この新しい方法が起こったために、陸羽が茶の葉の選択法はもちろん、茶のたて方にも多少の変化を起こすに至って、塩は永久にすてられた。 柔術では無抵抗すなわち虚によって敵の力を出し尽くそうと努め、一方おのれの力は最後の奮闘に勝利を得るために保存しておく。
20馬祖の時代以後の禅宗の問答を見ると、 揚子江岸 ( ようすこうがん )精神の影響をこうむって、昔のインド理想主義とはきわ立って違ったシナ固有の考え方を増していることがわかる。
というのは彼らにとっては正邪善悪は単なる相対的の言葉であったから。
われらは恐ろしく自己意識が強いから不道徳を行なう。
シナ磁器は、周知のごとく、その源は硬玉のえも言われぬ色合いを表わそうとの試みに起こり、その結果唐代には、南部の青磁と北部の白磁を生じた。
茶室の広さはその以前に十五世紀の有名な宗匠 紹鴎 ( じょうおう )によって定められていた。 士は生まれると夢の国に入る、ただ死に当たって現実にめざめようとするように。 宋人は、先祖が象徴をもって表わそうとした事を写実的に表わそうと努めた。
14それは the Way(行路)、the Absolute(絶対)、the Law(法則)、Nature(自然)、Supreme Reason(至理)、the Mode(方式)、等いろいろに訳されている。
酒の神バッカスを崇拝するのあまり、惜しげもなく奉納をし過ぎた。
個人を考えるために全体を考えることを忘れてはならない。
荘子いわく「 魚 ( じょうぎょ )いで遊びて 従容 ( しょうよう )たり。
この逆も同じである。 「 因業 ( いんごう )な恥知らずのお茶飲みで、二十年間も食事を薄くするにただこの魔力ある植物の振り出しをもってした。
」というところに茶道の真髄を伝えている。
しかしこういう不利な立場にあるにもかかわらず、喫茶は、すばらしい勢いで広まって行った。
道教思想の 萌芽 ( ほうが )は 老 ( ろうたん )出現の遠い以前に見られる。
十八世紀前半におけるロンドンのコーヒー店は、実際喫茶店となり、アディソンやスティールのような文士のつどうところとなり、茶を喫しながらかれらは退屈しのぎをしたものである。
14社会の慣習を守るためには、その国に対して個人を絶えず犠牲にすることを免れぬ。
独立して改めず。
最後の章は不幸にも欠けている。
茶室は 寂寞 ( せきばく )たる人世の荒野における 沃地 ( よくち )であった。
笑わざればもって道となすに足らず。 ヨーロッパの帝国主義は、黄禍のばかげた叫びをあげることを恥じないが、アジアもまた、白禍の恐るべきをさとるに至るかもしれないということは、わかりかねている。
真の美は必ず常にここに存するのである。
極致を求めんとする者はおのれみずからの生活の中に霊光の反映を発見しなければならぬ。
主観的に言えば宇宙の気であって、その絶対は相対的なものである。
屈原 ( くつげん )いわく「聖人はよく世とともに推移す。 さて禅に注意を向けてみると、それは道教の教えを強調していることがわかるであろう。 この習慣は現今チベット人および 蒙古 ( もうこ )種族の間に行なわれていて、彼らはこれらの混合物で一種の妙なシロップを造るのである。
10それは精神幾何学である、なんとなれば、宇宙に対するわれわれの比例感を定義するから。 老子とその徒および揚子江畔自然詩人の先駆者 屈原 ( くつげん )の思想は、同時代北方作家の無趣味な道徳思想とは全く 相容 ( あいい )れない一種の理想主義である。
よい茶室は普通の邸宅以上に費用がかかる、というのはその細工はもちろんその. われわれは 大権化 ( だいごんげ )の出現を待つ。
[#改ページ] 茶は芸術品であるから、その最もけだかい味を出すには名人を要する。
道教を解せんとするには多少儒教の心得がいる。
平生不平の事ことごとく毛孔に向かって散ず。
南朝の詩人は「液体硬玉の 泡沫 ( ほうまつ )」を熱烈に崇拝した跡が見えている。
宋 ( そう )の詩人 李仲光 ( りちゅうこう )は、世に最も悲しむべきことが三つあると嘆じた、すなわち誤れる教育のために立派な青年をそこなうもの、鑑賞の俗悪なために名画の価値を減ずるもの、手ぎわの悪いために立派なお茶を全く浪費するものこれである。
諸君の知識は、もし通りすがりの旅人のあてにならない話に基づくのでなければ、わが文学の貧弱な翻訳に基づいている。
南宋の禅は驚くべき迅速をもって 伝播 ( でんぱ )し、これとともに宋の茶の儀式および茶の理想も広まって行った。 いずくんぞ魚の楽しきを知らん。
王元之 ( おうげんし )は茶を称揚して、直言のごとく霊をあふらせ、その 爽快 ( そうかい )な苦味は善言の 余馨 ( よけい )を思わせると言った。
「相対性」の合法な活動範囲である。
しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。