競輪 並び。 競輪予想情報|競輪(KEIRIN)ならオッズパーク競輪

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『KEIRINグランプリ2019』シリーズ2日目の最終11レースを飾るのは、若手選手のNo. 1を決める『ヤンググランプリ2019』。 2018年はが優勝を飾っている。 12月27日に行われた前検日には、2019年の出場予定の選手たちが一同に会し共同記者会見を行った。 1番車:南潤(和歌山) 2番車:野口裕史(千葉) 3番車:松本貴治(愛媛) 4番車:藤根俊貴(岩手) 5番車:森田優弥(埼玉) 6番車:上田尭弥(熊本) 7番車:宮本隼輔(山口) 8番車:河合佑弥(東京) 9番車:松井宏佑(神奈川) 1番車:(和歌山) 前回の開催の広島の振り返りをお願いします。 初日はよくなかったですが、巻き返せたと思います。 そこから7日間は和歌山のバンクで練習していました。 感触はよかったです。 今年1年は思うような走りはできていないと思います。 今年最後なので、いい形で締めくくれればと思います。 立川では2年前に走っていますが、印象などは? 4コーナー回ってからの直線が長いイメージです。 今日は風がすごく強くて寒かったです。 でも和歌山も風は強いので、慣れてる部分はあると思います。 本番はどのような走りをしますか? みんな単騎なので、自分のできることをして悔いが残らないようにしたいです。

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『KEIRINグランプリ2019』シリーズ2日目の最終11レースを飾るのは、若手選手のNo. 1を決める『ヤンググランプリ2019』。 2018年はが優勝を飾っている。 12月27日に行われた前検日には、2019年の出場予定の選手たちが一同に会し共同記者会見を行った。 1番車:南潤(和歌山) 2番車:野口裕史(千葉) 3番車:松本貴治(愛媛) 4番車:藤根俊貴(岩手) 5番車:森田優弥(埼玉) 6番車:上田尭弥(熊本) 7番車:宮本隼輔(山口) 8番車:河合佑弥(東京) 9番車:松井宏佑(神奈川) 1番車:(和歌山) 前回の開催の広島の振り返りをお願いします。 初日はよくなかったですが、巻き返せたと思います。 そこから7日間は和歌山のバンクで練習していました。 感触はよかったです。 今年1年は思うような走りはできていないと思います。 今年最後なので、いい形で締めくくれればと思います。 立川では2年前に走っていますが、印象などは? 4コーナー回ってからの直線が長いイメージです。 今日は風がすごく強くて寒かったです。 でも和歌山も風は強いので、慣れてる部分はあると思います。 本番はどのような走りをしますか? みんな単騎なので、自分のできることをして悔いが残らないようにしたいです。

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開催・運営 [ ] 競輪はに基づいて運営されており、主催者はである。 監督官庁は(車両室) で、運営統括は。 運営を補佐する団体として、がある。 地方自治体は所管省庁のへ競走の開催を届け出、と呼ばれるの選手達と「」と呼ばれる自転車競技場における競走出場に関する契約を交わす。 番組編成、選手管理、審判など 、実際の自転車競走の運営については競輪場の存在する各地域のJKA競輪競技実施事業本部(旧・)の支部へ委託している。 審判の方法など、受け持つ支部によって運営手法に違いがある。 競輪選手の登録・あっせん 、育成については中央団体である公益財団法人JKAが行ない、からは審判および番組編成・選手管理・検車の4つの業務もJKAが管掌している(経済産業省はJKAを通して競輪選手、競技会、施行者などの監督指導を行う)。 競輪の収益金は、監督するJKAに納付される売上を元に各種の補助事業が行われ社会に還元されただけでなく、主催者として運営する自治体に多額の収入をもたらしたことで自治体財政を健全化し、戦災復興や公共施設の建設などに貢献することになった。 収益金の使途として最も多かったのは主として土木事業費であるが、競輪のイメージ向上への期待も込めて、教育、福祉関連事業にも多くの費用が投入された。 通産官僚のらによる発案で、当時資金調達が困難だった国産の研究開発に競輪収益をあてたエピソード もある。 日本のプロスポーツでは選手数が最も多い競技とされ、2,300人程度で構成されている(2019年12月31日時点、2,325人)。 また初期には女性選手による「女子競輪」が(39年)まで開催されたほか、(平成24年)から女子選手による「」が開催されている。 創設以来、日本独自のものであったが、現在は日本側による技術指導の下、で(および地方自治体)が主催者となり、国内3つの競輪場で開催している。 なお、過去には、5月にとの間で競輪輸出契約がまとまり日本以外で初の競輪が開催される予定であったが、直後の政変によりご破算となった(競輪二十年史では「政権の失脚により」との記述があるが、史実ではピブン政権の失脚は)。 このほか、にあったでも競輪開催の動きがあったが結局立ち消えになっている。 選手 [ ] いわき平競輪場で練習中の競輪選手 競輪選手は、において約1年間研修を受けて競輪に関する知識と技能を習得し 、競輪選手資格検定に合格 して同所を卒業し、選手登録された者である。 選手の権利を守る団体としてがあり 、各選手は各都道府県にある日本競輪選手会の支部に所属している。 競輪選手養成所の入所試験には一般試験と特別選抜試験があり、後者は各種スポーツ競技において特に成績優秀な成績を残した者を対象としている。 特別選抜試験の受験資格はオリンピックメダリストなどに限られるため非常に厳しく、ほとんどの受験生は一般試験を受験する。 一般試験には「自転車の競技経験者が対象で自転車の走力を測る」技能試験と「自転車の競技経験がない者が対象で運動能力を測る」適性試験があり、いずれについても一次試験と二次試験が課される。 合格率は、109期以降では、男子は5倍程度 、女子は2〜3倍程度 である。 男子は受験1回目での合格率は約3割で、合格者の多くは複数回の受験を経験している。 入学希望者は自転車競技愛好会や高校・大学の自転車部に所属して練習を積むケースが多い。 デビュー直後は、男子は全員A級3班に所属し 、その後はS級戦(S級S・1・ 2班戦)、A級1・2班戦、A級チャレンジ戦(A級3班戦)に分けられた3クラス戦制の中で、2級6班制による半年毎の格付け入れ替えを経て 、最上位のS級S班 9名 を目指す体系となっている。 なお、女子は現状では昇降級の制度はないため、全員がL級1班の所属 である。 男子選手の所属する級および班は、競走得点および評価点に基づいて決められる。 まず競走成績に応じて競走得点が算出される。 競走得点は着順が良いほど、また格の高いレースほど高く設定されている。 さらに競走得点をもとに評価点 が計算され 、それをもとに選手の所属する級および班が決められる。 ちなみに、男子選手のランクはレーサーパンツの下地とラインの色から判断することができ、A級は黒地に緑のライン 、S級は黒地に赤のライン 、S級S班は赤地に黒のラインとなっている。 男子の各級班の定員は、S級は1班220名(S班9名を含む)・2班450名、A級は1班・2班とも520名(3班は2019年10月時点で443名)となっている。 選手は月に2つないし3つの開催に出場する。 出場レース数に換算すると、概ね月に6〜9レースである。 出場は、JKAのあっせんに対し選手が意思表示を行うことによって決められる。 出場が決まった選手は開催前日の指定時間までに競輪場へ入らなければならない。 競輪場に到着した選手は参加登録および健康診断を受け 、さらに分解してバッグに入れて持ち込んだ 自転車を組み立てて検査を受ける。 健康診断と自転車の検査に合格した選手は基本的に4日ないし5日間宿舎(主に4人部屋 )に滞在し 、外部との連絡を絶つ。 開催当日は午前中に再度自転車の検査を受けた後で練習を行い、レースに備える。 レースへの出場がないとき、多くの競輪選手は練習漬けの日々を過ごすといわれている。 競輪選手にはシーズンオフがない。 そのためレースへの出場が続き、したがって練習のできない期間が長くなった選手は脚力に衰えが出る(「貯金がなくなる」と表現する)ようになる。 各選手の過去の出場履歴は車券予想におけるファクターの一つである。 選手の収入源は賞金や出走手当で 、実力下位であっても一般的なサラリーマンよりも高額の収入を得ているといわれている。 JKAが公表した、2019年の全選手の賞金総額及び平均取得額によると、2019年12月31日時点での全登録選手2,325名の平均取得額は10,402,280円で、うちS級688名では16,597,852円、A級1,502名では7,962,748円、L級(女子)135名では6,468,313円であった。 なお、「」第83条第1項第3号には競走成績不良による登録消除の基準が定められており、一定期間、連続して成績の振るわない選手はあっせんを保留され 選手登録を消除される(強制的に引退させられる)。 男子は、通算3期(1年半)の平均競走得点が70点未満かつ最下位から30番目相当までに該当すれば、その次の期初(1月ないし7月)にあっせんが保留され、そのまま同月中に選手登録を消除される。 女子は、通算3期(1年半)の平均競走得点が47点未満かつ最下位から3番目相当までに該当すれば、その次の期初(1月ないし7月)にあっせんが保留され、そのまま同月中に選手登録を消除される。 但し1989年は開催中止)。 グランドスラム [ ] 2018年時点では6つあるGIカテゴリ競走(グレード制が制定される以前は「」と呼ばれた競走)を全て制覇すれば、「(グランドスラマー)」と称される。 現時点では、(競輪ダービー)、、、、、の6つ全てを優勝することが条件である。 なお、はGPのカテゴリであり、GIではないため含まれない。 過去に達成したのは僅か3人。 但し、井上と滝澤は共に寛仁親王牌がGI競走となる前の出来事 であるため、現在でもそのままグランドスラムとして扱われている。 なお、井上と滝澤はKEIRINグランプリも制覇したが、神山は未制覇(最高は2着 )である。 井上茂徳(1988年・5冠)• 滝澤正光(1990年・5冠)• 神山雄一郎(1999年・6冠) 2020年6月時点で、現役選手の中で最もグランドスラムに近いのはとで、山崎はあと日本選手権のみだが年齢的にタイトル獲得は厳しくなっている。 一方、新田は2018年の時点で寛仁親王牌のみとしたが、普段は世界選手権やワールドカップなど競技を優先して主に海外で活動しているため寛仁親王牌は2018年・2019年と2年連続で欠場しており、グランドスラム達成は2020年以降となる。 山崎・新田に次ぐのはとで、残り2つ(武田は全日本選抜と寛仁親王牌、脇本は全日本選抜と競輪祭)である。 なお、昭和期のでは、が1955年に全ての特別競輪制覇(、、、競輪祭)を達成しており、また女子では唯一の全冠制覇選手であった。 「」の名称で行われている平成期以降の女子競輪では、5つあるガールズケイリン特別レース のうち新人選手のみを対象としたを除く4レース(、、、)を全て制覇したのは(2019年)のみ。 ほかに、ガールズグランプリトライアル以外の、優勝賞金が200万円以上である3つの特別レースを全て制覇したのは(2018年)。 なお、小林優香は、3月ステージ・5月ステージ・8月ステージと3つあるガールズケイリンコレクションは全てを制覇している。 競輪用自転車 [ ] 詳細は「」を参照 競輪で用いられる自転車は「ピスト(レーサー)」と通称される、規格に基づいた専用仕様の一人乗りの競技用自転車である。 であり、ペダルを逆回転させることによって速度を制御するためブレーキはない。 競輪の関係法令においては『競走車』(単式競走車)と呼称されており、この自転車はNJS規格(Nihon Jitensha Shinkoukaiの略。 現在のJKAに改称後もこの呼称が継続している)に適合する部品により製作されることが義務づけられており(特殊な物ではなく自転車専門店にも卸されており、一般の愛好家も購入出来る)、なおかつ組み立て後の車体検査に合格しなければレースに使用することができない。 また、別途ブレーキを付けない限り公道での走行は道路交通法により禁止されている(も参照)。 競輪用の自転車は、ここ十数年ほど、ほとんど規格や素材が変更される事のないまま現在まで用いられている。 おおむね半世紀前のピストレーサーも同然といって良く、現在他ので用いられるピスト競技用車とは大きな性能差がある。 これは公営競技としての公正さが念頭にあることが大きいが、他にも規格緩和による部品代高騰の抑制、横方向への移動における操縦安定性の維持、落車事故時における衝撃吸収性、車両性能の向上に伴う過度の高速化による重大事故発生の防止など様々な要因が絡んでいる。 なお部品によってはタイヤ(SOYO=)やリム()など製造数や品質などの観点から事実上のワンメイクとなっているものもある。 フレームだけで10数万円以上の製作費が必要となるが、その他の部品は規則上の自転車における制限が存在するため、車体総額で50万円を超える事は稀である。 なお2012年7月から開催されているガールズケイリン(女子競輪)および2014年1月から開催されているにおいてはカーボンフレームにスポーク以外のホイールが使用されており、他のトラック競技で使われている車両の仕様に近いものとなっている。 