中村晃子。 1967年10月10日、中村晃子の「虹色の湖」が発売~“一人GS”と呼ばれる理由

中村晃子の現在は千葉県在住?結婚してない理由は服部晴治との破局?

中村晃子

By - 公開: 2018-10-10 更新: 2020-01-12 【大人のMusic Calendar】 10月10日といえばかつての「体育の日」、そして「目の愛護デー」でもあるが、今から51年前の今日、1967年の10月10日は、歌手・中村晃子の代表作「虹色の湖」のシングルが発売された日であった。 テレビでも数々の歌番組で披露され、とどめは翌68年に初出場を果たした『第19回NHK紅白歌合戦』のステージだった。 中村晃子が芸能界入りするきっかけとなったのは、高校在学中の63年に「第2回ミス・エールフランス・コンテスト」の準ミスに入選したこと。 まずは64年に松竹と契約して女優デビューを果たす。 キュートなルックスからやがて主役級に抜擢されるようになり、66年には当時若手青春スターとして売り出し中だった田村正和の主演作『雨の中の二人』でヒロイン役を務めた。 田村とのコンビ作では、日本初のモッズ映画として紹介された同年公開の『空いっぱいの涙』も印象深い。 また、ソフト化されて現在DVDで入手可能な作品では、68年に公開された『進め!ジャガーズ 敵前上陸』がある。 歌手としてブレイクしてからのこの映画でも大いにフィーチャーされ、ヒロインとしてハツラツと躍動する姿が見られる。 作家・小林信彦が中原弓彦名義で脚本を手がけたことでも知られる、必見のGS映画である。 新進女優として大いに期待されていた彼女が同時に歌手の道も歩み始めたのは、オペラ歌手だった母親の影響もあったことだろう。 最初のレコーディングは17歳のとき。 65年10月に発売された「青い落葉/東京のイブ」がデビュー・シングルとなった。 自身のことが歌われたようなB面曲の「東京のイブ」には、当時『イヴの総て』で新進女優役を演じたアン・バクスターのイメージも託されていたかもしれない。 いずれにせよ、ティーンエイジャーの頃から既に男性を翻弄するような小悪魔ぶりを発揮していたとおぼしく、以降もそれは彼女の最大の魅力として発揮されてゆく。 この時点から既に横井弘と小川寛興のコンビが作詞と作曲を手がけていたが、デビュー曲「青い落葉」は残念ながら大きなヒットには至らず、歌手としてブレイクするのは少し先になる。 カップリングの「フラワー東京」には、60年代終わりのアメリカの反戦運動から派生した、ヒッピーたちによるフラワー・ムーヴメントが反映されていた。 その大きな波は歌謡界の主流であった女性ポップスの世界にも拡がりを見せ、彼女たちの作品でGSの影響を色濃く受けたものも多くヒットした。 もちろん男性ポップスにも該当するが、華やかさの点ではやはり女性シンガーに人気が集まったといえる。 そしてその両雄となったのが、東芝の黛ジュンと、キングの中村晃子であったのだ。 中村の7枚目のシングルとなった「虹色の湖」は様々なGSがチャートを賑わすなか、オリコンチャートの正式な集計が始まった68年初頭からチャートを駈け上り、4月には30万枚を突破する大ヒットを記録。 これでいよいよ歌手・中村晃子の名は全国区となる。 と同時にそれまでの少女っぽさが残るキュートな路線はカップリングの「夢みていたい」をもってその役目を終えることとなった。 大ヒットを受けての次の作品、「砂の十字架」でもGS調が踏襲されて期待通りのヒットに。 さらに次の「なげきの真珠」も同じ作家陣でヒットを重ね、以降も「夕陽に駆ける少年」「ローマの灯」など、歌手・中村晃子は60年代の終わりを華麗に駆け抜けたのであった。 シングル以外では、68年から69年にかけて「ロック天国」や「花のサンフランシスコ」といった当時の洋楽ヒットナンバーをアルバムでカヴァーしているのも聴きもの。 70年代に入ってからもコンスタントにレコードを出し続けた彼女は、73年に細川俊之との絶妙な掛け合いで知られる「あまい囁き」をヒットさせ、80年には「恋の綱わたり」のヒットで大人の女性ならではの妖艶な魅力を振り撒いた。 さらに後年では、かつてテレビ映画『かわいい魔女ジニー』で培った声優としての才能が活かされ、映画『天使にラブ・ソングを…』のウーピー・ゴールドバーグの吹き替えを担当していたのが記憶に新しい。 中村晃子「青い落葉/東京のイブ」「虹色の湖」「砂の十字架」ジャケット撮影協力:鈴木啓之 【著者】鈴木啓之 すずき・ひろゆき :アーカイヴァー。 主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。 著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。

