今すぐ会いたい 歌詞 西野カナ。 もっと・・・ 西野カナ 歌詞情報

うたまっぷ歌詞検索/歌手:西野カナ/歌詞一覧

今すぐ会いたい 歌詞 西野カナ

共感しやすいリアルな歌詞や、切なく透き通った歌声が魅力的なアーティスト「西野カナ」。 デビュー10周年となる2018年には全国ツアーも果たし、今では特に若い女性からカリスマ的存在として、絶大な人気を獲得しています。 そこで今回はAWAで聴ける楽曲の中から、西野カナの魅力的な作品をまとめてみました! 以下でご紹介する作品をチェックすれば、彼女の魅力的な世界観を堪能できるはず。 特に友情ソングや恋愛ソングを探している方は、ぜひ最後までチェックしてみて下さい! 友情ソングやラブソングに! 西野カナの心を温めてくれる名曲8選 大切な友達への想いが綴られた、まさに友情ソングと言える楽曲です。 友達の声に励まされた話やメールに救われた話など、具体的なエピソードが詰まっている作品なので、特に10代~20代の方は共感しやすいはず。 感謝を伝えやすい曲であるため、友達とカラオケに行った時などに歌ってみてはいかがでしょうか? 聴きやすく、そして覚えやすいメロディーも魅力的なポイントです。 幸せに過ごすカップルの、出会った頃から現在までのエピソードが綴られた恋愛ソング。 最初は特に意識していなかったものの、今では「私のほうが好き」と言えるほど、愛が育っていった温かいストーリーが描かれています。 温もりを感じられる歌詞はもちろん、聴きやすくほっとするようなメロディーもこの曲の大きな魅力。 流し聴きするだけでも、心を落ち着けてくれるような1曲でしょう! 大切な恋人への愛情が、女性目線から綴られた温かい作品。 曲中では「ねぇ Darling」と、恋人に優しく語りかけるようなフレーズが多く、聴いているとほっこりとするような楽曲に仕上げられています。 メロディーが非常に優しく、心を穏やかにしてくれる点も魅力的なポイント。 ストレートな愛情表現が多いので、普段恥ずかしくて想いを伝えられていない女性は、恋人の前で歌ってみてはいかがでしょうか? 大切な恋人に向けて、自分の性格をまとめた「取扱説明書 トリセツ 」が綴られている作品。 各フレーズには「大切にして欲しい」という気持ちが詰まっており、メロディーも含めて温かみを感じられる1曲に仕上げられています! 女性ならではの想いが綴られているので、特に現在恋愛中の女性であれば、共感できるフレーズも多いはず。 パートナーに恋愛ソングとして贈ってみると、スムーズに自分の想いを伝えられる可能性もあるでしょう。 遠距離恋愛をしている女性の心情が描かれた、切なさいっぱいの楽曲です。 切ないフレーズもありますが、「目を閉じればいつでも君がいるよ」のようにポジティブなフレーズも多いため、遠距離恋愛で悩んでいる女性にはぴったり。 恋愛中の女性を支えてくれるような作品なので、恋愛で勇気をもらいたい人におすすめしたい1曲です。 主人公の女性が、大切な恋人の好きなところをいくつも並べている、心が温まる恋愛ソング。 メロディーも乙女チックで可愛らしく、恋をする女性らしさが存分に表現された1曲です。 大切なパートナーに対して、ストレートに愛情を伝えられなかったり、つい喧嘩してしまったりなど、なかなか素直になれない場面は少なくないはず。 そんな悩みを抱えている女性は、この曲を恋人に贈ってみてはいかがでしょうか? 助け合いの大切さがわかる、人の温もりを感じられる作品です。 歌詞中では、かつて「君」の言葉に救われた「私」が、次は自分が支える立場として優しい言葉をかける物語が綴られています! また、メロディーも全体的にゆったりとしているので、聴いていると優しさに包まれるような感覚に浸れるでしょう。 卒業ソングや、遠くに行ってしまう友達に贈る曲としてもおすすめな1曲です。 「最近良いことないな…」など、何となく気分が乗らない方にぜひおすすめしたい作品です。 主人公が自分自身に「頑張れ!」とエールを送っている楽曲であり、歌詞中にはポジティブなフレーズが散りばめられています! また、アップテンポで気持ち良いリズムを刻んでいるメロディーや、西野カナのウキウキするような歌声も魅力的。 心を楽しくしてくれる1曲なので、気分が沈んでいる方はぜひ聴いてみて下さい! 共感して泣ける…! 西野カナの歌詞が切ないバラード曲7選 偶然降った雨によって出会った、2人の恋愛ストーリーが描かれた作品。 「同じ未来をずっと一緒に見ていたい」など、主人公のストレートな愛情表現が魅力的な楽曲です! バラードとしてはテンポがやや速めですが、サビの部分の情熱的な歌声によって、感動的な雰囲気が演出されています。 