KEIRIN EVOLUTIONの自転車については「」を参照 ちなみに競輪草創期にはや、式(複式競走車)の自転車でも競走が行われていた。 部品全般 ・・・・・などの部品は、規格に基づいて製作されたもの中から選択して使用する。 サドルは、一般の自転車と比べ細くて堅い。 サドルを支える心棒(シートポスト)は、設定する高さが1,2mm違うだけでペダルを踏み込む際のバランスが変わるとされる。 サドルを高くすると加速しやすくなる半面、横から力がかかった際にバランスを崩しやすくなり、落車の危険が増す。 ハンドルは、乗る選手の体型や脚質によって幅や湾曲、材質が異なる。 フレームとハンドルの固定部分(ハンドルポスト)は、身長や腕が長い選手ほど長く設定する傾向にある。 ペダルはクリップ・アンド・ストラップモデル。 選手が履く専用シューズの底には「サン」(桟)と呼ばれる溝の入った金属プレートが釘で打ちつけられており、このサンにペダルプレートを噛み合わせ 、さらに靴の爪先をトウクリップで固定、足(脚ではない)を革やウェブベルト製のストラップベルトでペダルに縛り付ける。 これにより、ペダルを踏み込む力だけでなく引き上げる力も加速に利用することができる。 1980年代に登場しロードレースやトラックレースでお馴染みのビンディングペダルにNJS基準適合品はない。 は直径が27インチ と決められており、金属およびにより構成され、は外径675mm のチューブラー()タイヤを使用するが、コースコンディションや脚質による選択は出来ない。 フレーム 車体となるフレームはのパイプ()を素材とした「」と呼ばれるもので、使用者の体格に合わせて完全オーダーメイド で製作されたものである。 フレームのうち、サドルを支える心棒(タテパイプ)の角度は乗る選手の脚質によって異なり、具体的には先行選手は後ろに重心をかけて乗る傾向にあるためタテパイプの角度も後ろに寝ている。 捲りの選手はチェーンの長さを短くし、踏み込む力が伝わりやすいようタテパイプの角度を立たせている。 競輪選手は、前輪軸と後輪軸を結んだ線よりもクランク軸がどの程度下げるか(ハンガー下がり) に気を神経をとがらせる。 ハンガー下がりが大きいと安定感が増す反面、力の伝わりが悪くなるためペダルの踏み込みが重く感じられるようになり、小さいと踏み込みを軽く感じるようになる。 ギア(ギヤ) ギアは空回りのないで、クランク側と後輪側のの歯数を選手が自分で判断し交換する(下記に詳細)。 ブレーキは装着しておらず 、減速したい時にはギアが空回りしないことを利用して後ろへペダルを踏む(「バックを踏む」という)。 ファンの車券作戦においてポイントとして結びつく重要なルールの一つに「ギヤ 倍数」がある。 ギヤ倍数とは、自転車についている前後2枚のギア()のうち、ペダルについているギヤ(大ギヤ)の歯車の数と後輪のギヤ(小ギヤ)の比率をいい 、「 大ギヤの歯車の数を小ギヤの歯車の数で割ること」で求めることができる。 各選手はレース前にギヤ倍数を申告し、数値は出走表に記載される。 出走表掲載後に急遽変更する場合もあり、その際は場内で告知される。 大ギヤの歯車の数は44から55、小ギヤの歯車の数は12から16と決められており、かつては最大倍数の4. 58まで使用できていた が、の開催からは男子は4. 00未満(実質最大3. 93)・女子は3. 80未満(実質最大3. 79)という規制 も加えられ、その制限のもとでギヤ倍数が決められる。 従来の競輪における一般的なギヤ倍数は3. 5ないし3. ギヤ倍数が低いほど漕ぐ力が軽くなりダッシュ力に優れる。 その逆では当然重くなることからダッシュ力は弱いがスピードに乗れば速くなり、高速を維持しやすくもなる。 一般の自転車のギヤ倍数は2倍強であるが、競輪で使用する自転車の場合は3倍強から4倍弱である。 ギヤ倍数が大きいとペダル1回転で進む距離が長い反面加速にしにくく、小さいと加速はしやすいがペダル1回転で進む距離が短い。 「先行選手がギヤ倍数を普段より落とせば先行・逃げ切り狙い」「先行選手がギヤ倍数を上げれば捲り狙い」などが読み取れる。 なお近年は周回中における先頭誘導員(後述)の誘導スピードが速くなったことによる体力の消耗防止や、勝負どころにおいてトップスピードで走れる距離を伸ばすため「大ギヤ」を選択する選手が近年は増えており、かつて脚力が衰えたベテラン選手が先行選手についていくためにギヤ倍数を上げるのとは異なる傾向にあるため、個々の選手の「ギヤ倍数」には注意を払う必要がある。 なおの開催より使用できるギヤ比の最大比率が制限されたのは、従前から重いギヤ比では、前方の選手の急減速に対応・反応しづらく、バランスを崩して落車に至ることが起きやすいという指摘 があり、実際の事故件数そのものは増加していなかったが 、「速度の増加による事故の重大化」と「レースの単調化」を理由として実施されている。 競輪用ヘルメット [ ] 競輪用ヘルメットは、オートバイ用ヘルメット規格を元に競輪自転車用に特別設計されたポリスチレン充填の硬質外殻構造で小さな通気口が設けられている。 ヘルメットの衝撃エネルギー吸収能力は、発泡ポリスチレンの厚みを増すことで高めることができるが、これにより厚くて重くなり、装着するには暑くなる。 競輪場 [ ] 詳細は「」を参照 競走路(バンク) [ ] 競輪が行われる競走路(バンク)は、コンクリートまたはアスファルトで舗装され、形状はすり鉢状である。 コーナー部分はおよそ30度、直線が2ないし4度内側に傾斜している。 この傾斜といい 、カントの傾斜はコーナー部分をバンクに対し垂直に立った状態で左右にヨレる(遠心力の影響を受ける)ことなく走るには、時速60キロで走らなければならないように設定されている(時速60キロよりも速いと外側に、遅いと内側にヨレてしまう)。 なお、コーナーだけでなく直線部分も内側に傾斜しているのが一般的である。 直線部分のうち、ゴール側をホームストレッチ、ゴールと反対側をバックストレッチという。 残り半周となった時のバックストレッチを最終バックという。 日本国内の競輪場では、1周の長さは以下通り3種類(厳密には4種類)ある(このうち、多くの競輪場が400mを採用 )。 333m (333バンク 、33バンク 、小回りバンク ) - 直線が短く、捲りにくいことから先行有利といわれる。 各選手のスパートのタイミングが早く、にたとえられるスピード感がある。 なおのみ335m走路となっている。 400m(400バンク ) - 日本競輪選手養成所にある競走路に近い形状。 円形のものと楕円形のものがあり、前者は直線が短く333バンクと同様先行有利とされる。 500m(500バンク ) - 「実力がなければ勝てない」といわれ 、スタミナや後半の粘りが要求される。 競走距離は1,500mから2,800mで、競走格や周長により異なる。 男子は2,000mが基本となっているが、A級チャレンジ戦は1,600mが基本であり、またGIレースの決勝やでは2,400〜2,800m走る。 女子は1,600mが基本(333mないし335m走路では1,670m程度)で500m走路のみ1,500mである。 競技規則上の25mを端数算入する競輪場もあれば、ゴール線からスタートするために端数が出ないところもある。 左側の赤い部分から、退避路、内圏線、外帯線、イエローライン バンクには様々なラインが引かれており、基本的に幅は3cmだが、判定の基準位置はラインごとに異なる。 ホーム・ストレッチ・ライン - 正面スタンド前に引かれた、スタートとゴールを示すライン。 スタートに関しては、ホーム・ストレッチ・ラインの手前25mの位置からの場合もある。 25メートルライン - スタート位置から25m先の位置に引かれたライン。 スタート後、25メートルライン到達までに落車やスタート不揃いがあった場合、再スタートとなる。 30メートルライン - ゴールの手前30mの位置に引かれたライン。 最終周回においてこのラインに到達した後は、落車などが原因で自転車に乗らず手で引いてゴールに到達したとしても完走したものとされる。 バック・ストレッチ・ライン - バックストレッチ側に引かれた、ゴールまで残り半周であることを示すライン。 このラインからゴールまでにかかった時間が「上がりタイム」として計測される。 内圏線(ないけんせん) - 周回に沿ってバンク全体に引かれた線。 衝突・接触を避けるための一時的なものを除き、この線より内側を走行する「踏切り」は禁止される(ライン上の走行は禁止されていない)。 外帯線(がいたいせん) - 内圏線内側より70cmの位置から外側に引かれた線。 外帯線より内側を走る選手を、その選手よりも内側を通って追い抜くことは禁止されている。 この線はライン上に入った時点で外に出たと判定される。 イエローライン - 過度の牽制行為を防ぐため 、内圏線内側より3mの位置が外側となるよう引かれた黄色い線。 先頭を走る選手がこのラインよりも外を走ることは禁止されている。 先頭選手が2秒以上イエローラインの外側を走ったら失格になる。 この線は外側への「踏切り」が判定基準となる。 2003年12月31日実施の競走より追加された。 なおバンク上には表示されていないが、内圏線内側から30cmかつ外帯線内側から40cmの位置が「測定線」となっており、一周の周長はこれが基準となっている。 バンクを走る選手を取り巻く環境は、立地条件の影響を受ける。 たとえば海沿いにある競輪場(富山、四日市、玉野、別府、佐世保)では海風の影響が大きい。 また、ドーム式の前橋と小倉では、観客が増えるに従って場内の温度が上昇し、バンクが乾燥する。 自転車競技場 [ ] 自転車競技が行われるが開催された関係から、を除く全ての都道府県には競輪場またはのいずれか(ないしは両方)が設置されており、競輪場がない県でも自転車競技場を拠点に選手の本拠所属地とする事ができる。 なお、滋賀県はが閉鎖・解体され、自転車競技場は元々なくその代替施設も建設されないため、全国で唯一自転車競技場が存在しない県となった。 にも自転車競技場があるため沖縄県を本拠所属地にしている選手もいるが、が本拠所属地の選手は菅井孝治(60期)が2002年10月31日に引退したのを最後に、またが本拠所属地の選手も齋尾大丈夫(69期)が2014年1月14日に引退したのを最後に、それぞれいなくなった((118期)は島根県出身だが、を本拠所属地としている )。 このほか、稀に競輪場や自転車競技場を拠点とせず、などで長距離を乗りこなす練習を主体にしている選手も存在する。 競走(レース) [ ] 概要 [ ] と呼ばれる擂鉢状のコースを周回し、ゴール前半周のタイムは計測されているもののタイムトライアルではなく、いかに早くゴールするかがポイントとなる。 競技中、自転車の速度は60km前後 、ゴール前では約70kmに達し 、自転車は大きな風圧の抵抗を受けることから、選手は2人 - 4人で連携(と呼ばれる)して戦う方が有利であり、その場合には、各ラインの先頭の選手が風圧を受ける代わりに、その後ろについた選手は、他のラインに追い抜かせないように抵抗するという役割分担を行う。 そのため、競技は当然個人戦であるが、団体競技的な側面も併せ持ち、推理に複雑さと面白さを加えている。 近親者(親子・兄弟姉妹)で同じ開催にあっせんされることは多々あるが、番組編成においては、勝ち上がりの決勝戦やでのドリームレースなどを除いて近親者が同じレースに出走することがないよう配慮されている。 宿舎 [ ] 他の公営競技と同様、八百長防止のため、選手は、例え身内であっても競走参加中は外部との接触が一切禁止となる。 そのため、競走参加中の選手は施行者が指定する選手宿舎で合宿生活を送らなければならず、外部とは隔離された状態となる。 競輪が始まった当初は、施行者が指定する競輪場近くのが選手宿舎代わりとなっていた。 現在は全ての競輪場で選手宿舎を備えており、大抵の競輪場では同一敷地内に選手宿舎を併設しているものの、など一部の競輪場では敷地外に選手宿舎を設けているケースもあり、その場合は専用のバスで選手宿舎と競輪場を移動する。 基本的なシステムはとほぼ同じだが、居室は個室ではなく、4人一部屋の相部屋である事がほとんど。 一部の競輪場宿舎の浴室はが出るところもある。 3月以降、の蔓延により感染拡大を防止するため全国各地で開催中止が相次いだことから、いわゆる『』を防ぐため、様々な対策が取られている。 例えば、同年からのFIでは、常用の宿舎は4人部屋を2人使用に変更したほか、全国あっせんのS級選手45人に対しては周辺のへの分宿で対応した。 選手は、前検日より開催終了日ないしその翌日まで(最長で一週間程度)選手宿舎で過ごすこととなるが、選手はまず宿舎入りする際に、選手登録証 となどの通信機器(通信機能の有無は問わない)を施行者に預けなければならない。 また、特に防止の観点から、飲食物のうち酒、生もの、生菓子などが持ち込み禁止とされている (ただ、宿舎内売店では酒類も販売されており、飲酒は可能。 提供は全レース終了後である)ほか、トランプや通信機能の付いたゲーム機、出前なども持ち込み禁止とされている。 これらが発覚した場合は即、競輪場から出場契約が解除され欠場ないし途中欠場となり、後に一定期間のあっせん停止などの処分が下される。 なお、カメラについては従来は禁止されてはいなかったため、のように検車場や選手食堂などの様子をでアップしていた選手もいたが、2020年に入ってからはカメラも持ち込み禁止とされた。 競走の進行 [ ] スタート前、前レースの終了直後には選手紹介が行われる。 