ファーブル 家。 ファーブルとは

ファーブルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

ファーブル 家

あなたは、昆虫はすきですか? 恐らく、 子どものころは好きで虫を触ったりすることが、できたのではないでしょうか。 大人になると虫が嫌いで、触ることすらできない人も多いはず。 スポンサードリンク 筆者もよく、田舎で育ったせいか子どもの頃は、「カブトムシ」が好きで、よく採りにいったものです。 またカブトムシの幼虫から、さなぎ、カブトムシと育てた記憶があります。 写真:www. tsukiyono. jp そんな中で、子どもの頃から昆虫が大好きで、何十年も昆虫の観察を続け、「昆虫記」という本をだした人がいます。 それが「 アンリ・ファーブル」という人物です。 wikipedia. org ファーブル 1823年-1915年 は、フランス人で世界でも有名な昆虫学者です。 ファーブルは、生物学者、教師であり、特に昆虫の行動研究の先駆者として知られる人物、ファーブルがまとめた「昆虫記」は特に有名です。 彼は、中学の教師もしていて、物理学、化学の普及書を著しています。 ファーブルは、1823年に南フランスのサン=レオンの町に生まれ、家は裕福ではなかったが、よく引越しをしていたという。 彼は自然豊かなところで暮らすことが多かったのか、少年時代から昆虫に興味を持ち、よく山などに行って昆虫を観察するのが好きだった。 学校の教室につかまえた昆虫を持ってきて、机の下に隠して、こっそり見ていたというエピソードもあります。 ファーブルは、昆虫が好きで勉強はしなかったのかというと、そうでいうこともなく、勉強も頑張り、優秀な成績で卒業し、その後小学校・中学校の先生をしています。 彼は、最初昆虫の標本を集めていたのですが、知人から昆虫を「よく調べてみたら」と言われてから、昆虫の研究が始まるようになっていきます。 道の真ん中に、はいつくばって一日中昆虫を観察していたため、周りの人からは「変わった人だ」と思わることもあったという。 彼は中学の教師を辞めて、昆虫の研究と本を書くことに集中することになります。 「昆虫記」にあるように、彼は文字だけでなく、絵もていねいに残すようにしています。 彼の「昆虫記」のおかげで、「昆虫学」という新しい学問が作られるようになったのです。 日本では、 「ファーブル昆虫記」として、昆虫の習性に関する読み物として、多くの日本人にも読まれています。 「昆虫記」は第1巻が1878年に出版され、以降30年にわたって全10巻を出版するベストセラーの本となっています。 「昆虫記」は、広範囲の昆虫が扱われており、最初は特にハチ類と糞虫に関するうものが多い。 ファーブルの興味の中心であったようで、複雑な行動が見られたため多く観察されていたようです。 後半は、広範囲の昆虫を観察し「昆虫記」に残すようになっています。 写真: matome. naver. jp 1970年の発売以来、累計12億冊を販売している。 表紙にはカブトムシやてんとう虫などの昆虫の写真 が入っているのが特徴です。 しかし、3年間昆虫の写真を使うのをやめている時期があります。 きっかけは、教師や親から寄せられた「気持ち悪い」という声だっと言います。 「ジャポニカ学習帳」をつくる「ショウワノート」は、富山県にある本社工場で作られています。 学年や科目ごとに異なる約50種類が販売されています。 商品の形に商標権を認める「立体商標」として認められほどの知名度を持っています。 2012年から表紙の写真に昆虫を使われなくなりました。 「娘が昆虫の写真が嫌いでノートを持てない」、「授業で使うとき、表紙を閉じることもできない」という意見がでてきました。 この声は、10年前ほどから寄せられていたいう。 ショウワノートでは、教師や子どもが虫に接する機会が減ったためとしています。 ショウワノートでは、苦渋の決断で昆虫の写真を掲載するのをやめることになります。 しかし、その後「気持ち悪い」という親からの声がきっかけで昆虫の写真の掲載をやめていたのですが、このままでは生態系が崩れてしまうという懸念から、再びショウワノートは、再び昆虫の写真を使うようになっています。 写真:カブトムシの幼虫 どうして、子どもころは触ることができたのに、大人となると触ることすらできなくなってしまうのか。 昆虫には羽や触角など人間にはないものをもっています。 人間とは違った形のものを、異質の動物として捉えて、触ることすらできないのです。 逆に子どものころには、そんな感情がわくどころか、好奇心でいっぱいなのです。 怖いとか気持ち悪いというよりも、好奇心で触ってみたいという感情が先に立つのです。 触ったり、いじったりすることができるのです。 また、昆虫を見て触る機会も大人になると減ってしまい、慣れていないのも原因となります。 イナゴなどを取ってきて、佃煮にして食べるところもありますが、昔はおいしく食べられたのに、今は見るだけで食べることすらできません。 子どもは、好奇心とともに食べて、おいしいという感情になっているのです。 この例は、国によっても違うことも言えます。 海外ではよく魚やエビの生け造りを食べることができませんが、日本人は平気でおいしく食べることができます。 これは、どうしてでしょうか? これは海外では、ほとんどは魚を生で食べる習慣がありません。 従って環境によって好き嫌いがはっきりしてくるのです。 写真:活魚・刺身|みずほ庵 人間はとかく、経験しないもの未知なるものには、怖いというイメージを持ちます。 逆に経験を持てば、おいしいと感じて、食べることができるようになるのです。 子どもは、経験が浅いせいか好奇心の方が勝り、何でも挑戦したがる傾向にあります。 失敗して初めて考えるのです。 助けを借りれば、 それは一時的に困難から逃げたに過ぎない。 忍耐と塾考をもって困難に当たれば、 そのたびごとに成長することができる。 1分間の休む暇さえないほどに、働くこと。 これほど幸せなことはない。 働くこと、これこそが生甲斐である。 死は終わりではない。 さらに高貴な生 せい への入り口である。 私は自分の無知を、そうひどく恥かしがらず、 わからないことについては、 全然私にはわからない、 と白状しよう ダーウィンの進化論 法則としては壮大なものであるけれど、事実を前にしては、 空気しか入っていないガラスびんみたいなものだ。 多くを学ぶより創造するほうが優 まさ る。 創造は人生の根底なり。 あるものの幸福は、 他のものの不幸を踏み台にしている。 ・「昆虫記」を書いたファーブルは子どものころから、昆虫がすきだった。 ・ファーブルは、「昆虫記」のおかげで「昆虫学」という新しい分野がつくられた。 ・「昆虫記」は、全10巻を出版するベストセラーとなった。 ・ジャポニカ学習帳の昆虫の写真が、3年間掲載されないことがあった。 ・子どものころ昆虫が触れたのに、大人になった触れなくなってしまう。 子どもは好奇心が勝り触ることができるのである。 ・大人になると、経験が勝り異物な存在として、毛嫌いしてしまうことになる。 スポンサードリンク - , , ,.