パートナーと2人で聴けば、お互いの大切さを再確認できるような楽曲でしょう。 失恋をした女性の、諦めきれない心情を描いた楽曲です。 実際は「別れたくない」と感じていても、いざ別れの時が迫ると相手のことを想って、無理に強がってしまう方もいることでしょう。 この曲はそんな切ない心情を歌った作品であり、失恋から立ち直れない女性の気持ちが細かく表現されています。 また、ボーカルの表現力も高い作品であるため、失恋直後の女性が聴くと自然に涙が流れてくるような1曲でしょう。 違う世界に住んでいた、男の子と女の子の恋愛ストーリーを描いた作品。 心が温まるような可愛らしい物語が綴られており、簡単な言葉で歌詞が構成されているので、子どもが聴く曲としてもぴったりな1曲です。 また、全体的にキラキラとしたサウンドが使われており、夢のような世界観が演出されている点も魅力的。 ラストも感動的なストーリーなので、ぜひ歌詞を読みながら聴いてみて下さい。 NHKドラマ「ガラスの家」の主題歌に選ばれた、2013年発表のシングル曲です。 恋人に別れを告げられたシーンが舞台となっており、歌詞にもメロディーにも切なさが満ちあふれています! 運命を感じていた相手との別れは、誰にとってもなかなか諦めきれないもの。 そんな心情が細かく描かれた作品であり、歌詞中には「十年後も逢えるよ」「偶然でも逢えるよ」のように、悲痛な叫びのようなフレーズがいくつも見られます。 失恋から立ち直れない方は、この曲を聴いて共感しながら、一度思いっきり泣いてみてはいかがでしょうか? 「これぞ失恋ソング」と言えるような、メロディーと歌詞に別れの悲しさが満ちあふれた楽曲。 恋人と離れてしまった主人公の、「今すぐ会いたい」「もっと声が聞きたい」と苦しんでいる様子が、切ない声で歌い上げられています。 ピアノやストリングスも切ない雰囲気を作っていますが、何よりも耳に残るのは西野カナの綺麗な歌声。 歌詞をイメージしながら聴くと、彼女の高い表現力に驚かされることでしょう! 失恋からなかなか立ち直れず、「少しでも早く前に進みたい」と感じている方におすすめしたい1曲。 失恋をした主人公の悲しみが、ストレートな言葉で表現されている作品であり、ひとつの失恋ドラマを観ているような気分にさせられます! 歌詞も魅力的な楽曲ですが、西野カナの透き通った裏声や、感情的な歌声もこの曲の聴きどころ。 彼女の歌声が、切ない雰囲気をより一層引き立てています。 大切な恋人の優しさについ甘えすぎてしまい、離れてから後悔している心情が描かれている作品。 歌詞はもちろん、メロディーにも切なさがあふれている楽曲であり、主人公の気持ちをイメージしながら聴くと自然と涙が流れるような1曲です。 失恋から立ち直れず、現在も気持ちをうまく整理できていない方は、この曲を聴きながら昔を思い返してみてはいかがでしょうか? 最終的には、前向きに進む主人公の姿が描かれているので、この曲が立ち直るきっかけになるかもしれませんよ。 , , , Copyright AWA Co. Ltd. All rights reserved. Apple and the Apple logo, iPhone, Mac, Apple Watch, CarPlay are trademarks of Apple Inc. , registered in the U. and other countries. App Store is a service mark of Apple Inc. Google Play is a trademark of Google Inc. Windows は米国 Microsoft Corporation の米国およびその他の国における登録商標です。 Copyright AWA Co. Ltd. All rights reserved. Apple、Apple ロゴ、iPhone、Mac、Apple TV、iPad、Apple Watch、CarPlayは米国および他の国々で登録された Apple Inc. の商標です。 App Store は Apple Inc. のサービスマークです。 Google Play、Android、Android TV、Android Wear、Android Auto、Chromecastは、Google Inc. の商標または登録商標です。 Windows は米国 Microsoft Corporation の米国およびその他の国における登録商標です。