この時すでにレースは始まっているともいわれ 、各選手はラインや戦法について意思表示をし 、バンクを軽く2、3周する。 このスタート紹介は、「地乗り」「脚みせ」とも呼ばれる。 一旦、選手たちは控え室に戻る。 レースに臨む前に多くの選手が清めのを、自身の体や自転車にかける。 レース序盤は先頭誘導員を先頭に 、全選手が一列(一列棒状 )の隊列を組んで走るのが一般的である。 その原因としては、隊列を外れると他の選手よりも外を走り、したがってより長い距離を走らなければならなくなること、他の選手の直後を走る場合よりも大きな風圧を受けることが挙げられる。 ただし、位置取りを巡って争いが生じた場合は別である。 残りの周回数が3周になると、周回数を示す板が白色から青色の青板(あおばん)に変わり、さらに残り2周で赤色の赤板(あかばん)に変わる。 先頭の選手が残り1周半を通過するとが打ち鳴らされる。 これを「ジャン」といい、ゴールラインを通過して残り1周となるまで鳴らされ続ける。 ここから誘導員が抜けてラストスパートがかかり、ゴールまで息詰まるデッドヒートが展開される。 各車が込み合うような展開の場合には、時として接触・落車事故が発生することがある。 レース終了後は、各選手に対して、敢闘門に同県や同地区の(そのレースに出ていない)選手が自転車を取りに来てくれる風習がある。 また、どのレースでも、勝利した選手が他の選手に(かつてはも )を配るのが慣わしとなっている。 悪天候などである日が中止となった際、順延しない場合の開催では、準決勝や決勝の進出者は抽選による「みなし着順」で決まる。 また、万が一あるレースで9選手全員が1着同着となった場合の勝ち上がりについても、その対応を決めてある。 その他、ではポイント制のため、決勝ないし準決勝において予選での獲得ポイント第7位が複数名いた場合、抽選で決勝ないし準決勝進出者を決定する。 1レースあたりの出走人数 [ ] 通常は最大9名により行なわれるが、とA級チャレンジ戦(および一部のA級1・2班戦)は7名で行われ、最小は5名。 なお、かつてやなどでは最大12名でのレースも行われていた。 逆に、初期のや、好景気の頃でも・・・が、経費節減のため原則(ダービートライアル等を除いて)8車立で開催していた時期があった (準決勝3着は抽選で2名のみが決勝進出 )。 9車立の場合、4番5番・6番7番・8番9番は同一枠として単枠の1番・2番・3番をあわせて6枠を構成するため、慣習的に4番・6番・8番には格下、つまり競走成績の低い者がおかれる(例外もある)。 中でも6番車は最も格下の選手があてがわれるが、これら4番・6番・8番の選手が入着した場合は高配当が出ることが多く、競輪ファンはこれをもじって「 ヨーロッパ」と呼ぶ。 負傷や失格による翌日の欠場者が発生した場合、開催地の近県の選手(FI開催のS級戦では2班選手のみ)を中心に補充が行われる。 GIでは事前に選定された補欠選手数名が、ホテルで待機する。 では、記念・ガールズを除く各レースの1番車に、競走得点トップの選手を置いている特徴がある(2017年9月現在)。 勝負服 [ ] 競輪の勝負服。 現行服は2002年4月より採用。 旧服は1984年11月の小倉競輪祭初日より採用。 この項目ではを扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 と基本的には同じ。 違いはバックポケットがなく、長袖のみ、またジャージと同じ色のヘルメットカバーを着用すること。 またレーサーパンツの両脇に入る線も、級毎に色が異なる。 2代前(1964年から1984年)の服は1番から5番までは今の色と同じだが、6番は 白と 黒を交えたもの7番は 白と 赤を交えたもの8番は 白と 青を交えたもの9番は 赤と 青を交えたものとなっている。 1つ前(1984年から2002年)の服が導入される直前の1984年9月・オールスター競輪では、5番が 青と 赤、7番が 黄と 赤、つまり差し色として赤を統一したが、その色使いは変更時に採用されなかった(他の番車の色はそのまま採用)。 あわせて従来の五分程度の半袖から、長袖に変わった。 また、過去の12車立では10番 黄黒・11番 赤黒・12番 青黒だった。 旧服は枠番の確認を容易にするため4枠4番から6枠9番までは枠番色を基調として奇数車に別の色を交えており、現行服は車番連勝車券が一般化したことから全車別色となっている。 なお、ビッグレースの決勝やGPでは、派手な限定ユニフォームが用いられることがある。 1994年の第47回日本選手権競輪(静岡)では、上下同じデザイン・色の勝負服を着用した。 他に、北京オリンピック日本代表選手応援協賛競輪を機に、2008年には特別ユニフォームが特定の大会で採用された。 1月にはがと契約し、公営競技初となる(左肩)を着用。 他の選手も追随した。 レーサーパンツは、横のライン上に7つの星が描かれている。 その年のは黒いラインの赤いパンツを着用。 他のS級選手は赤いライン、A級は緑のラインでどちらも黒いパンツ。 また、では現在は右が黄色・左が紫のラインで、ピンクを基調としたパンツ。 先頭固定競走 [ ] 2012年のガールズケイリン開始により、従来のルールが男子向けの「先頭固定競走(オリジナル)」となり、新たに女子向けとして「先頭固定競走(インターナショナル)」のルールも設定された。 ここでは従来からのオリジナルルールを中心に記述する。 1周目の周回の様子。 誘導員が先頭に立っている 現在行われている競走は 先頭固定競走と呼ばれ、スタートから残り1周半付近(ジャンが鳴る地点)までは選手と同じ型の自転車に乗った先頭誘導員が選手の前を走る。 選手は、333mないし335mバンクでは残り2周半のBS(バックストレッチ)ライン、400mバンクでは残り2周のHS(ホームストレッチ)ライン、500mバンクでは残り1周半のBSライン、それぞれを切るまで先頭誘導員より前に出ることができない。 これは、先頭を走ると風圧の影響を受ける上、後続の選手の動向を把握しにくくなることに配慮した制度である。 特にからはこのルールが厳格に適用されるようになり、実際にこれに違反した場合は失格・となるだけでなく、即座にあっせん保留、かつ一定期間あっせん停止の処分が下される。 誘導員は車券の対象ではないため、レースに出走する選手と区別する目的で、紺地に橙色のV型ラインの入ったユニフォーム とのが付いた ヘルメットカバーを着用する。 また、誘導員のスタート位置は選手よりも25m前である。 また、不正防止の観点から、誘導員は当日、レースに出走する選手たちと直接接触することがないよう、競輪場ではレースに出走する選手たちとは別の控室とバンクへの入退場口を使用する。 誘導員は大抵、そのレースが開催されている競輪場をホームバンク(練習拠点)とし、レース当日は競走に出走しない選手が行う。 誘導員にも競走に応じて手当 が支給されるため、収入が少ない成績下位のA級の選手が比較的多く務める。 で優勝歴のあるような成績上位のS級選手が誘導員を務めることは極めて少ないが、地元での()の決勝戦などでファンサービスを兼ねて務める例がある。 誘導員の誘導ペースは競走形態に大きく影響を与える。 はでの作戦としてイン切り が全盛期であったため、スプリント競走のように超スローペースになることが多かった。 しかしにルールが改正されると誘導ペースが高速化し、早期に誘導員を追い抜くことができなくなったこともあり、一本調子の高速レースに強い大ギアが力を発揮するようになったため、トップクラスの選手の多くが大ギアとなった。 ただ上述の通り、よりギア倍数は4未満へと規制されている。 誘導員となるには、誘導員試験に合格し、誘導員資格を得る必要がある。 現役の競輪選手であること、かつ誘導員試験において2000mタイムトライアルを2分55秒以内で走破すること(選手なら必ず走破できる設定)が条件である。 但し、通常の競走で追走義務違反や敢闘精神欠如など悪質な失格をした場合は誘導員資格を取り消されることもあるほか、あっせん停止の処分を受けると1年間の資格停止となることもある。 また、選手自らが誘導員資格の取り消しを申請する場合もある。 なお、は男子とは異なるルールで競走を行っていることから誘導員になることはできないため、ガールズケイリンでも誘導員は全て男子選手が務めている。 なお1月より 『』 として男子による「先頭固定競走インターナショナル」ルールの競走もGIII(開設記念競輪)の最終日に単発の企画レースとして実施されている ただ、『KEIRIN EVOLUTION』は以降は集中開催となったため、それ以前と比べて実施される回数は大きく減少している。 なお、インターナショナルのルールについてはを参照のこと。 かつて特別競輪や記念競輪で行われていた3000mを超える長距離戦に値するレースでは、2人の誘導員が誘導していた。 その場合、最初の誘導員はが鳴る前の周回でコースを出るが、もう1人の誘導員は、ジャンが鳴り終わる頃まで誘導して、その後コースから去っていた。 普通競走 [ ] かつては誘導員のない競走( 普通競走)もあったが、車番連勝式車券が発売される競走では行われないようになり、事実上の廃止となっている。 普通競走では誘導員の役割を選手が行なっており、これを「 トップ引き」と呼ぶ。 ルール上はどの選手がトップを引いてもかまわないことになっているが、やがてトップ引きを行う選手は、競輪の枠式車券で2人枠となる場合に最下位に当たる位置づけとなる事が最も多い6番車の選手が行うことが慣例となった。 車番連勝式車券が発売される直前の頃には「先頭固定競走」として行う予定の競走でもレース番組の確定直前に選手からトップ引きを行う旨の申告があった場合は「普通競走」に変更された。 これは何らかの理由で明らかに格上の競走に出走することになった力の劣る選手、あるいは引退間際の選手などが事前に申告するもので、この場合該当選手の車番は最も勝ち目が薄くなるため、申し出た選手の車番は慣例に倣って6番車に変更される。 普通競走でトップ引きを行った選手には正規の入着賞金のほかに先頭手当も支給 賞金+手当で5着入着くらいの収入になる され、雨敢闘手当なども他の選手同様に支給される。 なお上述の「タイムオーバー」は、元々トップ引きの選手が極端にペースを落とすことを避けるための規定であったが、この規定は現在の先頭固定競走でもスタート時のスロー牽制を防止するため適用されている。 先頭固定競走の誘導員は車券の対象とはならないが、この普通競走では6番車のユニフォームを着た選手が誘導員代わりであるため、車券の対象となることが違いとなる。 当日の出走表などで普通競走に変更された旨の告知がされているため混乱はなく、投票者にも暗黙の了解であったが、同じ5枠の7番車との車券である、枠番連勝式(枠連)5-5の車券は発売されていた。 これに対し、普通競走において仮に5枠以外の選手全員が落車棄権してしまえば枠連5-5が的中車券となるため、以前から「おかしい」という声はあがっており、実際にの第7競走において、9人中、5枠両名以外の全7人が落車したため 2,363,180円という配当が出た(これは当時全ての公営競技において最高記録)。 これは永らく破られず、現在でも枠番連勝式としては全公営競技史上最高となっている。 9月15日のS級シリーズから車番連勝式勝者投票券が発売された後も暫くは普通競走が行われていたものの、トップ引きの6番車が絡んだオッズに混乱をきたしたことから、同年12月に車番連勝式を発売するレースは先頭固定競走とすると明記された。 またトップ引きが公正な競走でないという問題については過去に裁判も行なわれており、「トップ引き自体が競輪の観客における公知の事実」という判断がなされている。 競技規則 [ ] 従来からの普通競走と先頭固定競走(オリジナル)に対するルール違反は、主なものが以下のように定められており、違反により落車および自転車故障の原因となった場合、または違反行為そのものにより、失格となる場合がある。 ただし競技規則には違反を問わないケースも明記されている。 4月から、審議対象レースの映像公開が開始された。 第11条 - 敢闘の義務• 第11条(4)1 - 暴走の禁止(勝機を逸する先行を行ったことによる勝者から6秒程度以上の敗退)• 第11条(4)2 - 追走義務違反の禁止(前を走る選手および集団から極端に離れてはならない)• 第11条の2 - 過失走行の禁止(端的にはいわゆる「自爆落車」など)• 第13条 - 内側差込み等の禁止• 第13条の2 - 外帯線内進入の禁止(内圏線と外帯線の間を走る選手を内側から抜いてはならない)• 第14条第1項 - 押圧、押し上げ、押し合いの禁止• 第14条第2項 - 斜行、蛇行の禁止• 第14条第3項 - 中割りの禁止(前で並走している選手の隙間をこじ開けてはならない)• 第15条 - 内圏線踏切りの禁止• 第16条 - イエローライン踏切りの禁止(先頭に位置する選手は2秒程度以上外側へ越えてはならない)• 第58条 - 先頭員早期追い抜きの禁止(先固のみ)• 第59条 - 先頭員に対する妨害行為の禁止(先固のみ)• 第70条(4) - 周回誤認 「」も参照 競輪の主な戦法 [ ] 前述のように競輪はあくまで個人が他人より先着するために競走をするのが基本であるが、その競走をより有利に進めるために関係の深い選手同士で連携をする。 連携は各選手の脚質による戦法で決まる。 その戦法の主なものを次に述べる。 ちなみに、先行・追い込み・捲りの戦法を使いこなせることを「自在」という。 