スペイン 風邪 の 終息。 日本はパンデミックをいかに乗り越えたか~100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓(古谷経衡)

新型コロナウイルスと「スペイン風邪」の比較によって、“怪しげな統計”に基づく数字がひとり歩きしている

スペイン 風邪 の 終息

スペイン風邪で亡くなった人の供養のために建立された丹後大仏(京都府伊根町) およそ100年前、1918年から20年にかけて全世界で大流行したスペイン風邪は日本でも猛威を振るった。 ほぼ収束した後に再び流行が起こり、国内の累計の患者は2千数百万人、死者は38万人を超え、関西でも多くの人が亡くなった。 京都や大阪には供養や慰霊のために建てられた仏像や碑が残り、当時の衝撃を今に伝えている。 京都府の丹後半島北東部、船の収納庫の上に住居がある舟屋の建物群で有名な伊根町の山麓に丹後大仏と呼ばれる石仏がある。 像の高さは約2メートル、台座を含めると約4メートル。 この阿弥陀如来坐像は19年1月ごろにスペイン風邪で亡くなった地元の人たちを供養するために建立されたものだ。 当時、伊根町筒川地区に筒川製糸場という製糸工場があった。 生糸は当時の重要な輸出品で、01年に設立された同工場では最盛期に160人以上の若い女性が働いていた。 09年に火災で全焼した工場が18年に再建され、慰労と研さんのために19年1月、従業員の旅行が企画された。 100人以上が申し込み、京都から名古屋、横浜、東京などを10日間かけて巡った。 生糸は当時、主に横浜港から輸出されており、製糸関連施設の見学などをしたようだ。 ところが、帰路、伊根に近い宮津で参加者が次々に発症する。 当時の記録に「宮津町ニ帰着シタル一月二十二日ノ夜(中略)悪性感冒ハ可憐(かれん)ノ女工ニマデ襲ヒ寄リ……」という記述がある。 看病むなしく11人が亡くなった。 この時の流行によって筒川地域では工場従業員ら約40人が亡くなったという。 地元寺院の住職らの発案で鎌倉の大仏を模した青銅製の仏像が建立された。 その後、戦時中の金属類供出で仏像は失われてしまったが、終戦前の45年4月、石仏が再建された。 人口の少ない地域で大勢の若者が亡くなったショックは大きかったのだろう。 地区長を務めた奥野良一さんは「一昨年まで4月の花祭りの日に供養の法要をしてきた。 高齢化で継続が難しくなったが、地域の歴史を伝える石仏だ」と話す。 建立したのは大阪・道修町で薬種業を営んでいた小西久兵衛・吉栄夫妻。 栄養剤の販売で財を成した小西氏は神社に拝殿や鳥居などを寄進しているが、この慰霊碑を建立した経緯は不明だ。 同氏が29年に設立した大阪女子商業学校(現あべの翔学高校)を運営する学校法人朝陽学院は創立100年に向け、小西氏の足跡を調べている。 楠嶺順功(まさのり)事務局次長は「一心寺の慰霊碑については記録がなく、わかっていない。 地域の名士だったので様々な依頼が来たのではないか」と語る。 大流行の異常事態は当時の記事にも表れている。 神戸で明治から戦前まで発行されていた神戸又新(ゆうしん)日報の18年11月の紙面には「野焼を望む喪家 遺骸の野曝(ざら)しに懲りて」「屍骸(しがい)の鉄道輸送 神戸駅から日に五六柩」という記事がある。 スペイン風邪は第1次世界大戦の戦勝ムードがあったためか、悲惨さを後世に伝える記録が少ない。 収束後に再び襲ってきた大流行を今こそ教訓にしたい。 (編集委員 堀田昇吾).