次の

西野カナ Dear… 歌詞

今すぐ会いたい 歌詞 西野カナ

西野カナというアーティストの歌詞を、マツコデラックスがコメントしたことについて、ネット上で「的確だ」という意見が高まっている様子。 この件について、もう既に数時間悩まされ続けている。 埒が明かないので一旦文字化しておき、もっと理解力や想像力が高まった段階で再考することにしようかと思う。 思考のきっかけになった対象の記事は以下の通り。 「マツコDX兄さんの言うことが的確すぎる件」 「『ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ・・・』なんて詞をどう解釈しろというのよ。 どこに心の機微があるの?「ありがとう」ということを自分なりの言葉に代えて表現することこそが、作詞活動じゃないの? あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね。 あんな三歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、今の若い子たちは共感できないの?そんなに想像力がなくなっているの?あの稚拙な歌詞を見せられて、『小学生の読書感想文じゃないんだぞ』ってツッコミすらできないの? 等身大の思いというのは、いつの世にもあったけど、自分のことを世代の代表として選ばれたアーティストとして自負しているなら、カッコつけようとかプライドがあるはず。 でも、それが西野カナには微塵も感じられないのよ。 彼女だけが問題じゃない。 こんな薄っぺらい歌詞を、何の疑いもなく支持してしまっている女子高生たちの精神構造もわからないのよ。 与えられたものを、何も考えずにそのまま受け入れているだけ。 だから、あんな詞に対して『そうだよね。 わかるぅ。 友達と会えてよかったよね』ってなるのね。 」 確かに、彼女の曲は激しく「ありがとう」「会いたい」という文字列によって網羅されている。 複数の曲の歌詞を読んで衝撃を受けるほどだった。 それはボキャブラリーのなさを露呈しているだけにしか感じられなかった。 薄い、浅い、中身がない、そんな感情しか最初は得られない。 マツコデラックスの指摘は「的確」である。 でも、と考えてみる。 たとえば、ひたすら「会いたい」にこだわることの芸術性について。 先日逝去した榊獏山という書道家がいたが、彼の一文字だけの大書が有名であったりする。 同じ文字ばかりをひたすら書いていたというような話を聴いたことがある。 西野カナもこのままただひたすら「会いたい」をずっと訴え続ければ、それはそれで芸術性は高いと思う。 会いたいという言葉を、いかにあらゆるメロディーとリズムとグルーブに位置づけるかを徹底的に極めてしまうとどうだろうか。 誰も追随できないと思う。 ずっと会えていない人なのだろうから、近くにいない人だと思われるが、自分ならそれを極める前に別のすぐ会える人に会いに行ってしまう。 そこを超えての「会いたい」であれば、もうそれは僧侶的というか、悟りの域なのではないか。 続いて、もしかしたらあえて「自分なりの言葉に置き換えない」ということの芸術性について。 西野カナはある意味、現代の樋口一葉ではないかと思う。 超口語体。 ケータイで話す言葉にメロディーがついただけといった印象。 完全メール語体と言ってもいい。 ストレートで表面的というか、中学生のラブレター的というか、歌が果汁10%位というか。 歌詞は殆ど気にしない自分だけど、この斬新さには驚く。 そのうちTwitterで歌ができそうである。 日常的な普遍性あふれる普段使いの言葉のままの表現の追求が「会いたい」という、どこにでもありそうなこの平凡な言葉に集約されているのなら、濃縮還元の技術があまりに高くなかなか真似できないと思う。 さて、「芸術=人間のための人間的活動」、そう定義したとき、西野カナはこれまでの芸術のポジションよりも野性的な位置にあると思う。 とにかく誰かに会いたいことをストレートに伝えることに専念し、そこに矛盾などない。 だがこれで芸術が爆発したら、人間的であることとは一体何なのだろうか。 いや、芸術という枠内で彼女の歌を考えることが間違っているのだろうか。 もっと裸になって動物的な感覚の必要性を訴えているのかも知れない。 大人たちの古い慣習や、世の中の矛盾や、社会の複雑な因果関係や、感情の交錯・浪費される葛藤をリセットすべきだと。 これは一芸術論的にはありだと思う。 個人的には、そのような風潮・方向性は、中露との外交を考えると「今」には合わないし、受け入れづらいが、それもリセットの対象となるのか。 そうなるとかなり高度な政治性をも含まれてしまう。 ふと、彼女の歌詞を読み返してみる。 理解不能な阿久悠の歌詞でもあったものがない。 歌に織り込まれるのは、日常性であって、非日常性がない、普遍的な毎日の感情のみである。 井上陽水や中島みゆきや槇原敬之の曲にあるストーリー性や余韻のある叙情性について、彼女から同様のものを感じるには、かなり高等な読解力と想像力が必要だと思う。 聴き手に世界観までの創造をも要求する高度な歌だ。 歌は何もきっかけを提示しない。 聴き手にすべて責任を丸投げし、自由という重い負担を与え、イマジネーションの底なしの泥沼に飛び込ませる。 これは今までになかった芸術ではないか。 厚み・深み・きっかけ…。 何もない、それが却ってブラックホールのような不可解な奥行きを提供してくれるのではないか。 読み取ろうとするべき手がかりも提示してくれないだけに、その領域に立ち入れなくなる。 歌を色で感じたことがないが、その形容詞しか、もう頭に浮かばなくなる。 不安定な葛藤によって、思考は停止させられる寸前まできてしまう。 このままでは立ち直れないので、いったん表現の表層に立ち戻ってみたい。 果たして、彼女は何に「会いたい」のか。 旧友や別れた彼氏なんかではないと思う。 仮に「近所のコンビニの店員」であった場合、都会の孤独感をそこまで叙情的に表現していることに感服してしまうが、悔しくてつまらない。 もっと宇宙的なもの、もしくは概念的なものなのではないか。 仮に対象が「神」であれば激しい歌である。 君のそばにいるから、と言ってしまっている。 彼女は一体何様なのか。 仮に会いたいのが「ラジウム原子」だったらもう自分の勉強不足を謝るしかない。 アルカリ土類金属なので、燃やすと炎色反応で紅色に光るやつだ。 そんな放射性のあるこんなものと出会いたいとかだったら、もう彼女は危険すぎる。 ぜひ会いたくないとすぐに返歌を詠んでほしい。 具体的な世界観がないだけに、「君」の捉え方次第では、あらゆる解釈が可能である。 「君が代」並みではないか。 これ以上の解釈の広げ方は、もう爆発である。 彼女は多分何も考えずに書いたという気がしてならないが、その分だけ悩む人間を生んでしまうというやっかいな反芸術性、むしろ芸術性が面白い。