先行 [ ] 競輪は残り1周半程度までは1本のラインを作って進む。 その時は関係の深い者同士で並びの前後を決めるのであるが、その際に一番前を走る戦法の選手が 先行選手である。 決まり手は「逃げ」あるいは「逃」と表される。 先行選手は残り1周半程度から後ろの選手を引き連れてダッシュをする。 つまり先頭誘導員が下がって選手達のスピードが上がってから一番前を走っているのが先行選手と言ってよい。 一番前を走るので誰にも邪魔されずゴールに先着する可能性は一番高いが、反面時速70km程度の速度で走るので猛烈な風圧を受けながら走らねばならない。 風圧を受けつつ1周ほどスピードを維持する脚力(地脚)が要求される ため、並びの中で最も若い選手がなることが多い。 疲労で速度が鈍った、いわゆる タレたときには追い込み選手がいかに残してくれるかによって良い着順を取ることが出来る。 後ろに追込選手を引き連れて走るため先行選手を「 」と呼ぶこともある。 直線の短いバンクでは、追い込み選手がスパートする距離が短くなることから先行が有利となる。 また、コーナーの大きいバンクはカントが緩く、捲りをかけた選手が遠心力で外に振られやすくなるため、先行が有利となる。 最終バックに差しかかった時に風向きが追い風だと、先行選手は捲りの選手よりも先に風の影響で加速がついて捲りに対応する余裕が生まれ、有利になりやすい。 逆に最終バックが向かい風だと、捲りの選手よりも先に風の影響を受けて減速することになり、その瞬間に加速されると距離を縮められやすくなる。 ちなみに、風のないドーム式の競輪場では先行が有利といわれる。 これは、捲りの選手が隊列から外れた際に大きな風圧を受ける傾向があるためである。 屋根のないバンクに雨が降ると先行有利になるといわれる。 これは競輪用の自転車には跳ね除けがなく、水を跳ね上げて走ることになることから、各選手は水が目に入ることを嫌い他の選手の直後に位置しなかったり顔を背けて走ったりするためである。 前者は先行以外の選手も先行選手と同様の風圧を受けることを意味し、後者はレース展開を把握しづらくなることに繋がる。 さらに一瞬の加速力を要する捲りや追い込みは先行よりもによる不利に見舞われやすく、その分先行が有利になる傾向にある。 競輪では先行する選手がレースを作るといわれ 、先行選手の人数がラインの形成に影響を及ぼす。 たとえば2車先行の場合はラインが二分し、3車先行の場合はラインが三分する。 追込 [ ] 先行選手の後ろを走る戦法の選手を 追い込み選手、あるいは マーク屋、差し屋といい、決まり手は「差」と表される。 数十メートルであればトップスピードを維持できるという対応の選手に向いた戦法である。 風圧を前の先行選手が受けてくれ、を作ってくれる中で走ることが出来るため楽にゴール前まで進むことが出来るが、先行選手をぎりぎりまで「残す」ために後ろから来る選手をブロックしなければならない。 その後先行選手に先着するのが正しい追い込みの仕方で、早々と別のラインに切り替える、直線の手前でまだ脚のある先行選手を抜いていくなどの走法は邪道といわれる。 先行選手やまくりの選手は「縦の競走」追い込み選手は「横の競走」をすると言われる。 先行選手のすぐ後ろを走っている選手を 番手、その後ろは 三番手・ 四番手……と呼ぶ。 捲り [ ] 先行選手は先にダッシュを仕掛けるが、先行するラインを後ろから追いかけて短い距離で一気に抜き去る戦法を 捲りという。 1周以上スピードを維持するのは無理だが200m程度であればトップスピードで走ることができるタイプの選手向きの戦法である。 捲りを主戦法にする選手もいるが、先行選手が後手を踏んで捲りになったり、あえて力関係で捲りを選んだりすることもある。 先行選手以上のダッシュ力は必要となり、かつ先行ラインを抜く時にそのラインの選手のブロックには耐えなければならない。 もちろん捲り選手の後ろにも追い込み選手が続いている。 最終バックに差しかかった時に風向きが向い風だと、先行選手が先に風の影響を受けて減速することになり、その瞬間に加速することで距離を縮めやすくなる。 逆に追い風だと、先行選手のほうが先に風の影響で加速がつき、余裕を与えやすくなる。 コーナーの大きいバンクはカントが緩く、遠心力で外に振られやすくなるため、捲りにくい。 また、直線部分の内側への傾斜が緩いと、向こう正面から捲りをかける選手はコーナーに差し掛かった時に急に上るような感覚に襲われ、捲りづらくなる。 ライン [ ] 男子の競走で、周回中に選手が組むチームを といい、レース展開を形成するもととなる。 スジともいう。 かつては強い先行選手の後ろに力のある追い込み選手がつく場合が多かったが、1983年の制度導入や1988年に累積事故点の罰則があっせん停止を含むものになる等強化される等の経緯によって、現在のような地区別のライン形成が定着したとされている。 ラインは一般に、各選手が練習場所とする競輪場や所属する選手会といった地区単位で形成されることが多い が、中には日本競輪選手養成所の同期生同士(同班同室の場合や、地区にラインがない場合に組まれる) 、世界選手権 ・オリンピックに出場した選手同士といったパターンや、同地域の選手がいない者同士がやむを得ず組むパターンなどもある。 もっと細かくなったものは 四分戦 、 細分戦 、 コマ切れの競走と呼ばれる。 一方で、先行選手が2名しかいないなどラインが2本しか形成されない場合は 二分戦と呼ばれる。 通常の番組編成(レース毎の選手の配分)においては、予選競走ではラインの形成を考慮して先行・追込・捲りの選手の数がほぼ均等になるように主催者側で選手を割り振るが、開催最終日の決勝戦など勝ち上がりにより自動的に出場選手が決まってしまうレースでは、稀に先行選手が1名しかいないレース(先行1車 、 逃げイチと呼ばれる)や、先行選手が一人もいないレースが行われることもあり、その場合は誰か一人が覚悟を決めて先行することになる。 各選手は予想紙などからの取材応対時のコメントやスタート前の選手紹介でラインや戦法について意思表示をするので、そこからどのようなラインが組まれるか予想することができる。 近年の競輪は若手を中心にラインを重視する選手が多く、位置取りについてあえてラインを無視した自己主張をするケースが減ったといわれている。 なお、ガールズケイリンではトラックレースのケイリンに準拠したルールであるため単騎戦でありラインという概念がなく、またあからさまにラインを組むことは反則行為とされている。 また、のちに男子でもガールズケイリンに模したルールで、ラインという概念を排除したがGIIIの最終日などで単発の企画レースとして行われている。 競走における競輪道 [ ] この節には 複数の問題があります。 やでの議論にご協力ください。 がまったく示されていないか不十分です。 内容に関するが必要です。 ( 2012年3月)• が含まれているおそれがあります。 ( 2008年7月) 上述した戦法をふまえて、競輪競走においてはルールに明記されているわけではないが、選手全体に認知されている競走におけるやらなければならない行為、あるいはやってはいけない行為が存在する。 これは選手道または 競輪道とファンや選手に言われており、選手達の間で暗黙の内に決められた事と、ファンと選手の間で暗黙の内に決められた事がある。 いわゆる・アンリトゥン・ルール Unwritten rule の一つ。 元競輪選手のは、競輪道を「人の道」と表現している。 選手達の間で決め事とされているものとしては以下のものがある• ラインを組む際に、選手の並びを決める基準として、地区のつながりで選手との間に差がない場合は直近4ヶ月の平均競走得点が上の選手が有利な番手を得る• また、自らインをつくこともしない• 先行するラインの番手の選手は、他の選手が後ろから来ない場合は、最後の直線に達するまで先行選手を抜きに行かない。 (これは先行選手にとっては最も重要なアドバンテージである。 このことにより脚力を温存できる。 先行争いで敗れ、失速した選手は他の選手の邪魔にならないように後退する• 二分戦(先行選手が2名しかいないレース)の場合、その先行選手同士が並列してマイペースで走ってはいけない。 ライン後続を裏切る行為になる。 本来はラインを組むべき選手同士がどちらも先行選手だった場合、やむなく二分戦となり先行争いを行わなければならない選手が練習仲間の同地区の選手ということがある。 しかし、そのような行為はほぼ絶対に禁止されており、ほとんど見かけることは無い。 もっとも競輪道に対する考え方は選手個々によって差があり、またレースの種類(勝ち上がり・負け戦)によって選手の動き方も変わってくる。 またファンとの間で決め事とされているものとしては以下のものがある• 大本命の先行選手がラインの番手の選手のために、わざと無理な先行をして着外、つまりに関係しない順位になってはいけない• 先行1車の競走(先行選手が1人の競走)では必ず二番手を競りに行くか、いちかばちかその先行選手を相手に追込選手が先行か捲りで競走を動かさなければならない• 競走前の顔見せで見せたラインの並びと違う並びを、本番の競走の最初からやってはいけない• 顔見せで事前のコメントと違うライン並びを行なってはならない。 これは、古くは顔見せでの並び変更は許されたが、最近はやなどで事前に投票するファンが増えたことによる。 但し事前に「顔見せで決める」とコメントすることは許される。 先行および捲り選手の直後の位置。 番手の直後は三番手。 また競輪場から競走のあっせん(競走参加の要請)をされなくなる事実上の制裁を受けることもある。 トップスターでも時折こうした行為があり、ファンの記憶に残り語り継がれているものもある。 あっせんの仕組みについてはの項を参照。 同様の選手道はにおいても存在しているし、ロードレースにおいても暗黙の了解が多数存在している(詳しくは「」の「暗黙の了解」の項を参照)。 ただ、競輪はこうした選手間の立場による要素が他の競技よりも多いとされており、これが競輪を知らない人から見た場合の予想の難解さを生んでいる側面もある。 競輪競走では選手が競走中に「競り」や「張り」として頭突き、肘打ち、体当たりなど行っているが、同じ自転車競技の同様にある程度までは許容されている(ただしインターナショナルルールでは事実上規制される)。 これは創世記からのルール形成において問題にされなかったことが現在まで続いているもので、時より選手同士による激しい競り合いが起こる場合があり物議を醸すこともあるが、インに詰まらされた場合の脱出策や、後方から迫る選手の速度を落とすためなど戦略的に利用できる側面は大きい。 なお明らかなルール違反であり、競輪道(選手道)に反するものとして「金網ブロック」がある。 これは文字通り、後方から進んでくる選手をブロックする際に、バンクの外周フェンス(金網)近くまで自分の車体を持ち上げて、相手選手をよりフェンス近くで走らせる威嚇行為である。 大変に危険な行為であり、故意に相手をフェンスへ激突させた場合は悪質失格とされあっせん停止の処分等もありうる。 昔はこの行為ですら合法だったが、選手同士に遺恨を残すこともしばしばあり、ブロック行為が寛容であった時代ですらルール違反とされることになった。 競輪選手は競走のグレードに対応した競走得点、マイナス計算となる失格点等によって「級班付け」が行われる。 規定の点数を獲得できなければ事実上競輪選手としての資格を剥奪される。 したがって、「点数がかかっている」選手がいる場合はラインでここぞとばかりに結束し、点数勝負の選手に勝利をもたらそうとするケースがある。 その際は要注意であるとともに、ことギャンブルという視点で捉えた場合、チャンスでもある。 競走格付け [ ] この項目ではを扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 「」および「」も参照 競輪の競走格付けにはが採用されており、上位のグレードから以下のように分類される(本来の数字表記は)。 下位の競走を勝つことが上位の競走への出場に繋がるよう設計されており、各選手はKEIRINグランプリを目標に1年のシーズンを戦う。 GP -。 S級のトップ選手9名が競輪界最高額の賞金をかけて戦う。 GI - S級のトップ選手が出場する。 6大会あり、優勝者はKEIRINグランプリの出場権を獲得する。 グレード制施行前は「特別競輪」と呼称。 GII - S級の選手がGIの出場権をかけて戦う。 グレード制施行前は「準特別競輪」や「特別記念競輪」と呼称。 GIII - S級の選手が出場。 がこれに該当する。 4日制 だが、やナイターGIIIなど3日制もある。 FI (S級シリーズ) - S級の選手とA級(1・2班)の選手が出場。 FII (主に一般競走) - A級の選手が出場。 但し全プロはS級も出場する。 L級選手()はFIないしFIIのいずれかに出場するが、は競輪祭(GI)の前半3日間で行われるなど例外もある。 但し、競走格付けは全てFIIである。 開催 [ ] 競輪の開催日数は、競輪場ごとに年間70日である。 原則として1開催3日制で、GIII以上の開催など4日以上もある。 開催初日は、選手の成績(平均競走得点)をもとに「特選」、「選抜」、「予選」の3種類のレースに出場し、成績上位者が2日目の「準決勝」に進出、その上位者が3日目の「決勝」に進出する。 「準決勝」および「決勝」に進出できなかった選手は、2日目と3日目も「特選」「選抜」「一般」に出場する。 なお、初日に「特選」に出場することができると勝ち上がりに有利である。 