2018年2月には、ヒンデミット作品を収録したCDがペンタトーンからリリースされた。 しかも大きなコンサートホールでの完全即興ライブという、ジャズにしては特殊な演奏。
12あまりにも美しすぎてジャズっぽくないと酷評される方もいらっしゃいますが・・・。
しかし、これをオーディオ的な名録音ということにはどうも抵抗がある。
出会ってから40年ちょい。
上のYouTubeの動画を観ていただくと解かっていただけると思いますがキース・ジャレットはあまりに演奏に入り込むあまり中腰になって奇声を発しながら演奏するのが特徴なのです。
これまでにフランス国立放送フィル音楽監督、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団首席指揮者、ベルリン・ドイツ響第1客演指揮者、モンテカルロ・フィル音楽監督、ドレスデン・フィル首席指揮者、ベルリン放送響芸術監督を務める。 しかし、予定の時間が来てプレゼンが始まります。 だって、美し過ぎるから。
15特に、キース・ジャレットがピアノ1台で即興演奏を繰り広げた『ケルン・コンサート』は格好の題材なのではないかと。
あ、ついでに言うと、クラシック・ピアノに馴れていたボクは、キースが時折あげる奇声や感極まったため息、足で床を鳴らす音などにも驚愕した。
サムシング・トゥ・リメンバー・ユー・バイ• ここに人生の不思議があります。
・・・試しに、CDリッピングのものと比べると・・・。
ちゃんと出ているよと言うのはちょっと無理があるような気がします。 今まで「奇声」と感じていた声は、演奏と連動して演奏者本人の気持ちが高まっていくのを眼前にして、気になるどころか音楽がキース・ジャレット全身から発せられているように感じました。 1976年だったか。
17注意深く聞くと 聴こえます。
コンサートホール等では特にその差が顕著です。
スタンダーズVol. ステージに出た途端、痛みのお陰で頭の中がクリアになった。
見事な表現者である彼は、その音楽スキルと最高に流暢な表現力を使って、即興ピアノの世界を作り上げ、我々を別の世界に連れ出してくれる。
ナマを聴きに行かないひとなら気にならないかもしれないが、とても不自然だ。 当時はクロスオーバーと呼んでいたフュージョン系は「スタッフ」をはじめいろいろ聴いていたのだけど、それらを抜かすとこれが初めてのジャズ体験でした。 小さい頃にピアノを習っていたボクは、いわゆるクラシック・ピアノに馴れていた。
14流して聴く分にはとてもよい。
ワーグナー、リヒャルト・シュトラウス、ブルックナー、ブラームス、ヒンデミット、および新ウィーン楽派の解釈では世界的に定評があり、この幅広いレパートリーを網羅する多数の優れた録音を残している。
チック・コリアとのツインキーボード制で活躍。
たとえばそんなビジュアルが浮かぶような音楽を、いままで聴いたことがなかった。
それまで行ってきたソロ・コンサートと同様、事前の準備なしの完全即興で、曲名らしい曲名もついていない。
ドルトムント在任中、その芸術性が高く評価され、ヨーロッパの主要な歌劇場に招かれるようになる。
入口が「感動」だったことは、その後のジャズに対する態度に大きく影響を与えたと思う。
それはそれで鑑賞が楽しい。
当然でしょう。
謎めいているところも名盤?迷盤?の所以なのでしょうか・・今晩あたり久々にちょっと聴いてみたいと思います。 しかし、ピアニストの場合はコンサート会場にあるピアノを使用するのが普通です トリビアですが、ホロヴィッツが1986年、モスクワで行った60年振りの里帰りコンサートの時は、ニューヨークから愛用のスタインウェイを空輸してましたが、これは極めて例外的です。 2月10日に行われたZARDのデビュー30周年を記念した初のライヴ生配信では、ライヴ前後の蓋絵のバックに『ケルン』を使用。
妄想力がない人、妄想力に乏しい人は、最初はジャズに惹かれたとしても、やがてジャズから離れていってしまうのではないだろうか? イマジネーションという言葉に置き換えても良い。
こんなに妄想力が働くドラマティックなソロピアノも珍しい。
何もないところからこの大曲が完全な即興で創られたことの凄さを感じるでしょう。
1975年1月24日、ケルンのオペラ・ハウスという素晴らしい環境で行われたアメリカ人ジャズ・ピアニスト、のソロ・リサイタルは、1,300人の観客にとって忘れがたい魔法のような夜となった。
ヨーロピアンカルテットはヨーロッパの民謡にも影響を受けた上品で美しい演奏が特徴。 74年10月に《ニューポート・ジャズ祭》を含め、北米で4回のソロ・コンサートを行ったキースは、75年1~2月に11回のヨーロッパ・ツアーで4か国を巡演。
しかも、抒情的で甘いから。 約2年間在籍し、主にオルガンやエレクトリック・ピアノを担当した。
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プロフェッショナルとしては、矜持をもって最良の結果を出す、ということです。
1975年、キース・ジャレットは、既にジャズの世界で十分な成功をつかんでいました。
ベルウッドさんこんばんは ケルンコンサートを初めて聴いた時はシンプルに繰り返され変奏される即興にまるでギタリストみたいなプレイするひとだなと感じたのを覚えています。 体調が悪いとか機器の不具合なんて言い訳は通用しません。
14音楽に真摯に向き合う学生たちからは多くの質問が挙がり、大変有意義な時間となりました。 忠実度を挙げれば2の問題を超えて多くの人が良いと思います。
キースはジャズ出身ではあるが、ここでの演奏は張りつめた緊張感とリリシズムにあふれた現代音楽のような独自のサウンドが繰り広げられている。
しかし不運にも、会場のスタッフは違うピアノを持ってきていた。
録音では、このアクション部分を音源のセンターとして音像設定するのが最もオーソドックスだと思います。
音楽家としての良心だとの主張だったようです。 マイルスやらコルトレーンやらから入っていたらと思うとゾッとします。 【1997年1月記】 1997年01月06日 月 19:45:52・. これはアンコ-ル曲なのだが、楽曲としての完成度が高いために、当時から即興演奏だと認定し難い要素があった。
9日本でも、ジャズ喫茶では本作のリクエストが殺到したが、一部の店は「ケルンお断り」という貼り紙を出していたという。
昨年10月、ニューヨーク・タイムズ紙のインタビューで、2度の脳卒中の後遺症によりピアニストとしての復帰が絶望的であると語り、世界中のファンに大きな衝撃を与えたキース・ジャレット。
何度聴いても「パートI」の完成度の高さには驚愕するほかない。
初めて聴いたときから虜になった。