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スペイン風邪はなぜ終息したのか?世界最大のパンデミックを引き起こした強力なウイルスが地球上から姿を消した三つの理由

スペイン 風邪 の 終息

2020年1月以降の()は一向に衰える気配を見せず、全世界で流行の拡大が続いています。 現在世界で感染者数は53万人を超え、亡くなった人も2万4千人を超えています。 ヨーロッパやアメリカでは「緊急事態宣言」が各地で出され、「外出禁止令」や「都市封鎖(ロックダウン)」が実施されています。 大阪府と兵庫県では、3月下旬の3連休における大阪府と兵庫県の間の「外出自粛要請」がありました。 3月26日、東京都の小池知事は新型コロナウイルス肺炎感染者数の2日連続40人超えの「オーバーシュート」(爆発的な感染拡大)を受けて、「4月12日までの不要不急の外出自粛要請」を出しました。 また同日夜、東京都と近隣4県の知事は「外出自粛要請の共同メッセージ」を出しました。 「新型コロナウイルス肺炎」の大流行はいつまで続くのか?また、自粛はいつまで続くのか?先が見えない不安が続きますが、過去の「サーズ」「マーズ」「スペイン風邪」などの「パンデミック」はどのようにして収束したのでしょうか? 今回はこれについて考えてみたいと思います。 なお、「収束」と「終息」というよく似た言葉がありますが、「収束」は「物事の混乱していた状態が、 一旦落ち着くこと」で、「終息」は「物事が 完全に終わること」という意味です。 1.「サーズ(SARS 」の大流行と収束 (1)流行期間 「サーズ」は2002年11月16日の中国広東省仏山市報告での症例に始まり、台湾の症例を最後に患者が発生しなくなったため、2003年7月5日にWHOが「終息宣言」を出しています。 WHOは、2003年3月12日に全世界に向けて「異型肺炎の流行に関する注意喚起」を出し、本格的調査を開始しました。 2003年3月15日には、原因不明の重症呼吸器疾患としてsevere acute respiratory syndrome SARS と名付け、「世界規模の健康上の脅威」として異例となる旅行に関する勧告を発表する措置を取っています。 この時点ではまだウイルスは特定されておらず、2003年4月16日に「新型のSARSコロナウイルス」であると特定されました。 (2)収束の経緯と理由 収束の根本的な理由は、「感染源を特定して排除したこと」であるとされています。 SARSの感染源は、中国の一部で食用として狩猟されている「ハクビシン」が感染源であったと推定され、「ハクビシンを市場から排除」した途端に感染が止まり、SARSは収束したとされています。 そして「すでに感染している患者を隔離」することによって、最後の患者が隔離されてから平均の潜伏期間の2倍にあたる20日が過ぎても新たな症例が発生しなかったことから、2003年7月5日にWHOが「終息宣言」を出したのです。 ただし、ハクビシンのほかにも、コウモリやタヌキなど野生動物の多くがサーズコロナウイルスに近いコロナウイルスを持っていますので、これらも感染源として疑われています。 (3)潜伏期間と患者数・死者数 潜伏期間は2~10日です。 なお、SARSは発症前の患者から感染することはないとされています。 これが現在世界中に感染拡大している「新型コロナウイルス肺炎(covid-19)」と大きく異なるところです。 患者数は、8098人で死者数は774人でした。 2.「マーズ(MERS 」の大流行と収束 (1)流行期間 「マーズ」は、SARSや武漢の新型コロナウイルス肺炎と異なり、発生から数か月で一気に広まったわけではなく、発見から数年かけてじわじわと広まったものです。 しかも、現在MERSがなくなったわけではなく、依然として存在しているウイルスです。 MERSが初めて発見されたのは、2012年9月の報告です。 この報告によると、感染者はサウジアラビアのジェッダで2012年6月13日に入院し、2012年6月24日に死亡しています。 その翌年の2013年5月に、Middle East respiratory syndrome coronavirus MERS と名付けられています。 2013年7月17日に、WHOは「感染拡大が懸念される状況ではないが、十分な警戒が必要である」と発表しています。 その後じわじわと感染は広がって行きますが、感染が一気に拡大したのは2015年の韓国です。 2015年5月20日に、韓国京畿道平沢市のMERS感染が確定した患者(中東に渡航歴がある人でした)が入院していた病院で、エアコンを通じて「院内感染」が発生し、韓国国内に感染が広がりました。 韓国政府は2015年7月28日に「MERS終息宣言」を発表しましたが、10月12日に完治した患者が再び陽性判定を受けたため、WHOは終息宣言を延期しました。 