都道府県コード [ ] KEIRIN. JPの「データ検索」や「出場予定選手一覧」における順序は、以下の通り。 一般的なとは、地区区分や順序が異なる。 太字は、スポーツ新聞の出走表などにおける、一文字略記。 時点では、鳥取・島根の所属選手はゼロ。 「」を参照 地区 県 北 日本 7 11 北海道 12 青森 13 岩手 14 宮 城 15 秋田 16 山 形 17 福 島 関東 8 21 茨城 22 栃木 23 群馬 24 埼玉 25 東京 26 山 梨 27 長 野 28 新潟 地区 県 南 関東 3 31 千葉 32 神奈川 33 静岡 中部 5 41 愛知 42 岐阜 43 三重 44 富山 45 石川 近畿 7 51 福 井 52 滋賀 53 京都 54 奈良 55 和歌山 56 大阪 57 兵庫 地区 県 中国 5 61 鳥取 62 島 根 63 岡山 64 広島 65 山口 四国 4 71 香川 72 徳島 73 高知 74 愛 媛 地区 県 九州 8 81 福岡 82 佐賀 83 長崎 84 大 分 85 熊本 86 宮崎 87 鹿児島 88 沖縄 外国 99 外国 歴史 [ ] この節はなが全く示されていないか、不十分です。 して記事の信頼性向上にご協力ください。 ( 2008年3月) 自転車競走の発展 [ ] 時代の自転車業界紙記者であった真壁仁氏のメモによると、(28年)、のトラックで行われた自転車競技が、記録に残る上での日本初の自転車競走と言われている。 また、日本人が自転車競走に参加したのも同年、との記録がある。 (明治30年)春ににおいて開催された大会では参加者約20名、優勝者は当時圧倒的な強さを誇った鶴田勝三であった。 その後、(明治38年)以降、など各社が主催し自転車業界が育てた選手が宣伝のために走るという自転車競走が活発に行われるようになる。 日本において自転車競技のノンプロ選手第一号は小宮山長造であった。 このように、戦前はを中心に盛んに行われ、中には競走用自転車で全国各地を転戦する者もいた。 競輪の誕生 [ ] 終結後、競輪はとして開催されるようになった。 元(後に国策会社の社員となる)の(海老澤清文)と、久留米連隊に所属し後にで働くことになる元の倉茂貞助(本名は)の2人が、東京のに「国際スポーツ株式会社」を設立したことで始まる。 当初はに伴う大陸や南方からの引揚者に、の利益をもとに住宅建設構想を練っていた海老澤の思惑と、に一大レジャーランドの建設を構想し、世界屈指の観光地とする構想を描いていた倉茂の思惑がそれぞれあったが、海老澤が構想を描いていた「住宅建設宝くじ」を取り入れる形で、「自転車産業の復興とサイクルスポーツの振興」を大義名分として、戦前は日本各地で人気を博していた自転車レースをに倣って賭けの対象にし、その収益金をもとに戦後復興に役立てることはできないものかと考え出されたのが後の競輪であった。 もっとも、後の競輪を国際スポーツ株式会社の運営で行うのは不可能と分かり、立法として取り上げてもらうべく働きかけた。 2人は、後に連合会会長となる、当時は所属のだったと出会うことになる。 林は戦前、の社員であったが、と貿易国営を主張したものの受け入れられずに(17年)に退社。 その後に移り、(22年)に行われたで当選を果たした。 前述の通り、三井物産時代に貿易国営を唱えており、国家事業の重要性を考えていた林は2人の提案を気に入り、その話を当時の日本社会党委員長でもあった、に提言したところ、片山も「それは面白い」と乗り気になり、やがて社会党の中央執行委員会も同意して法案作りへと進むことになった。 しかし、この草案に対して、がいったんは許可を下ろしながらも 、すぐさま白紙撤回する騒ぎとなった。 GHQが説いていたに相反すると思われたからである。 それに対して社会党は、GHQの地方分権案に同意。 それにより、GHQも草案を認め、として審議へと入った。 (昭和23年)にで可決し、へと法案が送られたが、同年7月1日、自転車競技法は参議院でも可決し成立。 同年より施行されることになった。 敗戦直後の(昭和21年)、気持ちが暗く沈んでいた日本国民を明るくしようと、第1回が各地で開催される。 その国民体育大会は(昭和23年)10月に第3回がで開催されることとなったが、莫大な経費が嵩む自転車競技場の建設には県内のどの自治体も及び腰であり、自転車競技の開催が危ぶまれるという事態に陥った。 これを回避すべく、が「人気種目のを小倉市で開催する」ということを条件に、抱き合わせする形で自転車競技場の建設に名乗りを挙げたのだった。 その後、自治体の戦後復興費用捻出および自転車産業の発展を目的としてが1948年(昭和23年)に成立。 同年、地方の財政健全化と経済情勢全般の健全化、自転車産業の振興を掲げ 、国体会場でもあったにおいて第1回の競輪競走が開催され、ここに競輪が誕生した。 第1回の小倉競輪競走では、の2種類の車券が発売された(の発売は、同年に開催されたが最初)。 第1回小倉競輪は予想を上回る成功をおさめ 、財政難打開の手段として 競輪を開催しようとする動きは他の地方自治体へ波及し 、第1回小倉競輪以降の2年間で50以上の競輪場が建設され、開設のまで63の競輪場が開設された。 だが主催者が不慣れであった点、選手へのルールや理念の教育の不足、が全国的な運営母体を認めなかった点などから運営の不手際が生じ一時は中止に追い込まれるなど波乱の歴史を持つ。 この立法・運営側の曖昧さ、競走自体においても風圧を受けるトップが不利を蒙るという特殊な面が、逆に 観客と選手による独自のローカルルールを生んだ。 今日の公営競技において「 競輪道」と呼ばれる精神性を語らせては競輪の右に出るものはないが、反面「わかりづらい」「情実優先の展開レース」という批判も根強い。 しかし、作家のはこの競輪の特殊性故に 「競輪こそ の王様」と呼んでいる。 爆発的人気と相次ぐ暴動事件 [ ] 競輪が誕生した(昭和23年)当時、国営競馬(現在の)の控除率(俗にいう「寺銭」)が34. そうした背景も手伝って、国営競馬が不振をかこつ状態だったのに対し、競輪は爆発的な人気を博すようになった。 しかし、その一方で、客がの特性を理解しきれていなかったという背景も手伝い、(昭和24年)に発生したでの事件を端緒に、しばしば暴動事件 が発生する事態となったことで、新聞を中心としたマスメディアの批判も強くなっていった。 とりわけ(25年)に ・の両競輪場において起こった騒擾事件は激しい非難を浴び、競輪廃止論議が世論を賑わせることになる。 特に鳴尾での騒擾事件は大きく尾を引き、競輪は2か月間開催を全面的に自粛せざるを得なくなっただけでなく、内閣に至っては競輪廃止を閣議了承したほどであった。 だが結局は競輪廃止論議は閣議段階で踏み留まり、通商産業省(当時)の勧告により、当面の開催継続と引き換えに施設の耐火性向上(コンクリート化)工事や選手の資格再検討などが行われた。 (昭和26年)のにおいてが提出した競輪廃止法案が否決されるに至ったことで、競輪は以後も開催が続けられていくことになる。 「競輪」の言葉を考え出したのは、当時門司支局に勤めていた新聞記者の山本鹿男。 競輪が始まった当初は「 きょうわ」または「 きょうりん」と呼ばれた が、実のところ当時は関係者の間でも必ずしも統一されておらず、読み方の混乱が長く続いた(世間では「キョウリン」が趨勢であった模様 )。 ただ、この鳴尾事件が発生した時に、世間では競輪を「狂輪」や「恐輪」などと揶揄するようになったことをきっかけに、鳴尾事件後の以降、今の「 けいりん」が定着したと言われている。 だが、その後も断続的に暴動事件は発生した。 中でも(34年)、第5レースの着順判定を巡って「八百長騒動」が発生したことにより、施設破壊などの事態を招いたばかりか、主催者側が騒いだ一部の客に対し、「車代」と称して1人あたり1000円を渡していたことが発覚(松戸事件) した事件をきっかけに、断然人気のの競走中止に対する件が発端となった(35年)におけるでの事件や、人気の中心となったのトップ引きにかかる(43年)におけるでの事件など、に匹敵するほどの大規模事件も発生した。 に入ると大規模な暴動事件はなくなったものの、それでも(平成5年)には第9回の場外車券を発売していたにて、第2レースで9人中8人が失格するという異常事態に端を発した暴動騒ぎが起きたほか、(平成12年)にはにて、当日開催されていた「アシアナカップ」決勝で係員が残り周回を間違えて誤打鐘をした事に対しファンが立て篭もる事件が発生 するなどのトラブルは起きている。 相次ぐ競輪場の廃止 [ ] 鳴尾事件以後も、断続的に発生する暴動事件を起因とする、マスメディアを中心とする競輪への強い風当たりが続いた。 そんな折、(30年)にときのがで行った記者会見の席上「競馬は、土曜、日曜、祭日以外は開催しないことを閣議で提案する」という発言を行ったことが波紋を広げ 、翌日の定例閣議で申し合わせがなされたが、当時のが「河野発言」を了承することにより、競輪も競馬と同調することになった。 河野のこの発言を受け、当時だったは、原則土日に開催が限定されることによる売り上げ減少を懸念し、1956年度以降の大阪府主催の競馬、競輪の開催を中止する旨を表明。 これに伴い、府営は6月限りで廃止されることになった。 競輪場の廃止例は、当時既に()・()で見られたが、いずれも経営不振によるものであり、政治的な理由による廃止は豊中が最初であった。 その後、近畿地区で競輪場の廃止が相次いだ。 まず(昭和33年)、が市議会の賛成多数により廃止を決定。 さらに当時の・も兵庫県営ギャンブルの廃止を表明したことから、(35年)にが、(36年)にがそれぞれ廃止された。 また、も、(昭和34年)にが廃止されたことを踏まえ都市公園として整備する方針を打ち出したことから、ときの大阪市長は(昭和37年)3月をもって廃止を決定した。 このほかも(昭和39年)に休止(事実上の廃止)となり、大阪市内に存在した2つの競輪場が消滅した。 近畿地区以外にも政治的な理由による廃止が相次ぎ、(1960年開催廃止)・(1962年廃止)・(休止)・(開催廃止)がそれぞれ姿を消した。 そして、この一連の流れは、当時「競輪のメッカ」を標榜していたにも飛び火する。 後楽園競輪場の休止 [ ] (42年)に行われたで、・が推薦したが当選し、史上初の革新系都知事が誕生した。 美濃部は東京都が主催していた各公営ギャンブル(・・・・)の廃止を公約に掲げていた。 後楽園競輪場はの前身で、(昭和24年)11月に誕生。 東京の都心部に位置するという抜群の立地条件も手伝い、開催すれば常時スタンドは満員、とりわけ(前身名は全国争覇競輪)が開催されればスタンドに入りきれない観客で溢れ返り、車券も満足に買えない状態が恒常化していた。 そして、(35年)に行われた全国争覇競輪決勝戦の開催日は推定約8万人の観客で溢れかえり、スタンド内でもすし詰めとなった約1500名の観客が走路内へなだれこみ、決勝戦は走路内に観客を入れてレースを行うという異例の事態となった。 このため警備不能を理由に、(昭和36年)の同大会の開催が決定していたにもかかわらず、東京都が開催を返上したばかりか代替地も決定せず、(昭和38年)3月にで再開されるまで、全国争覇競輪の開催が行われなくなってしまった。 つまり、後楽園以外に全国争覇競輪の開催はできない、ということが、当時の競輪界の「常識」となっていたのである。 実際のところ、一宮で行われた後、再び後楽園で(昭和43年)まで毎年、日本選手権競輪が開催された。 だが美濃部は「競輪などの公営ギャンブルの売り上げで学校などが建設されるということについて、果たして子供たちは望んでいることなのだろうか」 と訴え、当時毎年のように売上を増加させていた背景があったにもかかわらず、都営ギャンブル廃止を公約に掲げた。 また上述の通り、大阪府などの自治体が既に公営ギャンブル廃止を実現させていたことも追い風となっていた。 (昭和44年)1月、美濃部は正式に都営ギャンブル廃止を表明し、同年11月に開催が予定されていた日本選手権競輪の開催を返上した。 さらに美濃部は、1972年度限りで後楽園における都営開催を終了することを表明。 これにより後楽園競輪場は(昭和47年)10月に開催を休止、翌(昭和48年)3月をもって全面休止された。 その後同地ではバンク内に水が注入され、スイミングプールとしての役割を果たした後に解体され、に日本初の屋根つき野球場「東京ドーム」として再建された。 その他の旧都営公営競技場は、まず大井オートレース場が後楽園競輪場と同様に1973年3月で閉場したが、代替場としてが引き継ぎ、(昭和51年)10月6日に開場した。 また京王閣競輪・大井競馬・江戸川競艇はその後、主催者を変更させて現在も存続している。 結局、後楽園競輪場だけは代替地も用意されず消滅した。 衰退の流れ [ ] 後楽園競輪の廃止は当時の競輪界に大きな打撃を与えたが、昭和40年代に入るとの総売上が次第に競輪に迫る勢いを見せるようになった。 1965年(昭和40年)度を見ると、競輪は競艇を含めた他の各公営競技団体の倍ほどの総売り上げを計上していたが、その後、競輪自身も売り上げを伸ばしていくものの、伸び率は鈍化していく。 同時期に発生したの影響により1972年度以降は伸び率も鈍化したが、1975年(昭和50年)度の年間総売上で競艇が競輪を逆転した。 その後2016年度現在、競艇が競輪の総売上を下回った年度は一度もない。 また総入場人員においても、昭和40年度は競輪が約2800万人を記録し競艇に倍以上の差をつけていたが、その後競艇が差を詰めてゆき、(50年)度に競輪を逆転した。 