フィリッポ リッピ。 フィリッポ・リッピ「聖母子と二天使」 盛期ルネサンスへの影響

フィリッポ・リッピの作品

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受胎告知 プラートやスポレートの壁画を手がける以前、リッピの作品のほとんどは聖母を中心としたものですが、その中でも「受胎告知」はいくつもの作品が制作されています。

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女好きだったのでしょう。 幼少期から周囲の手を焼かせる勉強嫌いの腕白な性分で、そのため、彼を育てた修道士は彼を絵の道に進ませようと画策した。

アート&バイブル 56:受胎告知

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この二つの「聖母子」に見られる背景の遠景などは約50年後に描かれたダ・ヴィンチの「モナリザ」を思い起こさせます。

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結果的に、フィリッポ・リッピの墓は、スポレートに建てられることになり、今もリッピは、スポレートで眠っている(お墓については次の章で見ていく)。

スポレート大聖堂:可憐なロマネスク様式の聖堂に描かれたフィリッポ・リッピのフレスコ画|Nao Masunaga|note

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サンタ・マリア・デル・カルミネ聖堂の裏手、アルディリオーネ通りにある。

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普通は(2)のように自然の空か風景の遠景が描かれますが、こんな模様は珍しいです。

フラ・フィリッポ・リッピ (ルネサンス)

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聖母像などに見る甘美な女性像はリッピの特色である。

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フィリピーノの作品にはポッティチェリの持ち味である、もろさやはかなさの影が色濃いが、父フィリッポの気さくさなどが出ている。

フィリッポ・リッピ「聖母子と天使たち(リッピーナ)」美しい聖母マリアの秘密とは?

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やがて修道女ルクレッツィアと駆け落ちするなどの事件が起こりますが、彼の才能を高く評価していた老コジモ(Cosimo de' Medici, 1389~1464)のおかげで還俗し、フィリッピーノ(Filippino Lippi, 1457頃~1504)という息子が生まれました。 翌1483年から84年にかけて製作されたこの『受胎告知』は、告知する大天使ガブリエルと告知される聖母マリアがそれぞれ別々の絵として描かれている。

リッピはそこの修道士だったのですから. (1)は当時としてはきわめて斬新なものであったと思います。

フィリッポ・リッピ

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特に、ボッティチェリと共にの黄金期を築いたに贔屓にされた。 この作者については、あまり情報がないのであるが、これが誰に向けているメッセージかは、専門の人による研究を参照する必要があるので、ここでの説明はこれくらいにとどめておく。 彼の初期作品、『タルクイーニアの聖母』(1437年)やサン・ロレンツォ聖堂の『受胎告知』(1438年頃)では、堂々として堅固な人体描写や線遠近法を駆使した空間表現にマザッチオからの影響が見て取れる。

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ファサードの中間部には、12世紀末に作られたと推定される5つの薔薇窓がある。 美術館サイドが意図したわけでもないのだろうが、これはなかなかすばらしい演出効果だ。

フラ・フィリッポ・リッピ (ルネサンス)

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宝石のように輝くそれぞれの持ち物や姿が狭い場所にひしめいているのに、閉塞感が無いのはリッピのすごさでもある。 中央の身廊部の床には、コスマティ(Cosmatesque)という細やかな大理石のモザイクを使った装飾が施されている。 左手に天使が2人いるが、通常の「受胎告知」の絵には登場しない。

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ただ、絵を描くことには興味を持っていたようで、暇があれば同聖堂のブランカッチ礼拝堂にいりびたっていたようです。 こちらの二人の天使のマントは青と赤という象徴的な色をしています。

フィリッポ・リッピによる絵画作品の一覧|MUSEY[ミュージー]

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スポレートの大聖堂の左側に立つ鐘楼は、おそらく1173年から1198年の間に建立されたと推定される。 ヴァザーリ(1568年)によると、リッピは 誕生時に母を亡くし、2歳で父も失ったという。

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『聖母の死』(中央)。