2015年12月23日、韓国政府は「WHO基準に基づくMERS終息宣言」を出し、韓国におけるMERSの流行は終わりを迎えました。 (2)収束の経緯と理由 感染源とされているのは、「ヒトコブラクダ」です。 MERSに感染したヒトコブラクダとの直接的または間接的接触を通じて感染します。 そして人から人へと感染が広がります。 MERSは「患者を隔離して管理する」ことで、人から人へと感染が防止でき、時間の経過とともに収束を迎えています。 (3)潜伏期間と患者数・死者数 潜伏期間は2~14日(中央値は5日程度)です。 韓国における患者数は186人、死者数は38人でした。 世界での感染者数は、2020年1月27日現在で患者数は約2490人、死者数は約850人です。 3.「スペイン風邪(Spanish flu)」の大流行と収束 (1)流行期間 1918年1月から1920年12月まで世界中で大流行したパンデミックで、「20世紀最悪のパンデミック」と呼ばれており、人類史上最悪の伝染病の一つです。 ウイルスは「インフルエンザAのH1N1株」です。 現在見られる季節性インフルエンザの一つの株は、このウイルスが変異したものです。 感染源は、アメリカ・カンザス州のファンストン陸軍基地の兵営からではないかと言われています。 当時は第一次世界大戦の真っ最中で、ドイツが無制限潜水艦作戦によって中立国だったアメリカの商船を撃沈しました。 この出来事がアメリカの参戦を促し、アメリカはヨーロッパに大規模な派遣軍を送ることになります。 こうしてアメリカ軍の欧州派遣で世界中にばら撒かれることになったスペイン風邪ですが、船舶による軍隊の移動によって、軍隊が駐屯する都市や農村から、その地の民間人にまで広まりました。 スペイン風邪の感染の波は数回にわたって起こりました。 第一波は1918年3月にアメリカのデトロイトやサウスカロライナ州付近で発生し、米軍の欧州進軍とともに大西洋を渡り、5~6月にヨーロッパで大流行しましたが、WHOは「特に致命的なものではない」と説明していました。 第二波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、病原性がさらに強まり重篤な合併症を引き起こして死者が急増しました。 しかし春になって気温が上昇すると一旦収束しました。 第三波は1919年春から秋にかけて世界中で大流行しました。 この時は、最初に医師・看護師の感染者が多く発生したため「医療体制の崩壊」が起き、感染被害を拡大させることになりました。 しかしこの時も翌年春になって気温が上昇すると収束に向かいました。 (2)収束の経緯と理由 当時は「抗インフルエンザ薬」も「ワクチン」もない時代でした。 感染拡大予防策は「患者の隔離」「個人の衛生管理と消毒」「学校閉鎖」「集会やイベントの禁止」ぐらいしかありませんでしたが、春になって気温が上昇すると自然に収束して行ったようです。 それに加えて、スペイン風邪に感染したあと生き残った人には「免疫」が出来たこともあると思います。 なお1888年以前に生まれた人(当時30代以上の人)の多くはこのスペイン風邪と同じ種類のインフルエンザウイルスを子供のころに経験(曝露)していて「免疫」が出来ていたそうです。 (3)潜伏期間と患者数・死者数 潜伏期間については、はっきりしたことはわかりません。 患者数は全世界で約5億人で、死者数は5千万人~1億人に上りました。 当時の世界の人口は約16億人でしたので、人類の約3分の1が感染したことになります。 しかも致死率が10~20%と極めて高いものでした。 死亡例の多くは発症から48時間以内に死に至っています。 スペイン風邪による死者は、幼児・高齢者・体の弱った人もいましたが、特に15~35歳の若年層に多かったのが特徴です。 この原因は、1888年以前に生まれた人の多くはこのスペイン風邪と同じ種類のインフルエンザウイルスを子供のころに経験(曝露)していて「免疫」が出来ていたためだそうです。 第一次大戦による死者数が約1600万人、第二次大戦による死者数が約5000万人~8000万人ですから、スペイン風邪は世界大戦を上回る犠牲者を出したことになります。 ちなみに日本(当時の人口は約5500万人)では、感染率42%で、約45万人が亡くなっています。 (4)日本の内務省衛生局の予防法の呼びかけ 2019年1月には、内務省衛生局が国民大衆向けに「流行性感冒予防(はやりかぜよぼう)心得(こころゑ)」を出しています。 「咳 せき や嚏 くしゃみ をすると眼 め にも見えない程微細 こまか な泡沫 とばしり が三、四尺周囲 まわり に吹き飛ばされ夫 そ れを吸ひ込んだ者は此病 このやまひ に罹 かゝ る」と説明し、予防法を記しています。 「病人又 また は病人らしい者、咳する者には近寄つてはならぬ」 「沢山 たくさん 人の集つて居 い る所に立ち入るな」 「鼻、口、を「ハンケチ」手拭 てぬぐひ などで軽く被 おほ ひなさい」 100年前の「スペイン風邪」予防法も、現在の「新型コロナウイルス肺炎」の予防対策と基本的に変わっていませんね。 (5)「スペイン風邪」と命名された由来 アメリカが発生源なのに、なぜ「スペイン風邪」と呼ばれるのか不思議ですよね。 多くの人はスペインが発生源と誤解しているのではないかと思います。 これは、第一次世界大戦当時スペインがヨーロッパの中で数少ない「中立国」で、「戦時報道統制」の外にあったことが背景にあります。 「この新型ウイルスの感染と惨状が、スペインから世界に発信された」ことが原因です。 スペインでは約800万人が感染し、国王アルフォンソ13世や政府関係者も感染しています。 日本では当初、「スペインで奇病流行」と報道されました。 現在猛威を振るっている「新型コロナウイルス肺炎(covid-19)」は中国・武漢から発生しましたが、しているのは、この「スペイン風邪」のことが頭にあるからかもしれません。

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日本はパンデミックをいかに乗り越えたか~100年前のパンデミック・スペイン風邪の教訓(古谷経衡)

スペイン 風邪 の 終息

スペインかぜ( スペイン風邪、: Spanish Flu influenza )は、(7年)-(9年)に世界各国で極めて多くの死者を出したによるの俗称である。 時にであったためがされていなかったでの流行が大きく報じられたことに由来する(スペインが発生源という訳ではない)。 1918年パンデミックとも呼ばれる。 1月から12月までに世界中で5億人が感染した とされ、これは当時の世界人口の4分の1程度に相当する。 その中にはの孤島やの人々も含まれた。 死者数は1,700万人 から5000万人との推計が多く、1億人に達した可能性も指摘されるなど人類史上最悪の感染症の1つである。 ではパンデミックの最初の年にが約12歳低下した。 近年の研究により、スペインかぜはインフルエンザウイルスによるものと判明した。 H1N1によるは、スペインかぜと の2回である。 概要 [ ] 中の士気維持のため、、、、での病状や死亡の初期報告はにより最小限に抑えられた。 一方で中立国における伝染病の影響は自由に報道され 、の重病を初めとする多数の記事はスペインが特に大きな被害を受けたという誤った印象を生み出した。 ここから「スペインかぜ」という呼称が広まった。 しかし歴史的・疫学的データは、地理的起源を確実に特定するには不十分であり 、その起源には諸説ある(後述)。 ほとんどのの流行では、死者がとに偏り、その中間の年齢層の生存率は高いが、スペインかぜでは若年成人の死亡率がその他のインフルエンザと比較して高かった。 科学者たちは、1918年のインフルエンザ大流行の死亡率の高さについて、いくつかの可能性のある説明を提示している。 いくつかの分析は、がを引き起こし、強い致死性を得ることを示している(サイトカインストーム)。 サイトカインストームは、若年成人の強い免疫システムを破壊する。 これとは対照的に、パンデミック期以降の医学誌に対する2007年の分析では、スペインかぜのウイルス感染は、以前のインフルエンザ株よりも攻撃的ではなかったことが判明した。 その代わり、栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態が、細菌性の重複感染を促進していた。 ほとんどの犠牲者は、この重複感染が死因であり、重篤期間はやや長期化することが多かった。 表記 [ ] PSIカテゴリー スペインかぜと表記されることが多いが 、などでは スペインインフルエンザと表記する。 スパニッシュインフルエンザ(英語のSpanish Fluより)と表記されることもある。 当時の日本では(インフルエンザの総称である)「 流行性感冒(かんぼう)」とも表記された。 起源 [ ] スペインかぜ(1918年パンデミック)の起源については諸説あるが、いずれも仮説の域を出ていない。 フランス [ ] ウイルス学者 ()は、1918年パンデミックの起源を第一次世界大戦中フランスの ()に存在した大規模なイギリス陸軍の駐屯地と推定している。 オックスフォードの研究によれば、エタプル駐屯地では1916年末にスペインかぜと症状が類似する致死率の高い新種の病気が流行し 、その後1917年3月にはイギリス本土のにある陸軍の兵営でも同様の流行が発生しており 、イギリス軍の病理学者はのちにエタプルおよびオールダーショットで流行した病気が1918年のスペインかぜと同一のものであったと結論づけている。 オックスフォードはエタプル駐屯地について、常に約10万人の兵士が密集した状態で存在しただけでなく、敷地内に大規模なの飼育所があり、周辺の市場から生きたや、が持ち込まれていたなど、呼吸器系ウイルスが流行するためには理想的な環境であったと指摘している。 