995-999• 2014年2月9日閲覧。
141751-1764• リーダーシップに関する知見の数々は今の時代にもまったく色あせていない。
1219-1222• 早川由紀夫 1999 : 日本の地震噴火が9世紀に集中しているのはなぜだろうか?, 歴史地震, 第15号, 24. 「流光如晝隱映」の部分は、地震にともなうの一種であるについて述べた最初の記録であるとされる。
、Newton, 2013年2月号、ニュートンプレス• 1818-1831• 【貞観地震(869年)が東日本大震災(2011年 にあたる】 ・貞観地震の6年前:富山県~新潟県で大地震……新潟中越地震(2004年) ・貞観地震の5年前:富士山噴火……富士山噴火(201x年?) ・貞観地震の3年前:新島向山の大噴火……三宅島(1983年、2000年)と大島の噴火(1986年) ・貞観地震の1年前:兵庫県M7以上の地震……阪神淡路大震災(1995年) ・貞観地震と同時期:鳥取県で地震……鳥取県西部地震(2000年) ・貞観地震の9年後:関東諸国地震……首都直下地震(201x年?) ・貞観地震の18年後:仁和地震……南海トラフ3連動地震?(201x年?) 上記のように、貞観地震の前後には、今連続して起きている地震と同様の大地震が起きていたことがわかる。
地震による圧死者の数は記されておらず、津波による溺死者が人的被害の中心をなすことが史料からは読み取られる。
1021-1024• 雷鳴のようなが聞こえて潮が湧き上がり、川が逆流し、が長く連なって押し寄せ、たちまち城下に達した。 都司嘉宣 2011 : 歴史記録の上のミレニアム津波• 1259-1260• 地震調査研究推進本部• 1229-1232• 然我日本朝波所謂神明之國奈利。 然間爾、陸奧國又異常奈留地震之灾言上多利。
18仙台平野で見出された津波堆積物に基づくの断層モデルによる推定ではM8. つまり、その災害を 天罰と捉えるのは為政者として誠に「正しき」態度 であり、 天罰と捉えない為政者は、「悪しき」為政者 と言わざるを得ないわけです。
今年だけでも北海道と大阪の大地震、 西日本豪雨や台風21号、24号がありましたし、 ここ数年の間でも、熊本地震や 広島や伊豆大島の土砂災害、 北九州や北関東の豪雨災害など、 日本全国が被災地となっています。
1024-1028• 889-898• 1317-1319• 1120-1124• 岡村行信、「」 Synthesiology 2012年 5巻 4号 p. 1645-1648• (『』裏書)。
1145-1151• の鋳造。
また、地形から推定される岸の隆起量と、地質学的に観測される歪み速度、および潮位データによる沈降速度とを総合的に見ると、M9クラスの巨大地震が繰り返し発生しないと合理的に説明できないとされる。 1864-1865• 1160-1161• 宮城県教育委員会 2004年 「八幡遺跡」『沢田山西遺跡ほか-三陸縦貫自動車道建設関連遺跡調査報告書III-』宮城県文化財調査報告書第196集• この地震の9年後の2年(878年)には、の活動、またはのプレート間地震とも推定されるM 7. この度、今年最後の 表現者クライテリオンを 発売しました。
71275-1278• 0の連動型「」()が発生した。
追伸1: 防災や災害の問題を、思想的な側面からもしっかりとお考え頂くためにも、 昔習った心理学の演習で、理由づけの効果 Reasoning 、という論文がありました。
読売新聞「平安大震災」岡本公樹記者 2011年5月18日、25日• この津波に関する伝説・伝承は25例が確認され、宮城県から(現・)にかけて分布している。
第190回地震予知連絡会 2011年 議事概要• 1319-1321• 貞観6年(864年 :が。
1126-1131• 今村明恒 『鯰のざれごと』 三省堂、1941年• 各種カウンセリングも行う。 1040-1044• 貞観10年(868年):が発生。
17また、推定断層モデルから9メートル程度の津波が、7- 8分間隔で繰り返し襲来していたと考えられる。 上記の史料にある「陸奥國」の「城」はであったと推定される。
これらの層は、津波襲来時に多くの土砂を巻き込み、一気に引き波によって海底にもたらされた堆積層である。
990-995• 1087-1095• もっとも古い採録は1907年舟山万年著『塩松勝譜』であるが、わずかずつ異なる伝承がいくつか残されている。
1118-1120• 貞観地震とは、平安時代前期、貞観11年(869年)に三陸沖で発生した推定M8. 自此之外爾、假令止之天、夷俘乃造謀叛亂之事、中國乃刀兵賊難之事、又水旱風雨之事、疫癘飢饉之事爾至萬天爾、國家乃大禍、百姓乃深憂止毛可在良牟乎波、皆悉未然之外爾拂卻鎖滅之賜天、天下無躁驚久、國内平安爾鎮護利救助賜比皇御孫命乃御體乎、常磐堅磐爾與天地日月共爾、夜護晝護爾護幸倍矜奉給倍止、恐美恐美毛申賜久止申。
脚注 [ ] [] 注釈 [ ] 十二月・・・十四日丁酉、遣使者於伊勢大神宮、奉幣。
31233-1234• 文献調査 [ ] 末の松山 には歴史地理学者による研究があり、『』にある「城郭」は・( )を指すと考え、広大な範囲の浸水は津波であり、震源は太平洋側の沖合いにあるものと推定している。