競艇に逆転された原因として、競艇が施設改善や投票券の機械化を急ピッチで進めたのに対し、• 当時は創世記時代に建設された施設をそのままにしているところが多く、場内も「鉄火場風情」が漂っていたことから気軽に来場できるような場内環境ではなかった。 投票券の機械化も著しく遅れ、旧来の「穴開き式投票券」を発売している施設が大半を占めていたため発走時刻の遅れが恒常化していたなどといった問題点が一向に改善されなかった。 さらに場内の風紀浄化も著しく遅れており、場内に闊歩していたを排除する動きは2月にで発生した暴力団抗争事件以降本格化するが、他競技では既に着手していた。 などが挙げられる。 それでも、総売上は1980年(昭和55年)度まで競輪も対前年比増を何とか記録していたが、1981年(昭和56年)度にを除く各公営競技が揃って前年割れを記録した。 KPK制度導入 [ ] 上述した通り、競輪人気にかげりが見えてきた原因は、度重なる暴動事件や施設の老朽化に加え、機械式発券機導入・場内浄化の著しい遅れなどもあるが、ギャンブルとしての競技運営面においても問題点を抱えていた。 (42年)以降、競輪選手の級班制度はA級(1 - 5班)・B級(1 - 2班)の「2層7班制」となっていたが、当時の最上位であるA級1班(A1)選手にあっせんが行われる(現在のGIII)では、A級で最下位であったA級5班(A5)と直接対決する競走も見られた。 当時のA1選手は全体で100〜120名程度しかおらず、同じA級でも実力面で大きな開きがあったため、記念開催の準決勝では「レース前から勝負は決まっている」と言われ、配当もおしなべて低配当となる競走も多くみられた。 この影響により予想の楽しみが消え、「当たっても儲からない」「当たってもトリガミ(手にする払戻金が購入金額を下回ること)」という印象をファンに抱かせたことで競輪離れを招いた。 一方、競艇は1競走が競輪より少ない6艇立てではあるが極度の低配当とはなりにくく、それが競艇に客が流れて行った一因ではないかという見方が一部の競輪関係団体から上がってきた。 こうした背景を踏まえ、4月1日の開催からA級のさらに上位のクラスとして「S級(1 - 3班)」を設け、B級はそのままとしつつ、A級1 - 5班をS級1 - 3班とA級1 - 4班とに再編した「3層9班制」からなる(略称「KPK」)をスタートさせた。 KPKの導入により、競走は脚力が拮抗した選手による激しいレース展開へ生まれ変わった一方で、導入初期より落車・失格が急増し、配当も中配当(中穴)レベルが急増したため「車券が急激に取りにくくなった」という声がファンから上がってきた。 1975年以降、日本人のレジャー志向が「インドア」から「アウトドア」へ移行しており、本場(レース場)へ行かなければ投票券等も買えない公営競技は、都心の便利な立地に場外馬券発売所(現在の)が集結する中央競馬を除き、「時代遅れのレジャー」と言われるようになった。 中央競馬だけは総売上が対前年比増を継続していたが、それ以外の4団体は1981年度以降、軒並み前年割れを続けていった。 なお、1980年代には元選手の矢﨑和良が「メダリストプランニング」を立ち上げ、プロテクターシャツや新繊維のレーサーパンツを、選手のケガ対策の観点から開発した。 KEIRINグランプリの創設 [ ] KPKが売上回復の起爆剤となりえていない実情を踏まえ、競輪関係団体は(60年)に5番目の特別競輪として「」を新設したが、それでも満足な結果は得られず、当時の内部において、より画期的なレースを行えないかという構想が浮上し、当時の同省車輌課長だった西川禎一が、1985年末にS級1班 S1 のトップクラスだけを選抜した競走を提案した。 当初の計画では、まず東日本地区と西日本地区の各競輪場で予選競走を各1個行い、上位の9選手による決戦競走を行うというものであった。 しかし年末の開催には時間の制約があったため、当時の競輪では考えられなかった一発勝負の競走を、集客が見込める首都圏の競輪場で行うという案に収斂し、1985年にでの開催を行うことを内定した。 11月に行われた競輪祭の全日程終了後に正式発表したが、これによって当年の特別競輪優勝者・優勝者に競走得点上位者を加えた9名による一発勝負の競走が、優勝賞金1000万円をかけて行われることになった。 決定から当日まで期間がなかったため、全国での場外発売体制は極めて不十分だったが、立川競輪場は約4万人のファンでごった返した。 また売上も立川市の希望額を上回り、KEIRINグランプリだけで約12億円を計上した。 また、1985年度の総売上対前年比も4年ぶりに増加し、1991年度まで対前年比増を続けた。 しかし、売上に見合わぬ賞金体系が維持されたままとなっていたことは、その後との間に深刻な対立を発生させた。 KEIRINグランプリ'89の中止 [ ] 「」も参照 (60年)のに起因するの反省から、政府の内需拡大策が功を奏し、頃から日本経済は空前の好況となった。 ひいては後にへと突入することになり、競輪の売上げもバブル景気期には前年対比2桁の売上げ伸び率を記録することになった。 そんな中、にまずがを導入し、にはも追随してビッグレースの拡充を図るとともに、賞金総額も大幅に引き上げられた。 これに対し当時の日本競輪選手会理事長・の強力なリーダーシップの下、選手会側は賞金総額の大幅引き上げを求め、それが認められない場合は「のKEIRINグランプリシリーズに、誘導員を出さない」とする強攻策を打ち出した。 基本的に「先頭固定競走(後述)」を採用している競輪では誘導員を出さなければ競走が行えず、このことはKEIRINグランプリの開催もできないことを意味していた。 しかし、選手会側はらと12月25日まで話し合いの場を持ったが折り合いはつかず、結局1989年のKEIRINグランプリは中止された。 なお会場だった立川は前年の1988年に、全国の競輪場で初めて大画面映像装置を設置していた。 この事態を受け、にでの記念開催中止を回避するため施行者側が譲歩し、賞金総額の大幅アップが認められた。 相次ぐ借上施行者の撤退 [ ] 日本経済は(3年) 頃からバブル景気が下降線をたどり、長い不況に突入する。 この影響を受け、競輪の売上も1991年度を境に下降線をたどり、その後2014年度まで対前年度比で漸減を続けた。 この影響を真っ先に受けたのが普通開催(現在のFIIに相当)である。 普通開催については当時、競輪の主催権を持つ自治体以外に、特定の開催だけ主催権が与えられた「借上施行者」と呼ばれる自治体の主催が少なくなかったが、以降は売上が急速に落ち込み赤字に転落する自治体が急増し、ひいては自治体の財政運営にも悪影響を及ぼすとして、これらの借上施行者は相次いで撤退していった。 このことは主催権を持つ自治体にも過重な負担を強いることとなり、1990年代の終盤には各施行自治体が売上が見込める記念競輪の広域場外発売拡大や、S級シリーズの開催数増加を要求する流れとなっていった。 しかし、S級の選手数はKPK導入時のまま(概ね430名)に据え置かれており、あっせんを受けられないS級選手が急増、ひいてはKPK制度そのものが破綻寸前の状態となっていた。 そこで初頭に関係5団体はグレード制の導入やB級の廃止、S級選手の大幅増加に伴うS級シリーズの開催数増加、場外発売を拡大するため記念開催を1節4日間制とする新番組制度改革の概要を公表した。 しかし、片折体制下が続く日本競輪選手会はB級廃止に難色を示し、当初は上記の番組改革に消極的な姿勢を取っていたが、片折が2000年に没して方針が転換され、改革案を受け入れた。 結局、KPKに代わる新番組制度は4月1日から本格的にスタートした。 には他の開催と同様、での失格選手も、となった。 1999年4月1日には全レースで枠番連勝複式と車番連勝単式の2賭式の発売方式(本場では単勝・複勝つもあった)へ完全移行したが 、2001年9月30日の立川・前橋から新賭式(計7賭式)を順次導入 (2003年10月の松阪で全場完了 )。 同年度には「全日本選抜競輪」が読売新聞社杯に「競輪祭」が朝日新聞社杯にもなった。 2002年4月にはユニフォームも9色に変更され、インターネット投票システムも運用開始された。 2000年には競輪場内での酒類販売の試験導入もあった。 そんな中、競輪場の廃止論が21世紀に入って再燃もしていた。 3場廃止 [ ] (14年)3月、3箇所の競輪場が廃止となった。 その中で、まず廃止表明をしたのが。 4月、主催者のは、同市の諮問機関である競輪事業経営検討委員会が、度までに門司、小倉両競輪合わせて約75億円の累積赤字が見込まれる背景を踏まえ、施設の老朽化が著しい門司を廃止し、ナイター開催も行える小倉競輪に開催を一本化することで収益の改善が図れるという意見書を市側に報告したことを理由に、2001年度限りでの廃止を表明した。 続いて2001年11月、が主催するとがいずれも2001年度限りで廃止されることが決まった。 もっとも、西宮と甲子園の両場については、主催者側が2000年度時点で、いったん場内従事者を全員解雇し、日当賃金を従前の約半分となる8千円へと減額した上で希望者に対して再雇用している背景を踏まえ、最悪でも、競輪選手の練習地である甲子園は存続させる方向にあるという期待感も、廃止表明直前まで抱かせていた。 その証拠に事務組合側は、同年夏に出した「甲子園一場開催案」の試算において、西宮、甲子園両場で開催した場合は2002~2005年度ですべて赤字だが、甲子園一場の場合、2002年度で3億5000万円、さらに2003年度も黒字になると報告していた。 ところが同年10月になって、2年間は黒字とされた甲子園単独での収支予測が2年目から赤字に転落。 さらに黒字予想だった本年度でさえ、赤字に転落する見込みになったため、甲子園一場存続も無理との決断を下した。 西宮、甲子園の廃止は、「急転直下」ともいえる事務組合側の結論となったため、甲子園競輪場の施設会社であった甲子園土地企業、近畿自転車競技会、日本競輪選手会が相次いで事務組合を相手取って損害賠償訴訟をする動きが見られた。 また、西宮競輪場の施設会社・阪急電鉄は当初、事務組合側との調停を申し出ていたが、事務組合側がその意向に沿わないため、廃止から2年後にあたる2004年に損害賠償訴訟に踏み切った。 しかし、いずれのケースも事務組合側の勝訴となった。 衰退の流れ止まらず [ ] (14年)4月1日の開催より、KPK制度に変わる新番組制度が実施されることになった。 S級選手を大幅に増加させることにより、S級シリーズ(FI)を年間8節へと開催を増加させる一方、長らく前後節制を取ってきた記念開催(GIII)については広域場外発売を行いやすくするため、1節4日間制に改められた。 しかし、記念開催の広域場外化やS級シリーズの増加をもってしても、競輪の売り上げ向上には繋がらなかった。 そのため、下記の騒動が発生した。 同年10月11日、の市長(当時)・が、三連単導入にかかる投入資金に見合った売り上げが今後期待できないとして、突然の廃止表明を行なった。 しかしその後、同市市議会の最大会派であった清志会などが当面の存続を訴えたことや、競輪関係団体がの開催を約束したことなどにより、早川は廃止を撤回した。 そして、2012年度現在も豊橋競輪は開催を行なっている。 一方で記念開催の広域場外化が浸透すると、次第に各競輪場において自場開催よりも他場の場外発売に収益の柱をシフトする動きが見られるようになり、中には本場開催と合わせて、年間300日以上発売する場も続々と出るようになった。 しかし、周辺地域の理解が得られず場外発売日数が著しく制限された競輪場は、一層苦境に立たされることになった。 12月31日実施の競走より、イエローラインが導入された。 末のヤンググランプリ05、から、作曲の新ファンファーレを全国で使用。 に(20年)JKAは「平成21年度特別競輪等公告項目」として各種アンケートを実施した。 同年4月15日にが、4月25日にが、発売開始(重勝式投票券)。 (21年)、の外部組織にあたる『神奈川県競輪組合あり方検討委員会』は、の廃止は妥当とする報告書をまとめ、同月18日、同場を主催する神奈川県競輪組合と主催自治体に対し報告書を提出した。 理由は、2008年度時点における累積赤字が49億円に達しており、4年後の2013年度には77億円までに膨らむ見通しだからだとした。 この報告書に基づき、当時の同組合管理者であったは同年12月1日、正式に花月園競輪の廃止を決定した。 花月園競輪場は当時、自場開催を除く場外発売日数が74日と少ないため、自場開催にかかる赤字分を補うことができなかった。 そのため、今後開催を続けたとしても、年間約5億円の赤字が見込まれることから、廃止は妥当と結論付けられた。 翌が最後の開催となった花月園競輪場は、59年に亘る歴史にピリオドを打った。 は通年ナイター開始という活路を見出し、包括民間委託も導入して黒字転換を果たした。 2011年(23年)頃を境に、ビッグレースにおけるの地上波中継番組がほぼ無くなっていった(を参照)。 2013年5月31日には、がを2013年度末で廃止する方向で最終調整に入ったと報じた。 1991年度をピークに売り上げが減少し、2009年度・2010年度は赤字を計上。 2012年度も当初予測していた1億4000万円を大幅に超える見通しとなり、過去の収益金からなる繰越金も2014年度で底を尽くため。 オートレースとの統合 [ ] に公布された及びの一部を改正する法律により、競輪を統括していた「日本自転車振興会」とを統括していた「日本小型自動車振興会」は、をもって財団法人に統合された。 