北米 [ ] アメリカ合衆国は複数の研究者によってスペインかぜの起源と考えられている。 歴史学者は1918年パンデミックがアメリカのに起源を持つと述べている。 同様に、 ()はカンザス州ので1918年1月に発生した病気の流行がスペインかぜの起源であるとしている。 CDC は、アメリカではとに既にインフルエンザと肺炎による死亡率の急増が見られていたと指摘する一方で、この現象と1918年パンデミックとの関連性は不明としており、パンデミックの地理的な発生源を特定するには歴史的・疫学的なデータが不足していると述べている。 他に、ののがのブタに感染したとの推定もある。 中国 [ ] のウイルス研究者クロード・アヌーン Claude Hannoun は1993年、スペインかぜのウイルスは中国からもたらされた可能性が高いと主張した。 アヌーンは、中国に由来するウイルスがアメリカのボストン近郊で変異したのち、フランスのに渡ってヨーロッパ全域に広まり、その後の兵士を主な媒介者として全世界に広まったとの見解を示した。 歴史家マーク・ハンフリーズ Mark Humphries は、第一次世界大戦中イギリス・フランス軍後方での作業に約9万6000人の中国人労働者が動員されたことが1918年パンデミックを引き起こした可能性があると述べている。 ハンフリーズによれば、1917年11月に中国北部で流行した呼吸器系の病気はのちに中国当局者によってスペインかぜと同一のものと確認されている。 進化生物学者マイケル・ウォロビー Michael Worobey が中心となった研究チームは2019年、スペインかぜの中国人労働者起源説に対する反証を示した。 ウォロビーらは、ヨーロッパに渡った中国人労働者の間でインフルエンザの症例が報告された時期は同地点の他の集団に対して遅れているなどの理由を挙げ、彼らが最初の感染源であった可能性は低いと指摘した。 近年のコンピューター解析によって、1918年型インフルエンザウイルスのが頃に発生したことが判明している。 経緯 [ ] 起源に諸説あることから、必然的に経緯も諸説ある。 以下は諸説の1例に過ぎないと考えるべきである。 スペインかぜは、記録にある限り人類が遭遇した最初のインフルエンザの大流行()である。 第1波は1918年3月にアメリカのや付近などで最初の流行があり 、のヨーロッパ進軍と共にを渡り、5月から6月にで流行した。 第2波は1918年秋にほぼ世界中で同時に起こり、がさらに強まり重篤なを起こし死者が急増した。 第3波は1919年春から秋にかけて、第2波と同じくで流行した。 さらに、最初に・の感染者が多く、してしまったため、感染被害が拡大した。 この経緯を教訓とし、の際にはを医療従事者に優先接種することとなった。 世界規模で猛威を振るったスペインかぜであるが、世界規模に広がったことにより、死者も甚大になった一方で、生き残った人はを獲得して、を形成することによって、感染者の減少へと繋がって収束した。 被害状況 [ ] マスクをつけるの女性たち。 当時の世界人口は18億人から20億人と推定されている。 世界全体の推定死者数は1700万人から1億人と幅がある。 アメリカでも50万人が死亡したとされる。 これらの数値はのみならずやなどすべてのの死因の中でも、最も多くのヒトを短期間でに至らしめた記録的なものである。 日本 [ ] 日本では4月、当時にて巡業していたなどの力士3人が謎の感染症で急死。 同年5月のでは高熱などにより全休する力士が続出したため、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼んでいた。 その後、1918年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していること や、国内でも多くの患者が発生していることが報じられた。 第1回の大流行が10月から3月、第2回が12月から3月、第3回が12月から3月にかけてである。 当時の人口5500万人に対し約2380万人が感染したとされる。 第1回の患者数・死亡者数が最も多い。 第2回では患者数が減少する一方、致死率は上昇している。 第3回の患者数・死亡者数は比較的少数であった。 日本におけるスペインインフルエンザの被害 流行 患者 死者 1918(大正7)年8月-1919(大正8)年7月 2116万8398人 25万7363人 1. は死亡者を約45万人(肺結核、気管支炎等が死因とされていた者を含む) と推計している。 特徴 [ ] スペインかぜはH1N1型が原因とほぼ特定されているにもかかわらず、他のインフルエンザ流行とは異なる特徴がいくつか見られる。 ただし、第1次世界大戦中の流行であり、当時の記録には様々な混乱要素が含まれ得ることを考慮する必要がある。 被害者の年齢層 [ ] 若年成人が死に至りやすい傾向が見られた。 