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中村晃子(なかむらあきこ)ディスコグラフィ

中村晃子

By - 公開: 2018-10-10 更新: 2020-01-12 【大人のMusic Calendar】 10月10日といえばかつての「体育の日」、そして「目の愛護デー」でもあるが、今から51年前の今日、1967年の10月10日は、歌手・中村晃子の代表作「虹色の湖」のシングルが発売された日であった。 テレビでも数々の歌番組で披露され、とどめは翌68年に初出場を果たした『第19回NHK紅白歌合戦』のステージだった。 中村晃子が芸能界入りするきっかけとなったのは、高校在学中の63年に「第2回ミス・エールフランス・コンテスト」の準ミスに入選したこと。 まずは64年に松竹と契約して女優デビューを果たす。 キュートなルックスからやがて主役級に抜擢されるようになり、66年には当時若手青春スターとして売り出し中だった田村正和の主演作『雨の中の二人』でヒロイン役を務めた。 田村とのコンビ作では、日本初のモッズ映画として紹介された同年公開の『空いっぱいの涙』も印象深い。 また、ソフト化されて現在DVDで入手可能な作品では、68年に公開された『進め!ジャガーズ 敵前上陸』がある。 歌手としてブレイクしてからのこの映画でも大いにフィーチャーされ、ヒロインとしてハツラツと躍動する姿が見られる。 作家・小林信彦が中原弓彦名義で脚本を手がけたことでも知られる、必見のGS映画である。 新進女優として大いに期待されていた彼女が同時に歌手の道も歩み始めたのは、オペラ歌手だった母親の影響もあったことだろう。 最初のレコーディングは17歳のとき。 65年10月に発売された「青い落葉/東京のイブ」がデビュー・シングルとなった。 自身のことが歌われたようなB面曲の「東京のイブ」には、当時『イヴの総て』で新進女優役を演じたアン・バクスターのイメージも託されていたかもしれない。 いずれにせよ、ティーンエイジャーの頃から既に男性を翻弄するような小悪魔ぶりを発揮していたとおぼしく、以降もそれは彼女の最大の魅力として発揮されてゆく。 この時点から既に横井弘と小川寛興のコンビが作詞と作曲を手がけていたが、デビュー曲「青い落葉」は残念ながら大きなヒットには至らず、歌手としてブレイクするのは少し先になる。 カップリングの「フラワー東京」には、60年代終わりのアメリカの反戦運動から派生した、ヒッピーたちによるフラワー・ムーヴメントが反映されていた。 その大きな波は歌謡界の主流であった女性ポップスの世界にも拡がりを見せ、彼女たちの作品でGSの影響を色濃く受けたものも多くヒットした。 もちろん男性ポップスにも該当するが、華やかさの点ではやはり女性シンガーに人気が集まったといえる。 そしてその両雄となったのが、東芝の黛ジュンと、キングの中村晃子であったのだ。 中村の7枚目のシングルとなった「虹色の湖」は様々なGSがチャートを賑わすなか、オリコンチャートの正式な集計が始まった68年初頭からチャートを駈け上り、4月には30万枚を突破する大ヒットを記録。 これでいよいよ歌手・中村晃子の名は全国区となる。 と同時にそれまでの少女っぽさが残るキュートな路線はカップリングの「夢みていたい」をもってその役目を終えることとなった。 大ヒットを受けての次の作品、「砂の十字架」でもGS調が踏襲されて期待通りのヒットに。 さらに次の「なげきの真珠」も同じ作家陣でヒットを重ね、以降も「夕陽に駆ける少年」「ローマの灯」など、歌手・中村晃子は60年代の終わりを華麗に駆け抜けたのであった。 シングル以外では、68年から69年にかけて「ロック天国」や「花のサンフランシスコ」といった当時の洋楽ヒットナンバーをアルバムでカヴァーしているのも聴きもの。 70年代に入ってからもコンスタントにレコードを出し続けた彼女は、73年に細川俊之との絶妙な掛け合いで知られる「あまい囁き」をヒットさせ、80年には「恋の綱わたり」のヒットで大人の女性ならではの妖艶な魅力を振り撒いた。 さらに後年では、かつてテレビ映画『かわいい魔女ジニー』で培った声優としての才能が活かされ、映画『天使にラブ・ソングを…』のウーピー・ゴールドバーグの吹き替えを担当していたのが記憶に新しい。 中村晃子「青い落葉/東京のイブ」「虹色の湖」「砂の十字架」ジャケット撮影協力:鈴木啓之 【著者】鈴木啓之 すずき・ひろゆき :アーカイヴァー。 主に昭和の音楽、テレビ、映画などについて執筆活動を手がける。 著書に『東京レコード散歩』『王様のレコード』『昭和歌謡レコード大全』など。