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ファーブルとはどんな人物?簡単に説明【完全版まとめ】

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昆虫写真家の先生が昨年制作された「ファーブル昆虫記の世界」という 美しいの冊子を読んでいたのだが、ソーテル氏のことが書かれていたので 驚いた。 ソーテル氏はファーブルの娘クレールの夫だった人である。 ファーブルが結婚に 強く反対し素性もわからないとブログで書いたが、記事によると農夫で地理学や 薬学を研究していた方だそうである。 そしてクレールが逝去したのち彼は再婚しており、その孫にあたるのがファーブル マニアならよくご存じのストヤノヴィッチ氏とのことだ。 氏は母方の名前を受け継いでいるので、ソーテル氏と結びつきがあるなどとは誰も 思いつかない。 つまりストヤノヴィッチ氏はソーテル氏を祖父に持ち、ファーブルの義理の曾孫で 蛾の研究者だったということになる。 冊子はクレールがドロバチを見つけた家やクレール自身の写真も掲載されている。 クレールの写真は母親に似ている気もするが、ファーブルの面影もあるようだ。 興味のある方はぜひご覧ください、昆虫館で入手可能です。 この冊子には昆虫以外にアルマス邸宅の居間の写真もあり、早逝したファーブル の愛息ジュールと思われるも写っています。 表題のブログで以前、義父ファーブルとソーテル氏の確執について記載した。 20年以上前に戻れるなら、ストヤノヴィッチさんに失礼を覚悟でお聞きしてみたい ところである。 ブログを書く際に、ファーブル研究者でフランスの知人にソーテル氏について 何か知らないか聞いてみたことはあるのだが、特別な情報は得られなかった。 彼はストヤノヴィッチさんとも交流があり、ファーブルの親戚というのは承知して いたはずだが、祖父がソーテル氏というのは認識してなかったのかもしれない。 さすがにファーブルに関心の高い日本ならではの知見である。

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聖地巡礼:ファーブルの家に行く 前編

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上にも書きましたが、ファーブルは何人も自分の子どもや奥さんを失うなど、 耐え難い状況を乗り越えています。 また小さい頃から経済的に恵まれてない環境でも、 自分で工夫しながら研究を続けました。 ファーブルは昆虫の 研究資金を捻出するために、ファーブルは天然植物のアカネから染料成分である アリサジンを抽出する研究もしており、12年の月日をかけてやっとその技術を発明します。 しかしその後すぐに石油化学を使った、人工的にアリサジンを合成できる技術がドイツで発表され、ファーブルの技術よりもこちらが 一般化されることとなってしまいました。 彼の長年の研究は 無意味に近い結果となってしったのです。 染料実験によりファーブルの手は赤く染め上がっていたといいます。 このような 報われない苦労も、一言で「 虫が好き」という 純粋な想いがあったからこそ何度も立ち直り、乗り越えていけたのだと感じます。 不運な境遇にもめげない 虫への深い愛を持った人がファーブルでした。 ファーブルの虫に対する研究は 虫に対する無知が始まりでした。 自分が知らないことを研究し、明らかにしていく、ファーブルの興味の対象は常に 生きている虫そのものであり、論文で発表された活字ではありませんでした。 「 頭でっかち」や「 知ったかぶり」などといったネガティブな言葉が日本にはありますが、知識を得るだけでは不十分で、それを活用し行動に移さなければ、本当の意味での「 知る」ということにならない。 知識だけを溜め込むことはある意味「 無知」なのかもしれません。 しかしこの無知の自覚こそ何より大切で、知らないからこそ、そこから 知ろうとする行動が生まれ、そこから成長に繋がっていきます。 それにはまず自分が「知らない」という 謙虚な姿勢を持つことが大切だとファーブルの言葉に触れ感じました。 ただただ純粋に昆虫を愛し研究し続けたファーブルの言葉から、それを教わりました。

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