発災から2カ月が経とうとしているが、被災地ではまだ手付かずの場所は多い。
「ここに生きる」は、「代々受け継いできた蔵元を同じ場所で再建する」という決意を表した。
人吉球磨地域は、農業が盛んで豊かな食材に恵まれている上、日本で一番のハラールミート供給源として知られているハラール認証工場「ゼンカイミート」もある。
しかし翌日、他の球磨焼酎の蔵元から10数人が片付けを手伝いに訪れ、仲間たちが汗を流す姿を見て、下田さんの思いは少しずつ変化。
母と二人三脚で酒蔵を守ってきた=球磨村 球磨焼酎の蔵元は、小規模経営であることが多い。 人吉・球磨地方では、昔から川に住む神様を「かわんたろ(川太郎)」と呼んできた。
8月下旬、経営者たちの決断、そして球磨川への思いを現地で取材した。
球磨川の恩恵を受けて成立した球磨焼酎産業。
模索しながらも一歩一歩前に進む、地域の人々のたくましさを応援したい。
夜の人吉市中心市街地。
そしてまた水害が発生するということを繰り返してきた」と指摘する。 中身も無事だった。
万が一、発熱などの症状があり不安がある方は、かかりつけ医または 発熱患者専用ダイヤル 0570-096-567)に電話して受診してください。
性別 男性• その時の経験は、焼酎造りにも生かされている。
しかし、住んでいる人からすればそこは大切な土地であり、生業と密接につながっていることもよくある。
リスクのある土地だからと言って、住民全員が引っ越すということは現実的に困難だ。 古くは染物商(紺屋)の町であった同市紺屋町で創業し、140年の歴史を持つ老舗蔵元。 食の多様性に向けた取り組みも、海外への発信など一部見直しとなりましたが、コロナ禍の今こそ強み作りに励む時期。
14さらに、今や社会問題となっているフードロス対策も考慮して、量が多すぎると言われることがある旅館の食事に、アラカルトやショートコースを取り入れることも提案していくという。 そんな利点を活かして、先駆けてムスリム対応に取り組んできたのが、有村氏の旅館「あゆの里」だった。
人とのつながりが多くなると、困ったときに助けてもらえる仲間を持てます。
夜、通りを歩くとかつての賑わいが嘘のようにひっそりとしている。
その後もさらに高齢化率は上昇し、2040年には45. その後も水位は上昇し、2階にまで達しようとしていた。
医療法人有隣会伊敷病院に勤務後、2012年より医療法人精翠会吉田病院に勤務 地域連携医長。 向かいの建物にたどり着いた時には、水は胸の高さまで急激に上昇していた。
6防災無線から「山田川が決壊した」と「聞こえたような気がした」(将義さん)。 これから年末年始を迎え、人の移動や会食の機会が増える時期となります。
日本では乾物を使った郷土料理のレシピが数多くあるし、調理法ひとつで旨みの幅を持たせることができる」と、自らの経験を踏まえたアドバイスを提供した。
性別 男性• 「まだ上がるぞ」。
しかし、時間が経つと人間は忘れてしまう。
同蔵元が生産した焼酎の6割ほどが人吉・球磨地方で消費されており、県外での流通量はごくわずか。 机はひっくり返り、書類はすべて水に落ちた。
「焼酎離れ」が叫ばれる昨今。
人吉球磨観光地域づくり協議会・広域観光係の山冨功一氏は、「観光客が激減し、地域の観光業はもちろん大きな打撃を受けました。
民間企業として人吉球磨観光地域づくり協議会に参画し、国外誘客担当理事を務めるのが人吉市の旅館「あゆの里」若女将、有村友美氏だ。
災害を乗り越え、新たな「人吉球磨モデル」を描こうと奮闘する、人吉球磨地域の動きを追った。
20数年前に経営を引き継いだ後も二人三脚で蔵を経営し続けた。 豪雨災害のため不通となっているJR肥薩線の線路をくぐってすぐの場所に、渕田酒造本店の建物はあった。 それなら一施設だけでなく地域全体で取り組んでみてはどうかと。
20「これはだめだ」。
年商数千万円規模の渕田酒造本店も、その一つだ。
「観測史上最高の水位まで上昇した球磨川には多くの土砂が流れ込み、観光資源のひとつであるラフティングも休止。
「これまでに何度も水が来ているのだから、いずれ移転せねば」と考えていた矢先の災害だった。
玄米の焼酎に「川の神(かわんかみ)」、梅酒に「ここに生きる」と名付けた=人吉市 当時の自身の思考、感情をゆっくりと思い出した下田さんは、玄米の焼酎に「川の神(かわんかみ)」、梅酒に「ここに生きる」と名付けることにした。
125代目で社長の渕田将義さん(63)が取材に応じてくれた。
1階の飲食店のほとんどは、現在も復旧作業中だ。
下田さんは「奇跡としか言いようがない」と驚きを隠さない=人吉市 「これらを何と名付けよう」。
将義さんは「ここで再建しようとは思っていない」と胸の内明かす。
「味は割とハッキリさせた方がよいが、基礎調味料に頼らずに旨みを積み重ねていくといい」と、素材の旨みを引き出す手法として大豆の燻製方法なども手ほどき。 さあ、コロナが終わりに向かい始めました。
19官民の若手を中心とする組織ですが、民間主導でビジョンを設定し、主体性と継続性を持って活動をしていくというのが大きな特徴だと思います」。 自然と共生しつつ、いかにして文化を残していくか。
毎年、梅雨や台風の時期は不安で仕方がなかった。
そこでプロジェクトでは、食の多様性対応と並行して、富裕層にもアプローチできるようなツアー商品の造成を進めている。
食の力を、今後の地域デザインにも役立てていけたらと思っています。