参議 正四位下 73歳 式部大輔• 参議 正四位下 49歳 右衛門督・讃岐権守• 地震調査研究推進本部• 1865-1868. 多くのベストセラーを書いた元ライフネット生命会長の出口治明氏(現立命館アジア太平洋大学学長)は『座右の書「貞観政要」』という著書を書いている。
(空を)流れる光が(夜を)昼のように照らし、人々は叫び声を挙げて身を伏せ、立つことができなかった。
863年7月6日(5年6月17日) -• その翌年、貞観と改元、649年に死去するまでの24年間その地位にあった。
1845-1848• ある者は家屋の下敷きとなって圧死し、ある者は地割れに呑まれた。
898-901• 大学院工学研究科附属災害制御研究センターなどの研究では、仙台平野に過去3000年間に3回の津波が溯上した証拠がの年代調査から得られ、間隔は800年から1100年と推測されている。
菅原大助・箕浦幸治・今村文彦 「」『津波工学研究報告』第18号、1-10、2001年、東北大学大学院工学研究科災害制御研究センター• 唐の「貞観」も由来を同じくする。
1831-1845• 東京大学・藤井敏嗣名誉教授は、「現在の日本の地震活動は活発化の時期に入っています。
10月13日の詔中の文言「陸奥国境、地震尤甚、或海水暴溢而為患」の「陸奥国境」とは、「陸奥国の境の内」の意味であって陸奥国中の広い範囲でもっとも甚だしく被害が出るほどであったと解釈され 、12月14日の伊勢神宮告文中の「陸奥国又異常奈留地震之灾言上多利。 1165-1166• 同年12月14日(ユリウス暦870年1月19日)には、清和天皇がに使者を遣わして奉幣し、神前に次の通り告文を捧げた。
21673-1681• 1624-1645• 1185-1190• 一般的にとされるが、・との連動説もあり)が起こっている。 (多賀城市教育委員会2000)• また、2年後の貞観13年(871年)にはの噴火記録がある。
1848-1855• 渡邊偉夫 「」『津波工学研究報告』第17号、27-48、2000年、東北大学大学院工学研究科災害制御研究センター,• 1764-1772• 38-39(日本三代実録)• 1037-1040• 河角廣 1951 「」 東京大學地震研究所彙報 第29冊 第3号, 1951. 宇佐美龍夫『日本の歴史地震史料 拾遺二 自成務天皇三年至昭和三十九年』東京大学地震研究所、2002年3月。
1154-1156• 1131-1132• そしてその反省に基づき、清和天皇はまず、 「減税」 を断行します。
851-854• 864年11月 - 噴火• 参議 正四位下 63歳 民部卿・春宮大夫・伊予守• 朝廷の対応 [ ] 朝廷の対応は遅く、地震から3か月を経た貞観11年9月7日(ユリウス暦869年10月15日)になってようやく以下の通り、從五位上を陸奥国地震使に任命したことが『』に記されている。
12月14日の伊勢神宮への奉幣告文中に「肥後国に地震風水の災」とあり、津波が襲った可能性もあり。 また、4月23日のブログでは、「九州も活発化していて、また伊豆諸島もエネルギーを上げかけている」と書いるが、同時に、「2013年は、これらの地震は起きない、大丈夫」とも記している。 船で逃げたり山に避難したりすることができずに千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の財産も、ほとんど何も残らなかった。
吉田東伍は三代実録原本では正六位上から従四位下の超階となっていることから、「府城の変災の歳に、三階を超越したるは、正しく彼の災をば、山神の憤怒に因るものと見做された証拠にもなる」としている。 1074-1077• 1169-1171• 張氏は『プレジデント』(2006年9月18日号)のインタビューでこう語っている。
。
1190-1199• 参議以上議政官。
1142-1144• 『大日本地震史料 増訂 第一巻 自懿徳天皇御宇至元祿七年』武者金吉、文部省震災予防評議会、1941年。
それなのに についても、八幡の丘陵にある「」( )であり、津波がこの末の松山を越えそうで越えなかったという状況を示すものと考証している。
1247-1249• 901-923• 987-989• 火山灰(To-a)が東北地方全域に及ぶ。 末の松山が浪を決してかぶることがないように2人の愛も変わらないと。
1004-1013• 相原淳一・高橋守克・柳澤和明2016「東日本大震災津波と貞観津波における浸水域に関する調査-多賀城城下とその周辺を中心としてー」『宮城考古学』第18号、111-128、2016年、宮城県考古学会、ISSN 1348-1924• 驚いた牛や馬は奔走したり互いに踏みつけ合い、城や倉庫・・ などが多数崩れ落ちた。
864年7月 - の(2年間)• 1228-1229• 「『貞観政要』は『書教』とならぶ帝王学、リーダー学の中国における古典で、今から約1400年前の唐の時代、唐王朝二代目の李政世民(りせいみん)にまつわるさまざまな話が記されている。
東北地方では、貞観地震・津波に続いて915年の十和田火山噴火が起き、宮城県北部・岩手県・秋田県の水田は火山灰で覆い尽くされ、ほとんどは復旧していない。