【他出】後拾遺集では詞書「入道摂政ものがたりなどして、ねまちの月のいづるほどにとまりぬべきことなどいひたらば、とまらむといひはべりければ、よみはべりける」。 なお「いづれまされり」は極り文句で、「君こふる涙にぬるる我が袖と秋の紅葉といづれまされり」 源整 、「くやくやとまつ夕暮と今はとて帰るあしたといづれまされり」 など、類想の歌は少なくない。 〈訳〉 そのころの夫の心づかいは、さすがに心がこもっているように思えました。
1けっこうあっさりしています。
両作品や和歌のことをわきまえている人からみたらとんでもないことを書いたかもしれません。
結びの省略。
[うつろひたる菊] 色変わりした菊。
あとは文脈判断であるが、直後に体言が来ると婉曲になりがち。
「大鏡」 は、すでに名高かったこの歌によって、兼家の伝記に彩りを添えているだけだと思います。 げにやげに 冬の夜ならぬ まきの戸も おそくあくるは わびしかりけり」 まことにまことに、(冬の夜はなかなか明けないものであるが、)冬の夜ではない真木の戸も遅く開くのを待つのはつらいことですよ。
その(夫の兼家が訪れて来た)ようだと思うと、気に食わなくて、(門を)開けさせないでいると、例の家(町の小路の女の家)と思われるところに行ってしまった。
係り結び とだえ=名詞、途切れること、男女の仲が途絶えること む=推量の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。
」など言ひつつ ㉑ぞあるべきを、 ㉒いとどしう心づきなく思ふことぞ限りなきや。
該当する部分を本文から二十字(句読点は字数に含まない)で探して、はじめと終わりの三字を書け。 思った通りだと、たいそう嘆かわしいと思うけれども、言いようも分からないでいるうちに、二、三日ほどして、明け方に門をたたくときがあった。
2さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二日、三日 みかばかりありて、暁がたに門 かどをたたく時あり。
」などと、思わせぶりな言い訳をする。
兼家はすぐに返して「思ひやる心の空になりぬればけさはしぐると見ゆるなるらむ」、あなたを思いやる余り心は上の空なので、私の涙が時雨と降ってそちらにまで見えたのだろう、と弁解しつつ心遣いを見せている。
【他出】拾遺集、拾遺抄、玄々集、新撰朗詠集 ほたる さみだれやこぐらき宿の夕ざれを 面 おも てるまでもてらす蛍か (道綱母集) 【通釈】五月雨が降って木暗い家の夕暮時、眺める人々の顔も照るほどに光を発する蛍よ。
」など、気色あり。 憂く=ク活用の形容詞「憂し」の連用形、いやだ、にくい、気に食わない、つらい させ=使役の助動詞「さす」の未然形、接続は未然形。
「いつしかも」に賀茂を詠み込んでいる。 題しらず 思ひつつ恋ひつつはねじあふとみる夢はさめてはわびしかりけり (玉葉1592) 【通釈】思いながら、恋い慕いながら寝ることはすまい。
つれなうて、「しばし試みるほどに。
勅撰入集三十七首。
そのまま五六日訪れがなく、心細い思いでいると、兼家が出て行った日に使った「ゆするつき」(鬢をなでつけるための水を入れる容器)の水はそのままになっていた。
やら=ラ行四段動詞「遣(や)る」の未然形、送る、届ける む=意志の助動詞「む」の終止形、接続は未然形。 悪い癖のようなものがありまして……それは、 「奥さんが妊娠・出産すると、新しい女性のところへ通う 浮気する 」という、悪癖です。
1[三夜しきりて見えぬ時あり] 三晩続けて来ない時があった。 げにやげに冬の夜ならぬ真木の戸もおそくあくるはわびしかりけり」 さても、いとあやしかりつるほどに事なしびたり。
さればよと、いみじう心憂しと思へども、言はむやうも知らであるほどに、二、三日(ふつかみか)ばかりありて、暁方(あかつきがた)に、門をたたくときあり。
それは、 藤原道長。
その家にも兼家の通いが絶えたと聞き、同情した作者は、時姫のもとへ歌を贈った。
惜しい命ではないが、一人息子の道綱の将来を思えば、涙を止めることができない。 なげきつつひとり寝る夜 現代語訳 さて、九月ごろになって、(作者の夫の兼家が)出て行ってしまった時に、文箱があるのを手慰みに開けて見ると、他の女のもとに届けようとした手紙がある。
9つれなう=ク活用の形容詞「つれなし」の連用形が音便化したもの、平然としている、素知らぬ顔だ。 もう、パターンですね。
この歌は、上社で願をかけた時のもの。
あさましさ=名詞、意外であきれること、驚きあきれること。
しばらくは、(本来、他の女のもとに通うのを)隠している様子で、「宮中に。
イ 作者から兼家への憤りがなくなったことを表している。 なる=存在の助動詞「なり」の連体形、接続は体言・連体形。
さても、いとあやしかりつるほどに、ことなしびたり。
つれなうて、「しばしこころみるほどに。
作者二十歳前後。
気分がすぐれず、将来を悲観して過ごしていた夕暮、兼家が立ち寄り、人を使って蓮の枝を差し入れた。
日記の記述は翌年の天延二年までで、以後の生涯はほとんど明らかでない。 意外なことだとあきれて(自分が)見てしまったということだけでも(夫の兼家に)知られようと思って、書きつける。 短いフレーズに複雑な感情が織り交ぜられる、洗練された言葉選びのセンスの一部をご紹介しましょう。
4ためし、先例。
まして、きのふけふ、風いとさむく、時雨うちしつつ、いみじくものあはれにおぼえたり。
返事は、「夜が明けるまで待とうと試みたけれど、急用の召使の者が、来合わせたので。
これより、夕さりつかた、「内裏 うち の方ふたがりけり。
しばしは、忍びたるさまに、「内裏に。
比叡山の方を眺めるうち、前年秋に床離れされ、通いが絶えた兼家を思い、作者の涙は堰を切る。
直後に体言「とき」が来ているため連体形だと判断して、「打消」の助動詞だと分かる。
更級日記の作者といい、この蜻蛉日記の作者といい……愚痴っぽくてどこなく粘着質なのは……家系なんでしょうかね 笑 では、本文解説です。