2020年3月14日に常磐線全線再開。 「役場と住まいの完成が間近になり、少しずつですが、まちが生まれてきています。 施工者の技術力を早い段階で設計に反映できる、生産計画や調達計画の前倒しで工期が短縮できる、といった効果が期待できます。
14津波で家族を失った人、いつか町へ帰る日を待つ人もいれば、遠い地で別の人生を歩みはじめた人もいるが、震災当時「2、3日くらいで戻れるだろう」と町を出たことは変わらない。
聞いてみなければ、その人の気持ちなんてわからない。
プロジェクト紹介• こうして、大熊は「エネルギー源地帯」の北限となった。
大川原復興拠点は、全町避難を余儀なくされている大熊町が、比較的放射線量の低い大河原地区を、住民帰還の足がかりにしようとする復興拠点の名称だ。
公の建物を町長が所有している土地に建てるなんて、普通はしません。 原発事故後、このあたりの土地評価額は0円になっていることを考えると、やはり大川原は高いですよ」(以前、大熊町で不動産業を営んでいた男性) そもそも、なぜ旧役場庁舎は使えないのか。
15美味しいレストランもあるし、富岡のさくらモールで買い物して、双葉の伝承館に行ったついでに浪江の道の駅でお土産買って……っていう一連の流れがあると非常に楽しい(笑)。
三つめは40年後の新たな町の産業をどうつくっていくかです」 未来会議の立ち上げメンバーの一人である大熊町役場企画調整課の石田祐一郎係長は、URのメンバーが入ることのメリットを、「これまでの役場の仕事では、外部の方と付き合うことがあまりなかったので、URを介して外部の専門家などと接する機会が生まれたのは、よい刺激になります。
さらに、利益誘導ではと言われていることに対しては、こう答えた。
ここで降りなければもう降りられなくなるって、強迫観念みたいにね」 全国紙の記者としてがむしゃらに働いた約10年、ローカルにおける全国紙の役割は痛いほど理解していた。
徐々に帰還が進み新しい町ができあがっていく実感も、なかなか得られなかった。 関連市町村• その『右吉ワールド』をみんなに知ってほしくて、瓦版もはじめたくらいなんです」と、喜浦さん。 「震災被害への対応、そして原発事故による町全体の避難。
19その姿をテレビニュースでお馴染みの建物だから気づいたのかとも思ったが、それだけではなく国道の東側が延々と平らに整地されているせいだった。
大地震が起き、東京電力福島第一原子力発電所の事故が起き、日常は一瞬で変わってしまった。
双葉町に2020年9月にオープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」。
写真下:時期になると約600株が一斉に咲き、花文字も見られ、大熊町の新名所となっている。
大熊町議会の鈴木光一議長に尋ねてみた。
町のすべての区域に避難指示が出され、全町避難となった大熊町では、2019年の4月になって初めて一部の地区の避難指示が解除となり、人々の生活が戻ってきた。
この震災に誘発され、15時36分、が発生した。
各コミュニティへのお問い合わせ等については、広報おおくまやに交流会開催の案内がありますので、ご確認ください。
毎日新聞社では捜査一課担当を務め、リーダーにもなった。
やがて遠くに福島第一原発が見えてきた。
役場は事故後、約100キロ内陸にある同県会津若松市の仮役場で業務をしてきた。
青森支局や甲子園担当を経験し、2011年4月から警視庁記者クラブに配属になった。
そこで本誌は、新庁舎の建設予定地1万9,439平方メートルの登記簿を調べてみた。 福島は一定の関心を持たれるけど、うちの町はそうじゃないから、もしかしたらそっちでがんばる方が意味があるのかもしれない。 毎日新聞の記者から、今も町の半分以上のエリアが「帰還困難区域」や「中間貯蔵施設建設地」となっている福島県双葉郡大熊町の役場職員に転身した人だ。
9各ページ下には、役場職員や町民たちが震災当時を振り返った「証言」を掲載。
喜浦さんはもう何度も友人たちを連れて訪れ、そのたびに感想をぶつけ合っている。
そして車はピンク色の「帰還困難区域」に突入する。
大熊は今10年目になって、ようやくそこにたどり着こうとしているわけだけど……。
喜浦 遊さん。 「住んでないときはね、他の町でおもしろい取り組みがあると、何でうちじゃないんだって、悔しいような感覚が常にあったの。
渡辺利綱町長は業務再開に当たり、職員に「復興の新たなステージに歩みを進めた。 各地の原発差し止め裁判や、原発避難者の訴訟などに携わっている弁護士の井戸謙一さんは、町長が自らの土地を町に売却して利益を得ることについての問題点を、こう指摘する。
その他の取り組み• その「復興する前」を知らないのだから。
志賀 旧庁舎が1970年代に建設されて以降、町では、大きな施設を手掛けた経験がありませんでした。
全町避難が続いていた大熊町は町役場を移転し、行政運営を行っていた。