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中村晃子/アルバム・レコードリリース

中村晃子

スポンサーリンク 出典:[amazon] 歌手で女優の中村晃子さんを色々な角度から掘り下げていきたいと思います。 プロフィール• 氏名 中村晃子• 生年月日 1948年1月3日• 出身地 千葉県 習志野市• カテゴリー 女優、歌手• 所属事務所 フリー 現在活動してる?若いころはどんな感じ?「恋の綱わたり 」「虹色の湖」の誕生秘話は? 現在の活動については、2010年代の初頭にライブを行っていたようですが現在は表舞台での活動を行っていません。 また千葉県習志野市に住んでおり、エレベーター付きの豪邸に住んでいるようです。 年齢も年齢なので、表舞台に立つ活動は厳しい状況になっているのかもしれません。 また、ウィキペディアで所属事務所とされていたベルクコーポレーションには現在所属していないようです。 まあ、元々綺麗な人ですからそんなに風貌が変わっていないことを望んでしまいますね。 ステージなどがあれば若さはキープ出来ますが、現状だとその活動も厳しそうですね。 今後の動向に注目したいと思います。 中村晃子さんの若い頃を検索すると、芸能界でどの様な活動をしたのかと言う事よりも大竹しのぶさんと、ある男性を取り合ったという記事に出くわしました。 その人とは服部晴治さんで、さんまさんと大竹しのぶさんが出逢ったドラマ男女7人夏、秋物語のディレクターも務めており、大竹しのぶさんと結婚後ガンで他界しました。 因みに中村晃子さんと大竹しのぶさんは服部晴治さんを取り合う仲となり大竹しのぶさんが略奪、しかしながら事実上の婚約者のような立場におり、結婚直前に大竹しのぶさんが現われて奪われた形となりました。 因みに1980年代の芸能ニュースでは相当な話題となりました。 その後大竹しのぶさんは明石家さんまさんと結婚の後離婚。 因みに服部晴治さんと大竹しのぶさんの間に出来た子供も引き取って再婚しました。 スポンサーリンク 因みに中村晃子さんはこの出来事の後結婚したという話はありません。 よほどこの案件で傷ついてしまい、恋愛はしても結婚という形を取らなかったのでは無いかと推察できますね。 若い頃に関してはとても美形で、アイドル的扱いを受けていました。 ジャガーズなどと絡んでコラボレーションを行っていました。 中村晃子さんの楽曲「恋の綱わたり 」「虹色の湖」について書いて行きます。 「恋の綱わたり 」は中村晃子さんも女優として出演したTBS系ドラマ離婚友達の挿入歌として起用されました。 中村晃子さんは歌手として歌っただけであり、この曲の作詞作曲には絡んでいません。 因みに作詞は福田陽一郎さん。 因みにこの方は離婚友達の脚本を書かれた方で作曲は三木たかしさんでした。 しかしながら、ドラマと共に楽曲もヒットしオリコンで年間43位、TBSで放送していたザ・ベストテンでは8位でテレビに出演し歌唱し、ピアノを弾き語りしたこともあったようです。 流石に女優さんは、何でも出来るなと感心してしまいます。 「虹色の湖」は、当時流行っていたグループサウンズ風のサウンドで作られた楽曲であり、80万枚の大ヒットソングです。 因みにこの曲で紅白歌合戦にも出場したため、女優になる前に歌手として世間に認知されていました。 まとめ 今回は中村晃子さんを掘り下げてきましたが、若い頃は恋愛沙汰で芸能界を賑わせてしまった過去もあり、その後独身であるという事から考えても結婚という形を取るのに臆病になってしまった可能性があります。 また次の人を好きになっても誰かに邪魔されるのでは無いか、そう考えると次への一歩が踏み出せなかったことと、芸能活動が忙しかったということがありますね。 現在の芸能界でもなぜあの女優は結婚しないのか? そう不思議に感じる人も沢山いますが、スキャンダルにならなくとも恋愛をした結果自分を選んでもらえなかったからなのか?それとも元々男勝りで恋愛はするけど結婚まではあんまり考えて居ないと言うケースもあると思いました。

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