売り上げ額の低迷が続いていた中で、新たな起爆剤として、2011年からにかけて、小倉競輪場にて夜9時から11時台にでレースを行うという「」が実施された。 試験的な意味合いが強かったが、予想を上回る売り上げを見せただけでなく黒字計上したことから継続して開催されることとなり 、後に小倉以外にも多くの競輪場が追随したことで、ミッドナイト競輪はまでで全国にある競輪場の半数を超える22場にて開催されるほどに拡大した(これらに加えて、照明設備が整った他場で借り上げにて開催する施行者もあり、それも含めると現状では殆どの競輪場がミッドナイト競輪を開催している)。 ミッドナイト競輪とは逆に、第1競走の出走時刻を早めた「」もにてからにかけて初めて開催され、これも好評であることから徐々に開催場が増加している。 2012年7月からは、昭和期にはと呼ばれた女性の競輪選手による競走 が開始され、女子競輪が約半世紀ぶりに復活した。 他に企画レースとして、の最終日における単発競走として、男子でもの概念を排除しトラックレースとしてのに準拠したルールで行うや、各地区から1名ずつ選抜された7名によるなど、それまでなかった新たなレース形態による競走が行われるようになっている。 12月31日実施の競走より、高速化によるレースの単調化の防止などを目的に、ギヤ倍数範囲が規制された(男子4. 00倍未満、女子3. 80倍未満)。 2016年度の開催枠組みについて、各競輪場の年間開催日数を従来の19節58日から、原則15節46日(小倉は削減なしで函館と四日市は3節減)とすることを競輪最高会議が承認し、縮小化が進んだ。 なお、2018年度の総開催日数は2017年度より77日多い2255日であった。 より、売り上げ増を目的に、が5月の期間中の開催に変更された。 また、のからは、においては固定メンバー3名からなる審判長団が執務を担当して行くことになった。 加えて、それまで日本選手権が行われていた3月には、新たなビッグレースとして、(格付けはGII)がより新設されている。 に開催されたは、GIでは初のとなり 、併せて6日間開催(うち前半3日間はガールズケイリン組み込み)・予選におけるポイント制が復活した。 2019年以降も競輪祭ではナイター開催が継続されている。 加えて、のでは、オールスター6日間開催の復活と、競輪祭に次ぐナイターレース化が決定した。 低迷脱出、売り上げ額増加へ [ ] 売り上げが右肩下がりを続けていた競輪にとって、特にミッドナイト競輪、モーニング競輪は開始以降、対前年度比で高い伸びを示すほど好調が続いており、救世主とも呼べる存在となった。 それらの好調で競輪の売り上げ額は2014年度以降、僅かながらではあるが連続して増収基調が続いており 、2017年度も対前年度比で100. 9%と4年連続で増加となった。 また2018年度も車券売上高は対前年度比102. 加えてインターネット投票が追い風となり、2018年度はでは10年ぶりに3億円をの一般会計に入れたほか、でも前年度の2倍となる4億円をの一般会計に充当した。 2019年度も、の通り2020年2月末以降は全ての開催がとなる中で、年間を通じての売り上げ額は6604億6055万5100円で前年度比101. 賞金についても、この売り上げ額の増加を受けて、10月以降の全てのレースで増額されており、年末のではで優勝賞金1億340万円(副賞込み)と過去最高になった。 ただ、実際はレース単位で見るとビッグレースでも売り上げ額は減少傾向にあり、GIでさえも売り上げ額ワーストを更新することが増えてきている。 実際に、2018年度の全国の本場入場者数は250万5,291人 で、対前年度比92. また、1日平均売り上げ額は2億9,007万4,100円(同98. グレードレース別で見ても、GIはが6日間開催となったため売り上げ額は対前年度比101. 2019年度も、1日平均売り上げ額、本場での1日平均入場者数・売り上げ額、場外売り上げ額はいずれも対前年度比で減少となっており、開催日数を増やすことで売り上げ額を増加させている のであって、楽観視はできない状況にある。 同様に、KEIRINグランプリ(52億円、前年比100. 新型コロナウイルス感染症の拡大による、新たな危機 [ ] 第74回のダービーはによる感染拡大の影響で中止された。 静岡競輪場にて2020年4月撮影。 、日本国内でもが蔓延・拡大したことを受けて、感染拡大防止のため2月27日より当面の間、日中・ナイターも含め全てでによる開催となった。 本場だけでなく場外車券売り場も閉鎖され、またファンの多くが高齢者であることからなどと比べて車券の売り上げ額が大きく落ち込んでおり、例えば()としては初の無観客開催となった開設69周年記念「春日賞争覇戦」では、総売り上げ額は17億6353万9100円と、前年度の54億929万8600円に対し32. それ以降も、九州地区から参加した選手の親族に新型コロナウイルス感染症の陽性反応が出たため4月2日からのが公営競技としては初めて新型コロナウイルス感染症による影響で中止となった ほか、元選手で競輪評論家である氏の新型コロナウイルス感染発覚 と、それを受けて4月8日から開催予定であったが初日朝に急遽中止を決定する など、混乱が続いている。 さらに、によるが発令された以降、記念競輪でも記念、記念の中止が決定した ほか、全国的に開催を取り止める競輪場が相次いで出てきており 、遂にはからで行われる予定だったGI・第74回も開催中止の断が下された。 緊急事態宣言が発令された後も、や競馬(・とも)は競輪同様無観客で開催されているが、COVID-19を理由とした開催中止はない。 競輪の場合はそれらより参加選手の人数が多い(競輪は1日1走のみであり、6日間開催の日本選手権では選手・関係者合わせて200名以上となる)上に狭い検車場で多くの人数がごった返すこと、選手宿舎が4人相部屋であることなどから(いわゆる『状態』になりやすい)、主催者である各自治体が感染拡大を防止するため中止の判断をしているものとみられる。 またそれ以外にも、レース中の事故に備えて待機させる医師を確保できず、止む無く開催中止とした競輪場もあった。 ただ、無観客開催が続いており投票がに限定されていることもあって、2019年度の電話投票売り上げ額は3625億8208万8800円と7年連続増加かつ前年度比118. また、電話投票利用者数も6428万1066人で、前年度比115. においてはから3日間開催されたFIIで施行者の想定を5倍近く上回る16億4千万円を売り上げた ほか、においても、から3日間開催されたFIIではミッドナイト競輪新記録となる11億9904万9900円を売り上げた ほか、のFII初日は1日の売り上げ額としては新記録となる4億8415万円2000円を計上した。 特に4月から5月にかけては開催中止が相次いだため、選手側にとってもコンディション維持や収入面で影響が出てきたことから、当面の間競輪開催においてはGI・GIIの特別競輪を除いて参加選手の人数を抑制し、かつあっせんは極力選手の登録地の近くとして移動を抑制することで開催中止を回避しつつ感染拡大を防ぐ取り組みを行うこととなった。 また、同年6月以降からは、体制が整った競輪場・専用場外売場から順次、観客の入場を再開している。 投票券(車券) [ ] 競輪場での車券発売 現在発売できる車券の種類は以下の「7賭式」(2001年開始) と重勝式である。 7賭式のうち枠番2種はミッドナイト競輪、A級チャレンジ戦およびガールズケイリンでは発売されない。 また重勝式は一部の競輪場での会員制のみ、またはインターネット限定での販売となる• 枠番二連勝複式(2枠複) - 1着と2着の枠番の組み合わせを予想。 最大18通り。 枠番二連勝単式(2枠単)1着と2着の枠番を着順通りに予想。 最大33通り。 2車単登場前の主流車券。 車番二連勝複式(2車複)1着と2着の車番の組み合わせを予想。 最大36通り。 車番二連勝単式(2車単)1着と2着の車番を着順通りに予想。 最大72通り。 車番拡大二連勝複式(ワイド) - 3着以内の車番2つの組み合わせを予想。 最大36通り。 車番三連勝複式(3連複) - 1着から3着までの車番の組み合わせを予想。 最大84通り。 車番三連勝単式(3連単) - 1着から3着までの車番を着順通りに予想。 最大504通り。 重勝式 - 最高で4,782,969通り• かつて単勝式・複勝式は本場で発売されていたが、規則上上記から重勝式を除く7賭式を発売する場合は発売しなくてよいとされているため、その導入と共に事実上廃止となっている。 このため、電話投票でも取り扱いをしたことはない。 なお他の公営競技と同様に20歳未満の車券購入は禁止されている(2007年の法改正で20歳以上の学生は解禁)。 高額配当 [ ] 7賭式導入後に限っては、初めて配当が100万円の大台を突破したのは、2001年12月22日のの第4レース三連勝単式・154万20円。 全賭式を通じての最高配当はにで行われた第6-12競走で発売された(重勝式)で、払戻金は905,987,340円。 これは日本の公営競技史上最高配当記録である。 上記の重勝式を除いた最高配当はにで行われた第10競走で、三連勝単式の払戻金は4,760,700円。 なお、最新の情報については、 を参照されたい。 場外発売 [ ] ではから各地の 以上の競走を対象に全国発売されるようになり、現在では電話投票のほかインターネット投票を用いて全国全競走を購入できる。 マークシート方式の導入は同年9月のが初だった。 また場外発売でもGIII以上は場間場外発売を行っている他、 や でも地方都市を中心にして サテライトなどの専用場外で発売する場合もある。 なお、11月に開設された東京都にあると、10月に開設された神奈川県横浜市の、3月に開設された、4月に開設された愛知県名古屋市の、同年8月に開設された福岡県福岡市のは原則として有料会員制となっている。 詳細についてはを参照のこと。 広報活動 [ ] 放送媒体での実況中継 [ ] テレビ [ ] 地上波 [ ] 記念競輪(GIII)以上の競走は一部が地上波テレビで中継され、本場所在地にあるテレビ局が制作し、主に場外発売を実施する地域のテレビ局がネットする形態が多く見られる。 などの競走を地元ローカルで生中継することもある。 競輪がテレビ(地上波)で初めて放映されたのは、の第16回()で、地元が中継を担当し、や(当時はTBSの番組をネットしていた)でもネットされた。 ちなみに、カラー放送による最初の中継は、の第14回()決勝戦である。 の第31回()までで放送されていたが、同年の第29回()から系列に中継が移行されている。 特に以上の競走は関東・中京・近畿の各広域圏にあるでレース実況・関連情報・開催地の紹介など時間枠を拡大して放送している。 また現地スポーツ新聞記者のほか元競輪選手など専属の解説者も日替わりで出演している。 長らく「(GP)」やGI決勝戦についてはをキー局として系列局がネットしてきたが、特にGI決勝戦についてはから原則または開催となったことからTXN系列では中継できない競走もでてきたため、がある地域ではTXN系列に代わって独立UHF局が中継することが増えていった。 GI決勝戦では、一時期が実況を担当していたこともある。 からが地上波テレビでの生中継を始め、同年の「」から開催地のが制作協力して全国ネットで生中継している。 また、「KEIRINグランプリ」も以降は日本テレビ系列で放送されている。 加えて、も~の「」を5局ネット で生中継したが、以降は放送されていない。 2011年頃を境に、前述のビッグレースにおける独立UHF局の地上波中継は一気に減少した。 以降は、独立局の地上波中継は一部放送局が記念競輪をローカル放送する程度になっている。 全国ネットとしては日本テレビ系列かテレビ東京系列の特別競輪決勝戦を除くと殆ど中継されないようになった。 現在地上波中継される大会は、以下の通りとなっている。 日本テレビ系列• ・ ・・ ・• テレビ東京系列• ・ 上記のほか、以下のテレビ局では競輪を紹介する番組をレギュラー放送していた。 :「」(2005年4月 - 2010年3月)• 毎週火曜日放送。 のレース中継や、競輪全般の話題が主な内容。 :「」(2009年3月終了)• タイトルの変遷はあるが、1978年4月から毎週土曜に競輪番組を放送していた。 :「」(2008年4月 - 2009年3月)• テレビ埼玉での放送は終了したが、番組自体は として残っているといえる。 BSデジタル放送・CS放送 [ ] CS放送で初めて中継が行われたのは、ので、地元の中継映像を用いてで放送された。 また、の開設43周年記念から開設記念(GIII)の中継も開始された。 「KEIRINグランプリ(GP)」は、からでも放送している(もまで放送)。 これは収益金の一部がに寄贈され、また優勝者に対してNHKから寄贈トロフィーが贈られるためである。 上記のほか、2008年の「弥彦」は、でも放送した。 2013年4月28日からはにて「」(2015年度のみ「S級探偵団」として放送)のタイトルで特別競輪の準決勝・決勝戦を生中継したが、2016年4月9日から「パンサーの競輪、はじめました。 」の放送を開始したため、同年3月13日をもって放送を終了した。 2016年度以降は特別競輪決勝戦 を地上波で中継しない場合のBS日テレかテレビ東京系列で中継する場合のが同時放送する時のみ中継しているが、同年度からはBS中継が取りやめとなっている。 また、2019年の、2020年の、同年のはBS日テレがプロ野球中継 を優先した関係で最初からBS中継が放送されなかった。 