次の

NO

今すぐ会いたい 歌詞 西野カナ

西野カナというアーティストの歌詞を、マツコデラックスがコメントしたことについて、ネット上で「的確だ」という意見が高まっている様子。 この件について、もう既に数時間悩まされ続けている。 埒が明かないので一旦文字化しておき、もっと理解力や想像力が高まった段階で再考することにしようかと思う。 思考のきっかけになった対象の記事は以下の通り。 「マツコDX兄さんの言うことが的確すぎる件」 「『ありがとう、君がいてくれて、本当よかったよ・・・』なんて詞をどう解釈しろというのよ。 どこに心の機微があるの?「ありがとう」ということを自分なりの言葉に代えて表現することこそが、作詞活動じゃないの? あのボキャブラリーでよく歌詞なんか書こうと思ったものね。 あんな三歳児でもわかるようなフレーズじゃないと、今の若い子たちは共感できないの?そんなに想像力がなくなっているの?あの稚拙な歌詞を見せられて、『小学生の読書感想文じゃないんだぞ』ってツッコミすらできないの? 等身大の思いというのは、いつの世にもあったけど、自分のことを世代の代表として選ばれたアーティストとして自負しているなら、カッコつけようとかプライドがあるはず。 でも、それが西野カナには微塵も感じられないのよ。 彼女だけが問題じゃない。 こんな薄っぺらい歌詞を、何の疑いもなく支持してしまっている女子高生たちの精神構造もわからないのよ。 与えられたものを、何も考えずにそのまま受け入れているだけ。 だから、あんな詞に対して『そうだよね。 わかるぅ。 友達と会えてよかったよね』ってなるのね。 」 確かに、彼女の曲は激しく「ありがとう」「会いたい」という文字列によって網羅されている。 複数の曲の歌詞を読んで衝撃を受けるほどだった。 それはボキャブラリーのなさを露呈しているだけにしか感じられなかった。 薄い、浅い、中身がない、そんな感情しか最初は得られない。 マツコデラックスの指摘は「的確」である。 でも、と考えてみる。 たとえば、ひたすら「会いたい」にこだわることの芸術性について。 先日逝去した榊獏山という書道家がいたが、彼の一文字だけの大書が有名であったりする。 同じ文字ばかりをひたすら書いていたというような話を聴いたことがある。 西野カナもこのままただひたすら「会いたい」をずっと訴え続ければ、それはそれで芸術性は高いと思う。 会いたいという言葉を、いかにあらゆるメロディーとリズムとグルーブに位置づけるかを徹底的に極めてしまうとどうだろうか。 誰も追随できないと思う。 ずっと会えていない人なのだろうから、近くにいない人だと思われるが、自分ならそれを極める前に別のすぐ会える人に会いに行ってしまう。 そこを超えての「会いたい」であれば、もうそれは僧侶的というか、悟りの域なのではないか。 続いて、もしかしたらあえて「自分なりの言葉に置き換えない」ということの芸術性について。 西野カナはある意味、現代の樋口一葉ではないかと思う。 超口語体。 ケータイで話す言葉にメロディーがついただけといった印象。 完全メール語体と言ってもいい。 ストレートで表面的というか、中学生のラブレター的というか、歌が果汁10%位というか。 歌詞は殆ど気にしない自分だけど、この斬新さには驚く。 そのうちTwitterで歌ができそうである。 