江戸前期に創建された鼠多門は、石垣の上に立っており2階建ての櫓を備えています。 なんでもこの橋、本来の高さより2メートルほど高く設計されているそうです。
・伝統的建造技術の継承、石川の匠の技の発信 能登ヒバなどの県産材を7割以上用いるそうです。
時代は令和になっちゃいましたが、「平成の築城」と称して着々と進められている大事業があります。
また、なまこ壁の漢字は「海鼠」で、目地が盛り上がり海に棲む生物のなまこのような形だから。
石川県では金沢城第3期整備計画に鼠多門及び鼠多門橋の復元・整備を位置づけ、平成26年から実施した埋蔵文化財調査や絵図・文献調査結果に基づき史実に沿った復元を実施することとしました。 ・当初は尾山神社裏の、現在道路になっているあたりにお堀があり、橋を架ける必要があった。
19次は二の丸御殿の復元整備を目指すということです。
終了後、鼠多門に行きました。
いわゆる「ねずみ」色ですが、このような黒っぽいなまこ壁は全国でも珍しいということ。
おおーこの眺めから見るとこんなんかー、とドローン気分でご覧ください。
ただ、史料などから、江戸初期に建てられたと 推測されています。 実際に下をくぐるのが楽しみだ。 -Welcome to Kanazawa- 鼠多門と鼠多門橋がオープン 観光都市・金沢は新型コロナウィルスの影響を大きく受けています。
1611代藩主だった治脩は、金谷での隠居暮らしを優雅に楽しんだみたいですね。
鼠多門橋、二の丸と金谷御殿に関わる多くの女性たち、どんな思いを噛みしめて渡ったんでしょうね。
手前は少しくすんでいるプラスチックなので、塀の上から撮影。
左手にある坂を紺屋坂といいます。
6代藩主吉徳の死後、長男の宗辰、次男の重熈が藩主を継ぐのですが、 相次いで早世してるんですね、そこで5男の重靖が9代目藩主を継ぐことになったんです。 金沢城の鼠多門・鼠多門橋の復元工事は2015年7月からなんと5年間にわたって見てきました。 更新日:2021年3月2日 「鼠多門・鼠多門橋」の復元整備について 鼠多門・鼠多門橋の概要 平成30年(2018年)から起工した、鼠多門・鼠多門橋が令和2年(2020年)7月18日に完成しました。
橋下部は遺構を保護するため杭基礎とせず、基礎コンクリート盤と橋脚・鋼床版を一体的に剛結する構造とすることで耐震性を確保しています。
1873 明治6年 金谷出丸跡に尾山神社が創建される 1877 明治10年 鼠多門橋、老朽化により撤去 1881 明治14年 軍司令部となっていた二の丸御殿が焼失 1884 明治17年 鼠多門焼失 1932 昭和7年 鼠多門前の堀が埋め立てられ道路になる 1949 昭和24年 金沢大学開学 2001 平成13年 金沢城公園開園 2008 平成20年 金沢城跡が国史跡に指定される 2015 平成27年 金沢城公園第三期整備計画に鼠多門・橋の復元整備を位置づけ、 金沢城鼠多門等復元整備専門委員会を設置 2020 令和2年 7月 鼠多門、鼠多門橋完成 整備の概要 平成26年(2014)から実施した埋蔵文化財調査や絵図・文献調査の結果に基づき、鼠多門は史実に沿った木造による復元、鼠多門橋は現代の安全基準を満たす構造としながら鋼材を木材で覆う仕上げで整備することとし、平成30年(2018)6月に起工、令和2年(2020)7月に完成しました。
すでに工事囲いは取り外され、美しい外観の全容が見えるようになっています。
それは、• 16時から石浦神社で加賀豊年太鼓演奏がありました。
橋から初めて鼠多門を眺めます。 案内板の地図にも鼠多門が入ったが、城内で配布されている地図にはまだ入っていない。 しかし、古い絵図で、江戸初期には 鼠多門は、既に建てられていたことが 確認されています。
19金沢城はじめ全国のお城は海鼠壁に白漆喰が用いられていますが、黒漆喰を用いたものは全国的にも例がなく、鼠多門が唯一となるそうです。 尾山神社側から見た様子です。
柱にぶつからなきゃいいですけど。
(写真提供:石川県観光連盟) 鼠多門の内部 鼠多門の内部の、ねじ・くぎを使わない 伝統工法も必見です。
鼠多門・鼠多門橋ができたことで、尾山神社から金沢城公園、兼六園までの散策がとてもスムーズになりました。
一方で、鼠多門では地盤調査の結果から、櫓の荷重を支持する門柱礎石下部の地耐力が不足していました。 庭園を一望する休憩所玉泉庵では、お抹茶 菓子付で720円 が楽しめます。 鼠多門橋はまだ門側の囲いが取れていないが今月中には解体されるようだ。
19起工式が行われて、鼠多門の寄進も始まった。
玉泉院丸と尾山神社は高低差があるため、鼠多門は見た目、半地下構造のようになっています。
また、史実に即した築造を行うためには、現存する遺構礎石を生かして柱を設け、往時と同じプロポーションに復元することが求められました。
ほとんど本殿の真裏に近い位置だ。
尾山神社側から見上げる 金沢城公園の西側(尾山神社側)で3年にわたって発掘調査が進められていた「鼠多門(ねずみたもん)」「鼠多門橋」は、今年度から本格的に復元工事が進められます。 建造物・工作物概要. 長靴もヘルメットもいりません、自由にホイッとお入りください。
橋の完成により、長町から金沢城をつなぐ藩政期の回遊ルートが復元されたこともうれしく思います。 投稿日: 作成者 カテゴリー. 前田家の跡目相続は生前退位が基本で、息子に跡目を譲った藩主がお堀を渡って余生を過ごす住居へと移っていったのです。
調査を行った結果、金沢城内で唯一黒漆喰を用いていたことが分かりました。
この鼠多門、江戸時代前期には既にあったそうで、何度か発生した火事にも飲まれることなく明治期まで残存。
私は鼠多門の現場所長を任せられました。