の「」では、6チャンネル体制で一般戦も含め各地の競輪を完全中継している。 また、かつてやでは、無料放送であるにて完全中継を行っていた。 かつて日本で展開していたでは「」「」などが存在した。 競輪中継番組の主な主演者 [ ] 元選手(主に解説者として出演)• 過去には、、、、、、、、など。 また、系の中継では、当時現役選手の、現役選手のが解説を行ったことがある。 タレント等(番組の司会やゲストとして出演することもある)• - 同上(「坂上忍の勝たせてあげたいTV」のタイトルで放送、2014年6月15日 - )。 (「坂上忍の勝たせてあげたいTV」レポーター。 のいとこ。 2014年6月15日 -)• (「坂上忍の勝たせてあげたいTV」レポーター 2014年6月15日 -2017年)• (パンサーの「競輪、はじめました。 」出演)• (パンサーの「競輪、はじめました。 」seasonII途中2017年7月から2019年3月まで出演)• (弥彦競輪解説者)• (大垣競輪解説者)• - KEIRINグランプリ中継で毎年ゲストとして招かれている。 過去には、、、、、、、、、、など。 新聞記者などマスコミ関係者• (コンドル出版社専務取締役。 小倉競輪中継解説者)• (競輪実況フリーアナウンサー。 高知ミッドナイト競輪中継でのみ、実況に加え解説も行っている)• (スポーツニッポン記者。 北日本、関東、南関東地区で開催される、グレードレース開催中継の概ね初日に出演)• (前橋競輪マスコミ研究会メンバー。 前橋競輪中継解説者)• (記者。 ()解説者)• 過去には、など。 リポーター・インタビュアー・司会• 過去には、、など。 ラジオ [ ] 初めてのラジオ中継は、にが行った、からの実況中継。 当時、審判塔の上に放送席を設けて中継を行った。 これが好評で、その後は全国各地で中継が行われるようになった。 ラジオでは主に「KEIRINグランプリ」やGIの決勝戦を中心に放送しており、一部は全国ネットしている。 番組はが制作することが多いが、2009年まではも制作していた(番組タイトルは「」)。 これはTBSラジオで競輪提供の番組を放送しているためと考えられる。 近年は中継されない事が殆どになっていて、2019年はKEIRINグランプリシリーズ以外は全く放送されなかった。 実況 [ ] RFラジオ日本 [ ]• 過去には 、 (現在はフリー)など TBSラジオ [ ]• ネット配信 [ ] 競輪主催者が直接手掛けるネット配信サービスとしては、に開設された「」がある。 当初は単独サービスとして開設されたが、2017年4月に競輪公式サイト(KEIRIN. JP)がリニューアルされたのに伴い、公式サイトのサービスの一部として統合された。 またにおいては、競輪場単位で独自の公式チャンネルを開設し、レース映像の生配信を行っているケースが多い。 では、より・の2人をパーソナリティとした独自番組として「本気の競輪TV」を制作しており、主にGP・G1レースの際にニコニコ生放送・YouTubeLiveにて生配信される。 4月より、が子会社のを通じて車券のに参入したことに伴い、内に「」が開設された。 原則としてWinTicketの取り扱いのある競輪場の競走を生配信するほか、については独自の中継番組として「WinTicket ミッドナイト競輪」を配信している。 実況映像については、原則として各競輪場が制作しているものをレース部分のみ使用している。 競輪の歴代イメージキャラクター [ ] 主にテレビCMに出演。 他に、現役競輪選手をその年度のテレビCMに起用するなどの例 もあった。 の中村との柳は、当年度のGI・GIIの表彰式プレゼンターをほぼ全て務めた(は「ローズカップ」)。 (1993 - 1996)• (1997 - 2000)• ・(2004 - 2005)• ・(2010)• ・・(2011 - 2012)• (2013)• 2013年度は・・・らがスポット出演• (2014)• (2015)• ・(2016)• ・(2017)• オードリー(2018) キャンペーンガール [ ] 競輪場によっては、広報活動のためのが存在するところもある。 主な活動としては、重賞競走などでラウンドガールや、優勝選手への花束贈呈などの表彰式の演出を行ったり、イベントなどで競輪ファンと交流をしたりすることなどがある。 中には自転車競技の魅力を伝えるために、彼女らによる競輪や自転車競技の模擬レースが行われることもある。 競輪の主なキャンペーンガール• すぴRitz() - 男女問わず選手育成を目標とした「CLUB SPIRITS」へ移行• LOVE9()• サンサンガールズ()• chao()• スペースエンジェルズ( 旧・SUN FLOWERS ) 競輪をテーマにした作品 [ ] 漫画 [ ]• () - 番外編「ケイリンチャレンジ編」が該当• Odds -オッズ-• Odds plus 1• Odds GP! Odds "VERSUS! ギャンブルレーサー• 二輪乃書ギャンブルレーサー• ギャンブルレーサー第二の人生 セカンドレーサー• 、(原作・、画・)• () - で連載• () - で連載• () - 女性漫画誌で連載• ケイリン野郎 周と和美のラブストーリー• ケイリン野郎GP• () - 主人公は女子選手(作中では、同一レースで男女が混合して出走)• () - 主人公は選手• (原作・、画・)• (原作・、画・)• (画・、作・)• (画・、原案・) 小説 [ ]• グランプリ() ドラマ [ ]• (主演:) - 1977年から1978年まで系列で放映されたドラマ。 主人公はケガからの復帰を目指す競輪選手。 シリーズ(主演:) - 全2作。 1996年から1997年にかけて枠で放映。 主人公は全国を転戦する大好きの競輪選手。 ただ、内容は競輪選手が遠征先で起こった殺人事件の犯人を推理・解決する、というであった。 (主演:) - 2013年にで放送された単発ドラマ。 (主演:) - 2016年にで放送された連続ローカルドラマ。 競輪発祥の地、小倉が舞台。 2018年にドラマを再構成した映画が公開された。 映画 [ ]• - 、。 主演:• - 、。 主演:• - 、。 主演:• - 、。 主演:• - 、(配給:)。 主演: 脚注 [ ] [] 注釈 [ ]• 競輪では「斡旋」とは書かず「あっせん」と平仮名表記である。 それに倣い、以下「あっせん」で統一。 でに放送された・第5話で、競輪の収益金を計算機開発資金の一部に回すよう、佐橋滋のモデルとなった、主人公の風越信吾が働きかけるシーンが放送された。 A級の選手については、半年毎の入れ替えの他にも、完全優勝(出場全レースを勝っての優勝)を3開催連続(最低9連勝)することで、3班選手は2班に昇格する特別昇班、1・2班選手はS級2班に昇格する特別昇級の制度や、年に2回開催されるレインボーカップで優勝戦に進出することによる特別昇級の制度がある。 平均競走得点(出走1回あたりの競走得点)から失格点を引いて算出• この時、出場選手の中から施行者側との交渉役となる代表選手を何人か決め、その選手は出場選手を代表して施行者から連絡事項などの伝達を受けたり、緊急事態時には施行者との交渉を行う。 滝澤は「準特別競輪」(現在のGIIに相当)扱いであった第2回寛仁親王牌を制覇している。 からまで4年連続2着であった。 グランドスラムを達成した当年の日本選手権では、ゴール直後に2着選手がガッツポーズと雄たけびを挙げてしまったため、神山自身はその時大きく喜ぶことができなかった。 但し、競輪祭が毎年開催されるようになったのは1963年からであり、そのことを踏まえ、実質的に3つという観点に立つと、やも該当する。 一般のトラックレース用機材では、カーボン製の最高級パーツを使うと100万円を超えることもある。 追い込みの選手は競り合った時に左右の動きに対応しなければならない場面があることから、ハンドル幅を広めにしている。 腕力が強い選手は軽合金のハンドルを曲げてしまうため、鉄製のものを使う。 一般の自転車のクランク軸はほぼ線上にある。 競輪ではとの関係から「ギヤ」が公式表記となっている。 ただし2013年現在、においては時速75km以上で均衡がとれるように設計する規則がある。 それまで滋賀県を本拠所属地としていたなどは、大津びわこ競輪場の閉鎖後、主にやに練習拠点を移した。 ただ、のように所属地は滋賀県のままとし、を練習拠点としている選手もいる。 上記の金山栄治や、に自宅があったなど。 333mまたは335mバンクは51秒以内、400mバンクは60秒以内、500mバンクは68秒以内。 選手が落車すると猛烈な勢いでバンクに身体が擦れ、火傷のような擦過傷ができる。 身内の不幸など急を要する事態であれば、例外的に認められる場合もある。 この場合は施行者を通じて呼び出してもらい、通話中も施行者が立ち会うことになっている。 雨天時は、各車番ごとに色分けされた雨合羽を羽織ってバンクを周回する。 なお、荒天の場合、バンク周回はせず敢闘門の前で一礼だけして選手紹介を終える時もある。 車番連勝車券発売後、6車立て以下だと枠番が全て単枠になり、7賭式移行からは2車複と2枠単が発売されなくなることから6名以下の競走は避けられていた()。 しかし7車立基本の競走が行われるようになったため規則を改正し、7賭式のうち 2枠複と 2枠単を発売せず6車立・5車立にも対応できるようにした()。 誘導員は誘導することが目的であり、展開を確認する必要がなく後ろを振り向かないため、審判団がレースの流れを見て無線で誘導員にペース配分(「ピッチ上げて」や「スピード緩めて」など)を指示するためにスピーカーが付けてある。 レースに出走する選手の入退場で使用する敢闘門がバックストレッチにある競輪場では、誘導員はホームストレッチ側から入退場する。 東京、神奈川、千葉、埼玉、静岡、愛知、福岡といった同都県内に複数の競輪場がある地区の選手の場合、ホームバンク以外の競輪場でも誘導を行う場合がある。 また、宮城や石川など競輪場のない県を練習拠点とする選手では、隣接県の競輪場で誘導を行う場合もある。 手当の額はレースの格による。 最低は一般戦の3,000円で、最高はで20万円(2014年7月29日付2面「そこが聞キティ」)。 詳細は、KEIRIN. JPサイト内を参照のこと。 までは開設記念競輪は前節・後節とでそれぞれ3日間(計6日間)ずつ行われていたため、トップレーサーの中には、前節では選手としてレースに出走し、後節では決勝戦で誘導員を務める、といった例もあった。 誘導員が退避するまでの周回中に、主にラインの3番手以降の選手が上昇して前を走る別のラインの前に割って入り、その別のラインの動きを封じる戦法。 そのため、レース前の選手コメントは「自力」「取れた位置から」「前々から」などが目立ち殆ど参考にならず、また配当は本命同士の上位人気で堅く収まる(「力車券」と呼ばれる)ことが多い。 現在の倉茂記念杯「昇竜賞」()はこの人物を記念している。 当時はGHQの許可が下りなければ、国会での立法審議に入れなかった。 当時のマスコミは「騒擾事件」という表記を使用していた。 『競』の字は古くは「けい」と読まれており、『』は明治時代に始まったことから「けいば」と呼ばれた一方、『競輪』や『』は戦後の発祥であるため「きょうわ」・「きょうりん」、「きょうてい」と呼ばれた。 ちなみに『』は一般的には「きょうばい」と読まれるが、法律用語では「けいばい」と読まれている。 競技規則73条 3 には「打鐘を誤って鳴らした場合は競走不成立」とあるが、主催者側はレースを続行した。 誤打鐘直後から場内は騒然となり、観客から怒号も起きていた。 レース終了後は怒号が飛び交う中で優勝選手への表彰式も行われたが、優勝選手がスタンドへ投げ入れたボールも投げ返されるなどした。 表彰式終了後も観客の怒りは収まらず、一部のファンが競輪場内に立て篭もり、主催者側は機動隊を動員して21時ごろにようやく沈静化したが、競技規則を順守せず競走不成立にするなどの措置をとらなかった主催者サイドへ怒りを露わにしていた。 競輪の年度別売上で過去最高だったのは、の1兆9553万4012万4900円だった。 それ以外のグレードレース(GI・GII・GIII においても、かつては平日(火曜日が多かった)に最終日(決勝戦)としていたが、現在は在宅率の高い日曜日ないし祝日に最終日(決勝戦)とするスケジュールを組んでいる。 この2選手はそのあと中止となった静岡での第74回日本選手権競輪にあっせんされていたため、都合4開催連続(実質2か月分の配分)で中止の憂き目に遭っている。 但し、やのようにを優先する地域では放送されないことが多かった。 TXN系列局がない地域では、従来からいずれかの既存の民間放送局が中継していた。 古舘は一時期KEIRINイメージキャラクターを務めていたことがあり、のからのまでGI決勝戦の実況も担当した。 但しこれらは、として『への道』や『自転車レース! 熱き夢への挑戦』などといったタイトルで放送されており、レース中継はその特別番組に内包される形で放送された。 現在の日本テレビ系列は『』のタイトルに統一している。 過去には、地方のローカルCMで現役競輪選手を出演させたり(など)や、時のの生徒を起用して寺の修行僧に見立てて廊下の拭き掃除からレースに結び付けたCMなどもあった。 出典 [ ]• 、32頁。 、33頁。 KEIRIN. 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