日常的な普遍性あふれる普段使いの言葉のままの表現の追求が「会いたい」という、どこにでもありそうなこの平凡な言葉に集約されているのなら、濃縮還元の技術があまりに高くなかなか真似できないと思う。 さて、「芸術=人間のための人間的活動」、そう定義したとき、西野カナはこれまでの芸術のポジションよりも野性的な位置にあると思う。 とにかく誰かに会いたいことをストレートに伝えることに専念し、そこに矛盾などない。 だがこれで芸術が爆発したら、人間的であることとは一体何なのだろうか。 いや、芸術という枠内で彼女の歌を考えることが間違っているのだろうか。 もっと裸になって動物的な感覚の必要性を訴えているのかも知れない。 大人たちの古い慣習や、世の中の矛盾や、社会の複雑な因果関係や、感情の交錯・浪費される葛藤をリセットすべきだと。 これは一芸術論的にはありだと思う。 個人的には、そのような風潮・方向性は、中露との外交を考えると「今」には合わないし、受け入れづらいが、それもリセットの対象となるのか。 そうなるとかなり高度な政治性をも含まれてしまう。 ふと、彼女の歌詞を読み返してみる。 理解不能な阿久悠の歌詞でもあったものがない。 歌に織り込まれるのは、日常性であって、非日常性がない、普遍的な毎日の感情のみである。 井上陽水や中島みゆきや槇原敬之の曲にあるストーリー性や余韻のある叙情性について、彼女から同様のものを感じるには、かなり高等な読解力と想像力が必要だと思う。 聴き手に世界観までの創造をも要求する高度な歌だ。 歌は何もきっかけを提示しない。 聴き手にすべて責任を丸投げし、自由という重い負担を与え、イマジネーションの底なしの泥沼に飛び込ませる。 これは今までになかった芸術ではないか。 厚み・深み・きっかけ…。 何もない、それが却ってブラックホールのような不可解な奥行きを提供してくれるのではないか。 読み取ろうとするべき手がかりも提示してくれないだけに、その領域に立ち入れなくなる。 歌を色で感じたことがないが、その形容詞しか、もう頭に浮かばなくなる。 不安定な葛藤によって、思考は停止させられる寸前まできてしまう。 このままでは立ち直れないので、いったん表現の表層に立ち戻ってみたい。 果たして、彼女は何に「会いたい」のか。 旧友や別れた彼氏なんかではないと思う。 仮に「近所のコンビニの店員」であった場合、都会の孤独感をそこまで叙情的に表現していることに感服してしまうが、悔しくてつまらない。 もっと宇宙的なもの、もしくは概念的なものなのではないか。 仮に対象が「神」であれば激しい歌である。 君のそばにいるから、と言ってしまっている。 彼女は一体何様なのか。 仮に会いたいのが「ラジウム原子」だったらもう自分の勉強不足を謝るしかない。 アルカリ土類金属なので、燃やすと炎色反応で紅色に光るやつだ。 そんな放射性のあるこんなものと出会いたいとかだったら、もう彼女は危険すぎる。 ぜひ会いたくないとすぐに返歌を詠んでほしい。 具体的な世界観がないだけに、「君」の捉え方次第では、あらゆる解釈が可能である。 「君が代」並みではないか。 これ以上の解釈の広げ方は、もう爆発である。 彼女は多分何も考えずに書いたという気がしてならないが、その分だけ悩む人間を生んでしまうというやっかいな反芸術性、むしろ芸術性が面白い。

次の