一般にインフルエンザの犠牲者は乳幼児(0—2歳)、高齢者(70歳以上)、者に集中することから、これはスペインかぜの際立った特徴と考えられる。 65歳未満の死亡率は65歳以上の6倍であった。 日本の記録でも同様の傾向が見られた。 若年成人の死亡率の高さについては、スペインかぜのウイルスが引き起こすが若年成人の強い免疫システムを破壊する ことが原因の一説として挙げられている。 妊婦の死亡率が特に高い ことも若年成人の死亡率を高くした要因と見られる。 また、実際にはスペインかぜのほとんどの犠牲者が栄養失調、過密な医療キャンプや病院、劣悪な衛生状態による細菌性のを死因としているとの指摘もあり 、第一次世界大戦による過酷な兵役、軍需産業への動員が若年成人の死亡率を引き上げた可能性もある。 高齢者の死亡率の低さについては、この時代の高齢者は頃に流行した「ロシアかぜ」で免疫を獲得していたのではないかとの説もある。 流行時期 [ ] 夏から秋にかけて大流行した。 一般のインフルエンザの流行ピークは冬季である。 病原体 [ ] 患者の遺体から見つかったゲノムより復元されたスペインかぜウイルス スペインかぜの病原体は、()である。 ただし、当時はまだウイルスの分離技術が十分には確立されておらず、またであるやに対しては病原性を示さなかったことから、その病原体の正体は不明であった。 ヒトのの病原性については、にを用いた実験で証明された。 その後、スペインかぜ流行時に採取された患者中にこの時分離されたウイルスに対するが存在することが判明したため、この頃に流行していたものと類似のインフルエンザウイルスがスペインかぜの病原体であると考えられた。 その後、8月にアメリカ合衆国のより発掘された4遺体から組織検体が採取され、ウイルスが分離されたことによって、ようやくスペインかぜの病原体の正体が明らかとなった。 これにより、H1N1亜型であったことと、ウイルスに由来するものであったことが証明された。 よってスペインかぜは、それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスがし、受容体がヒトに感染する形に変化するようになったものと考えられている。 つまり、当時の人々にとっては全く新しい感染症()であり、ヒトがスペインかぜに対するを持っていなかったことが、の原因になった。 スペインかぜについては、ゲノム解読された遺伝子からウイルスを復元したところ、マウスに壊死性の、出血を伴う中程度から重度の、を引き起こすことが判明した。 このような強い病原性は、ウイルス表面にあるHA(、)が原因である。 また、スペインかぜウイルスは、現在のインフルエンザウイルスよりも30倍も早く増殖する能力を持つことが分かっている(増殖を司る3つのによる)。 通常の流行では小児と老人で死者が多いが、スペインかぜでは若年成人層の死者が多かった点に関して、5月に ()はウイルスによって引き起こされるが原因 であるという仮説を提唱したが、これに反対する説もある。 一方1月に、とが、人工合成したウイルスを用いてで実験した結果では、スペインかぜウイルスには強い致死性のと反応の調節に異常を起こす病原性があることを発表している。 12月に、のなど日米の研究者グループによって、強い病原性を説明する3つの遺伝子を特定したことが発表された。 画像 [ ]• 西班牙流行性感冒を、当時のが西班牙 感冒 ( かぜ )と読ませたからとする出典もある。 病院の1918年のには、病名が流行性感冒と記されていた。 誤解される場合も多いが、は病名ではなくインフルエンザを含む病気の総称としての風邪症候群である。 よって、病名においてこの「かぜ」という名称を使うべきでないと主張する研究者もおり、議論されている [ ]• 2009年7月のでは、のCeder Rapids Swine Festivalを流行の起源としているが、当時豚インフルエンザ様の疾患が豚に大流行していたとの記録からの類推に過ぎない。 かぜのほうが古い記録であるという説もあるが、確証されていない。 第一次世界大戦:戦死者900万、非戦闘員死者1000万、負傷者2200万人。 : 戦死者1500万、軍人負傷者2500万、一般市民の死者数3800万。 控えめな推定。 ただし第一次世界大戦の戦死者には戦闘活動以外による死亡者が多く占め、スペインかぜによる戦病死も含まれていることから、スペインかぜの死亡者と第一次大戦の戦死者には重複がある。 サイトカインストーム説の出所はF・マクファーレン・バーネットの免疫過剰反応説である。 スペイン風邪の第2波でRNAのPB2の627番目がに変わって強毒性となったという。 第1波のアミノ酸が何であったかは不明である。 出典 [ ]• Emerging Infectious Diseases 12 1 : 15—22. 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