 「悪い子はサイロに入れられる」 というマーニーの台詞があるので、小さい頃から言われ続け恐怖心を植え付けたと思います。 湿っ地屋敷ではお手伝いは2人います。 マーニーは彼女らのことを「ねえや」と呼んでいます。 そのねえやたちが、ばあやの指示によってサイロへ入れられそうになります。 サイロに付いた途端に雷がなり始め、驚いたねえねたちはマーニーを連れて屋敷に戻るのでした。 両親たちは家に戻ってくることは少なく、使用人によるマーニーへの嫌がらせもありました。 「ばあやはいつも機嫌が悪いの。 誰もいじめていると思わないでしょ。 ねえやたちは怖がらせることが好きなの」 言うことを聞かないとサイロに入れられると刷り込まれ、嫌がらせを受ける人達によってサイロへ連れて行かれるのです。 幼い子が恐怖心を抱くのも当然かもしれません。 サイロでマーニーがいなくなったと気づく杏奈の考察 マーニーがいなくなったことで「あなたまで私を置いていった」と泣きながら走るシーンがあり、回想で杏奈が祖母であるマーニーの葬式に参列している様子が描かれています。 回想ではただ人形を抱きしめるだけで、大人たちの無責任な会話が耳に入るのをじっと耐えています。 行く先のない当時の不安な気持ちと、1人にしないでと言いたかったのをずっと我慢していた表れではないでしょうか。 また回想には雷の音に部屋の中で杏奈が耳をふさぐシーンもあります。 こちらについては、恐怖でこの場から逃げたいしたいと思う気持ちも含まれていると感じました。 杏奈が泣きながら走っていたのは 空想はひとりにされたという喪失感と、置き去りにされた悔しさと悲しみ。 現実として雷が苦手なのでこの場から早く立ち去りたいと思う恐怖 という感じではないかと思います。 マーニーと杏奈の別れ 杏奈の夢の中での出来事となります。 杏奈は自分が置いていかれたとマーニーを責めますが、マーニーはこう言いました。 「そんなつもりじゃなかった。 だって、あの時、あなたはあそこにいなかったのだもの」 確かにサイロのシーンでは杏奈のことを和彦と呼んでいたことが多々ありました。 空想とはいえ杏奈はサイロでマーニーの隣にいました。 それをいなかったというマーニーにどうしてだろうと思いました。 このシーンについては伏線があまりなくて、サイロでの一連の流れを踏まえた考察となります。 マーニーは杏奈が作り上げた理想像です。 いわば「なりたかった自分」でもありました。 サイロを出て「1人にしないで」と泣き叫んだのが杏奈の本当の気持ちです。 この様子は自分の気持を受け入れたと考えていいのではないでしょうか。 また雷が怖いから走ってサイロから出るというのも本当の気持ちです。 自分の気持を感じた杏奈に、理想像としてのマーニーの役目が終わったこをと指していると思われます。 マーニーが「許してくれると言って」とはどういう意味か 湿っ地屋敷でマーニーが自分の部屋の窓から杏奈と言葉を交わす最後のシーンです。 ここまででマーニーは杏奈が作り上げた理想像であり、なりたかった自分でもありました。 つまり、自分自身を許してあげる意味合いがあるのではないでしょうか。 マーニーにサイロへ行く前、自分の境遇を話した時に「わざと死んだんじゃないって分かってるけど、私を一人ぼっちにして許せない」といったセリフがありました。 マーニーの「許してくれると言って」というのは、それは祖母や両親のことではなく、自分を責めている杏奈に対して言ったことだと思うのです。 杏奈自身が自分を許すということは、昔のことも含まれますが現在の環境もひっくるめて自分の感情を受け入れるということだと感じています。 「もちろんよ、許してげる!あなたが好きよ!」の辺りや、マーニーが最後に手を振る演出で、ウルッと来ますよ〜…。 最後まで見て「あなたのことが大すき」のキャッチコピーの意味がわかるんですよね、思い出のマーニー良い映画でした — ナベ nabe4242 今まで鉛筆画が多かった杏奈の絵ですが、変化があったと分かるシーンがあります。 破られた日記を持ってきた彩夏に会うため部屋をあとにします。 育ての母の頼子に送るハガキが映るのですが、色彩で描かれていました。 杏奈が色を付けるという行為が、自分を受け入れて前へ進もうとする杏奈の気持ちが表れていると思います。 最後まで読んでくださりありがとうございました!.

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